食卓
窓から差し込む朝日。鳥たちのさえずり。爽やかな涼しさの中で、カサネは目蓋に倦怠感を携えながらも目を開けた。
「……ここ、どこ」
見知らぬ部屋、身体に馴染んでいないベッド。欠伸をしながら身体を起こすと、横に見知った顔があった。
2つ並ぶベッド、そのうちのひとつにはカサネ。そしてもうひとつには、アルヴィンとエルヴィスが身体を詰め込むようにして一緒に眠っている。
状況が読めて、カサネは大きな溜息と共に額を押さえた。酒盛りの途中から記憶がない。
「んー……ん?」
小さく唸ったアルヴィンが、寝ぼけ眼でのろのろと起き上がった。欠伸をしてから伸ばした肩や首が音を立てたのは、狭くなった寝床の所為だろう。
「……おはようございます」
「おはよ。ね、ここアルヴィンとエルヴィスの家?」
「えーと、はい、そうですね……」
眠そうに目蓋を瞬かせたアルヴィンは、カサネの質問に答えて再び欠伸をした。かくん、と下がった頭と共に身体が揺れて、アルヴィンは咄嗟にベッドに手をつこうとした。しかし寝床が半分しかないことを失念していたためか、空についた手はそのまま床へと落ちていった。
「痛っ!」
「あれま」
ベッドから転がり落ちたアルヴィンは、それでようやく目が覚めたらしい。しっかりと開いた目がカサネとかち合った。
「あの、えーとですね、その、俺たちまだコルマトンに詳しくなくて、それであの、ちょっとは宿を探したんですけど、その、2軒くらいに満室だからって断られて、それでもう時間も遅くて」
「え、なになにどったの」
「あの、ベッドもそんな汚くないと思うんですけど、ちゃんと洗濯してますし、けどあの他に部屋がなくて」
「ちょ、待って待って落ち着いて」
慌てて何やら説明を始めたアルヴィンの頭の上で、彼の動きに合わせて寝癖がぴょこぴょこと揺れている。エルヴィスはまだ爆睡しているようで呑気に寝息をたてている。
「分かる分かる、めっちゃ分かるから! 連れてきてくれたんしょ? ごめんねー、私酔い潰れてた?」
「ふらふらしてましたけど一応歩けてました。ただずっと笑ってて、家の場所を言ってくれなかったので」
「そっかー、ごめんマジごめん」
「いや、平気です。あの、とりあえず俺朝飯作るんで、よければ食べてってください。その間もう一眠りしたっていいですし」
「神かよ……んー、けどそれはいいかなー。あ、そんじゃお湯くれない? 顔洗いたいし」
「はい、ちょっと待ってくださいね」
アルヴィンは壁の釘に引っ掛けられた木桶を手に取り、瞳を金色に輝かせる。水球が湯気をたてて弾けて揺れた。
「うわ超便利!」
「でしょう? あのカーテンの奥に樽があるので、そこでお願いします」
「かしこまりー」
鼻歌を歌いながら樽に向かうカサネを見届けて、アルヴィンはスープ作りに取り掛かった。
コルマトンに来たばかりの頃、リンガラムとの物価の差に驚きこんな所で本当に生活できるのかと身構えていたアルヴィンだが、現在は以前よりずっと良い生活ができている。聖火の鏡に所属してから収入が格段に増えたためだ。
朝から卵を焼いて魚を蒸す。魔法のおかげで調理は楽だが、以前より品数の多い食卓はアルヴィンを贅沢な気分にさせた。
「朝ご飯っていつもアルヴィンが作ってんの?」
「そうですね。交代でやってた時もあるんですけど、俺の方が朝に強いので。夜はエルヴィスが作ることの方が多いですね」
「へえ、いいなー。私ひとりで暮らしてっからさ、誰かの手作りって全然食べないんだよね。最近は食べて帰ることも多いし」
「俺もひとりだとそうなりそうです」
顔を洗い終えたカサネが、興味深そうに台所を覗き込んですんすんと鼻を鳴らした。じっと見つめられ続けるとなんとなくやり辛くて、アルヴィンは何か話題がないかと考えた。そうして思い出したのが昨日のカサネの発言だ。
「そういえばカサネさん、昨日言ってましたよね。ドルフィオ・クレーティみたいになりたいって」
「え、言ってた?」
「はい。ドルフィオみたいに許されたいって。あれってどういう意味だったのかなって」
「ああ……それね、うん。大したことじゃないんだけど、私さ、功績が欲しいわけよ」
予想外の返答に、アルヴィンは思わず手を止めてカサネの顔を見つめた。どこかで勝手に、カサネを俗物的なものと切り離して考えていたのだ。
「ドルフィオはね、私にとって道標なわけよ。あれだけ功績を積んだから、許されないことが許されたわけっしょ。そういう人間になりたいんよ、私」
「許されないことをしたいんですか?」
「さあねー、自分でもよく分かんない。そういうことってあるじゃん?」
「……もしかして、雷神象も仕留めたかったんですか」
「そうかもね」
アルヴィンの質問に対して、カサネは誤魔化すようにして笑った。不自然な笑顔が機嫌を損ねていた理由の答えだ。
「もう魚良い感じじゃん?」
「あっ、そうですね」
「いやー便利、マジ便利、羨まー」
「自分でも本当に便利だと思ってますよ」
潔白だと思っていたエルヴィスに隠し事がある。明るく無邪気だと思っていたカサネに俗物的な願いがある。アルヴィンは不思議な気分になった。劣等感が強い分、周りを勝手に素晴らしい人物だと思い込んでいる節があった。
「よく考えたら、最初から魔法を使っていれば、運搬係の人もあんなに重い水を運ばずに済んでたんですかね」
「んー、関係ないと思うよ」
何気なく発した言葉が即座に否定された。予想外の返しに、アルヴィンは言葉を見失って苦笑した。
「えっと、関係ないんですか?」
「だってそれやったらさ、アルヴィンに何かあったら水一滴もなくなっちゃうわけでしょ。どっちにしても、ファウストさんなら絶対水積んでるっしょ」
「あ、そっか、そうですよね」
アルヴィンはふと、雷神象を目の前にした時に情けない気分になったことを思い出した。視界の端にカサネの兜の装飾が入り込んだ瞬間。何故そんな気分になったのか、今この瞬間に理解した。カサネが本気で自分の魔法を当てにしていたなら、あの兜を着けていただろうか。問うまでもなく答えは分かり切っていた。
「アルヴィンってめちゃんこ真面目だけどさ。もっと気楽に考えていんじゃね? 自分じゃなきゃダメなことってそうそうないわけだし」
気楽。アルヴィンはカサネの言葉を呟くように繰り返して、噛み締めるように頷いた。その言葉を実現するまでの道のりは長そうだ。
「おはよー……」
「おはー」
「ああ、おはよう。飯できてるから顔洗ってこいよ」
そこでようやくエルヴィスが目を覚ました。いつものように身体のあちこちを床や家具にぶつけて、アルヴィンがいつもと同じ挨拶をした。
眠るのが遅くなったからか、エルヴィスはいつもより一層眠そうだ。アルヴィンもまだ少し眠い。朝食もいつもより遅い。今日は仕事は休みにしよう、アルヴィンはそう考えながらのんびりとスープを皿に注いだ。
「いただきます」
2人で使っているテーブルは3人で使うとなるとやや狭く、木目がほとんど隠れている。実の所アルヴィンは、この若干不便に感じる賑やかさが好きだ。
「ね、アルヴィン。私このスープ好きかも」
「本当ですか? 良かったです」
「毎日でも食べれる味って感じ」
頬に健康的な赤みを浮かべたカサネが、スープを飲み切ってエルヴィスを見遣った。この少年たちは毎日のようにこのスープを飲んでいるのだろうと考えると羨ましかった。
「いいなあ。羨ま」
「え、何がです?」
「毎日朝ご飯を一緒に食べる相手がいるのが」
アルヴィンには、カサネがほんの少しだけ寂し気に見えた。そこにはいずれ自分が抱えることになる寂寥があるように思えた。
「気が向いたら、また食べに来てください。歓迎しますよ」
「マ?」
カサネが嬉しそうに笑ったので、アルヴィンはほっと息を吐いた。カサネとはまるで似ていない性格だと思っていたが、存外に似通っているような気がした。
胸の内には慰めるほどに際立つ空虚が常にある。アルヴィンもカサネも、似たような何かに支配されている。ただ食卓を共に囲っている今は、ぬるま湯のような安心感があった。
エルヴィスだけがつゆ知らず、いつものように呑気な声でお代わりのスープを要求した。
三章終わりです。次の話からまた新展開です!




