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聖者の金杯 〜魔術師の慚愧、魔王の安息〜  作者: 雪月黒椿
4章 ボリューニャ・チェルトラ編
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懐かしい匂い

ある酒場の個室で、ファウストは香ばしく色付いた腸詰めをぼんやりと眺めていた。これをつまみながら飲む酒は大層美味だろうが、残念ながらファウストは酒にはかなり弱い。大人しくベリージュースを注文した。向かいに座るベルナルドも彼に合わせて同じものを選んだ。


「お疲れ様です。どうでした?」


「あまり真面目に聞いてはもらえなかったな。だけど言いたいことは言った、やれるだけのことはした。それはもう大袈裟に、厳しい戦いだったことを語ったさ」


「で、これ以降の強制指令は避けられそうですか?」


「まだなんとも言えないが……現時点では強制指令が出る可能性は少ないだろう。白金階級の魔物に動きがなければ、だがな」


「動きがなければ、ねえ」


ベルナルドは神妙な顔でジュースを呷った。ファウストは溜息を吐きたくなったが抑えて、涼しい顔を装って続けた。


数日前、ファウストは強制指令の完了報告のために王都に赴いた。死者を出さずに雷神象を倒したことを高く評価されたとして、これで気軽に使われるようになることだけは避けたい。負傷者の数を稼いだ報告書をどう受け取られたか、ファウストはそこまでは分からない。


「ここ数年で魔物が活発になってきたな」


「そうですね、魔物退治の冒険者が減ってきたからでしょう。やっぱり霊薬が湧かなくなってから……」


「仕方のないことだ、皆命が惜しいんだ」


「聖火の鏡や大地の盾はまだ人が集まりますけど、弱小は人材がいなくてどんどん潰れ始めているみたいですよね」


「ああ……もし向こうが僕たちに白金階級の現場を丸投げできるだけの戦力があると確信すれば、間違いなく次の強制指令が出るだろう。今魔物から逃げ回っているようでは未来はないからな」


アリグレットへの道中を思い出して、ベルナルドはわざとらしく嫌そうに顔を歪めた。


アルヴィンとウィツィがいる以上冒険者側が無惨に蹂躙される可能性はほとんどないと言っていいだろう。しかし水を節約して干し肉と芋を齧りながら、ろくに水浴びもできずに歩き続けた数日間を思い出し、彼はどうしても強制指令自体を遠ざけたくなった。帰り道はアルヴィンの魔法で水が飲み放題、湯浴みもできたのだが、だからと言って強制指令に行ってもいいなどとは思わない。


「まあ、ここで僕らがどうのこうの言ったって仕方がないな。もし強制指令が出たら出たで最善を尽くすしかない」


「まあ、そうですよね」


「そうだ、酒の場での注意喚起もしなければな。酔った勢いでアルヴィンとウィツィのことを口にされては困る」


「多分一番危ないのファウストさんですよ。匂いだけでも酔うでしょう」


「……鼻栓でも用意しておくか」


「うわぁ、団長の鼻栓姿は見たくないな、めちゃくちゃ面白いに決まってますもん。あと口も布で覆わなくちゃですね」


こうやって個室でジュースを飲むだけなら平気なんだが、と当たり前のことを口にするファウストに対してけらけらと笑ったベルナルドは、勢いよく残りのジュースを飲み干した。


世間からすれば魔物退治の冒険者たちは消耗品だ。そう分かっていても、ベルナルドは大地の盾を脱退して他の道を選ぶつもりはない。酒の席では世話のやけるファウストのことも尊敬している。


「チェルトラのやつも、階級が付く前にファウストさんが殲滅したからあれですけど、絶対白金階級ですよね」


「そうだろうか」


「そうですよ! チェルトラじゃ英雄って呼ばれてるんでしょう?」


「英雄か……だが僕はあくまで魔物を倒しただけだ。住人を守ったのは僕じゃない」


「そうかもしれませんけど、もっと誇ってもいいと思いますよ」


ファウストは返答をやめて、はぐらかすようにベルナルドに腸詰めを勧めた。


「まあ、俺はファウストさんの驕らないところも魅力だと思ってますけど」


「それはどうも」


「あとそう言えば、四大、また揃いましたね」


「ああ、不思議なものだな。チェルトラで終わってチェルトラで揃った。運命的だな」


「うわファウストさん、運命って言葉似合わないですね」


ベルナルドが腸詰めを咀嚼し、ファウストはジュースを飲み干して席を立った。まだ店に来て然程時間は経っていないが、酒を飲むわけでもないのに席を埋めるのは遠慮したかった。


「さて、僕はここで失礼する。一度キャラバンに戻りたいしな。君はゆっくり食事を楽しんでくれ」


「個室でひとりかあ、切ないですね」


「贅沢じゃないか」


「俺も行きますよ」


「用もないくせに? 強制指令も終わったのだから恋人を優先したらどうだ。他の男に取られてしまうぞ」


「いやテレサに限ってそんなことは」


「そう思っているのが君だけでないといいんだがな」


ファウストにくすくすと笑われて、ベルナルドはばつが悪そうに目を逸らし、腸詰めの最後のひとつをフォークで突き刺した。そうしてそれを食べ終えてから、そうします、と呟いた。


酒の匂いを避けるためいつも個室に通してくれる店長に礼を言って、ファウストは涼やかな歩道を穏やかな気持ちで歩いて行った。夜はまだ空の淵を蝕んでいる最中だ。


ファウストの心は軽やかだ。自身がいなくてもベルナルドを始めとした白銀階級の冒険者たちが指揮をとってくれる、再び強制指令が出ようともウィツィがいる。重圧や責任はまだ背にのしかかっているが、ファウストはそれらが随分と軽くなったように感じていた。


ああ、久しぶりだな。団長になってからこんなにも安らかな日があっただろうか。また試練はいくらでも降りかかってくるだろうが、たまにはこんな日も――


「だからなんなんだよ、気持ち悪ィなあんたら!」


ぱぁん、と耳の中の空気が弾けるような軽い衝撃が、ファウストの束の間の平穏を簡単に貫いた。キャラバンの扉を開けた一瞬目がそれだった。


「……何があった?」


「あっ、ファウストさん!」


中にいる団員たちが2人の男を囲っている。そして彼らと対峙しているのはウィツィだ。そう言えば先程の怒声はウィツィの声だった、そう気付いたファウストは咳払いして彼らに歩み寄った。


「うちの団員ではないようですが、何か御用ですか? 依頼でしたらあちらのカウンターにお願いします」


「あぁ、あんたファウスト・セッティっすよね。なんだ、今日はもういないんだと思ってたんすけど」


だらりと丸まった猫背に不躾な口調。ファウストは顔を顰めたくなったが、努めて淡々と状況を探ろうとした。


「そんな大層なことじゃないんすよ、俺らはただそこのウィツィくんのスカウトに来ただけっすから」


「ウィツィの? 一体何故……あなたはどなたですか?」


事情を知らない者からすれば、ウィツィはただの鋼階級の冒険者だ。秘術のことを知らなければ特別価値を見出す機会があるはずもない。ファウストはもしや何か知っているのだろうかと警戒して男の全身を眺めた。


「この前飯屋で、俺がお連れさんの持ち物を拾って手渡したんです。それだけなんすけど」


「はあ?」


「名乗ってもないのに俺の名前知ってるし、気持ち悪ィんですよね、この兄さん」


「いやそれはほら、スカウトに来てんのに知らなきゃ失礼でしょ。あ、俺ロディオンっていいます」


「しかも断ったのにキャラバンまで追い掛けてくるし!」


「なんすか別に立ち入り禁止じゃないっすよね」


ファウストは訝しげにロディオンの顔を見遣った。怪し過ぎるうえに礼儀もなっていない。まさか本気ではあるまい、とロディオンの真意を探ろうとはしたが、目が合ったファウストにはへらへらと笑うばかりだ。


「言っただろ、俺は自分なりに考えて目的があってここに入ったんだって。待遇がどうのこうの言われたってうるさいだけなんだっての!」


「だそうです。本人も迷惑していますのでお引き取りください。あまりしつこいようなら社会系を呼んできますが」


「うわぁ怖いな。分かりましたって、退散します。どうもお邪魔しました」


ファウストが睨み付ければロディオンは随分あっさりと引き下がり、おろおろと戸惑っているパウロスの腕を掴んで立ち去った。あんまり聞き分けがいいので拍子抜けしたウィツィだったが、迷惑な男が去っていったことにほっと安堵の息を吐いた。


「なんだったんだ、気味が悪いな……」


「また来るんじゃないか?」


「ウィツィの力について知る者でしょうか。どうします、ファウストさん。何か対策をとるべきかと」


「そうだな……いや」


皆は警戒して対策について話しているが、ファウストには然程そうする必要性は感じられなかった。確証ではないがそれに近い感覚だ。つまりは勘なのだが、団長になって数多くの冒険者や依頼主と接したことによるものだ。


「多分もう来ないだろうから、彼を警戒しても大して意味はないだろう」


「どうしてですか?」


「あの男……ロディオンと言ったか。やる気がなかった」


「へ?」


「そうしろと言われたからしている、子どものお遣いのような感覚で来ているようだった。本気でウィツィをどうこうしようという気はなさそうだ」


ファウストが災難だったな、とウィツィの肩を叩けば、疲れたように背中を丸めていたウィツィが姿勢を直して礼を述べた。


一方、ロディオンはパウロスを引き摺るようにして料理店に入っていった。自身が探し当てた人物と揉めたと思ったら酒だ、パウロスは鼻先のアルコールの強烈な香りを吸い込んで不服そうに口を開いた。


「ロディオンさん、さっきのはまずいって。俺でも分かるよ?」


「いいんすよあれで。それよりなんか飲みましょうや、久々にちゃんと仕事したんですし」


「いやできてなかったじゃん! やっぱり今から戻って、失礼なことしたお詫びとかをさ」


「いらねえって。俺らはちゃんと人材見つけた、声も掛けた、けど向こうの意思は固く断られた、これでいいんすよ」


「何それ、意味分からないよ」


「仕事はな、指示されたことをやるのが重要なんすよ。俺らは最善を尽くしました、はい以上!」


注文したエールが手元に届くと同時に、ロディオンは話を切り上げて一気に呷った。パウロスは恐る恐る手を伸ばしてエールを探し当てたが、それに口をつける気にはなれなかった。


精一杯仕事をして、疲れた身体を労う一杯。そんな憧れが呆気なく隣の男の胃袋に消えたことが、パウロスには見えずとも分かった。


「あんたさ、仕事に夢見過ぎなんだっての。こういう仕事だってあるんすよ」


「そう……なのかな」


「そうそう。一生懸命やらない方がいいことだってあるんすわ。俺らの仕事は特にな」


だから俺らの仕事って具体的にはどんなものなんだ。そう訊ねても望む回答が返ってこないことは分かっている。パウロスは喉元に引っ掛かった言葉と共に、勢いに任せてまだ美味しさの分からないエールを注ぐように飲み干した。


「ん?」


パウロスはすん、と鼻を鳴らした。ウィツィという青年と似た、懐かしい匂い。パウロスはこの匂いの正体を知らない。


「ロディオンさん、近くに例の匂いがする人がいる」


「は? マジで?」


「左の方…….こっちかな。しかも結構匂いが強い」


「匂いが強い? なんすかそりゃ」


「分からないけど強いんだって。ああ、なんか鼻の奥痒くなってきた」


鼻を擦ったパウロスは、杖をつきながら匂いの発生源を探した。よろめきながら他のテーブルにぶつかりつつなんとか発生源にたどり着く。生まれつき盲目のパウロスは、それまでに周りから突き刺さる視線には気付けない。目立つことを嫌うロディオンは、パウロスのこういうところが苦手だ。


「えっと、どうもこんばんは。ロディオンさん、こっち!」


自身を見上げる瞳が訝しげなことにも気付かないパウロスは、不思議なほど明るい声でロディオンを呼んだ。頑張らない方が良いとは言われても、やはり仕事ができるだけで嬉しくなってしまうのだ。ロディオンはその声を聞いてやはり面倒臭そうに立ち上がった。


「……あの、なにか?」


急に声をかけられた女性、メリル・キーツは、食事の手を止めて困ったように首を傾げた。

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