侯爵家のとあるメイド頭の視点
リリーの実家であるウォリンジャー家に仕えるメイド頭は、悲しげに俯いた。
数日前、長らく仕えていたモンゴメリー侯爵夫妻が、突然他界した。
ひき逃げ事故だった。
犯人は、まだ捕まっていない。
あんなに善良な人たちがなぜという疑問は、メイド頭だけでなく、使用人一同、みな抱いていた。
「ピーター様は、大丈夫かしら……」
夫妻の最期を看取ったのは、息子のピーターだった。
彼は、ただ死にゆく両親の手を握り、震えていた。
今も、棺桶の傍らで、じっと立ちつくしている姿は、使用人たちの涙を誘う。
そんな時、現れたのが姉のリリーだった。
彼女は、このモンゴメリーの地から遠く離れた伯爵家に嫁いでいたので、下手をすると、両親の葬儀には間に合わない可能性もあった。
しかし、リリーはたまたま用事で隣国まで来ていたらしく、首都に戻る前に、一度、実家に立ち寄るとの連絡があった。
それが、ちょうど一週間前。
ウォリンジャー夫妻が亡くなったのは、それから数日後のことだった。
あと少し、リリーが戻ってくるのが早ければ、両親の最期を看取ることができたかもしれない。
いや、夫妻と対面できたのかもしれないと思うと、メイド頭はやるせなくなった。
「ただいま。久しぶりね」
「リリーお嬢様、お帰りなさ……って、どうされたのですか、その鼻の痣は!?」
「えっと、この鼻は……ちょっと転んだだけよ。大したことないわ」
「しかし、お嬢様!」
「本当に大丈夫だから。でも、心配してくれてありがとう」
「……いえ。こちらこそ、しつこく申しまして」
メイド頭は、頭を下げた。
リリーが、あまり話したくなさそうだったので、とりあえず、今はこれ以上、痣のことには触れずにおこうと心に決めて。
というわけで、メイド頭は咳払いをした後、話を変えた。
「ところで、伯爵様はいつこちらに?」
「え?えーと……」
リリーは、先ほどと同様、言い淀んだ。
またしても、答えにくい質問だったらしい。
メイド頭は、リリーの困ったような表情を訝るように見つめた。
「サイラスは……今は、いろいろあって手が離せないの。だから、葬儀には参列できないと思うわ」
「そんな!あんまりです!」
「いいのよ。仕方がないわ。彼は、その……今、大変な時期だから」
妻の両親の葬儀よりも、ですか?
そう口をついて出そうになったメイド頭は、賢明にも、それを飲み込んだ。
普通であれば、義父母の葬儀よりも優先されることなど、ありはしない。
リリーの言い草から、なんとなく仕事で手が離せないという感じでもなかった。
となれば、自ずと事情は察せられるというものだ。
メイド頭は、いたたまれなくなって、思わず俯いた。
「大丈夫?どうかしたの?」
「……いえ、なんでもございません。わたくしは、大丈夫です」
そう、メイド頭は大丈夫だ。
大丈夫じゃないのは、きっと……。
「それよりも、ピーターは?どこにいるの?」
「……旦那様たちのご寝室におられます」
「そう……その、ピーターはどんな様子かしら」
「気丈に振る舞ってはおられますが、ご両親のお側を離れたがりません。お食事も召しあがらないので、わたくし、ひどく心配で……」
「ピーターのことを気にかけてくれてありがとう。あの子は幸せ者だわ」
「いえ、とんでもございません」
メイド頭が慌てて首を振ると、リリーは微笑んだ。
優しくふわりと笑う、その表情を見て「ああ、やっぱりお嬢様だわ」と、メイド頭は感慨深く思った。
昔から、リリーの笑みは、彼女の本質を的確に表していたから。
「あら、やだ。話し込んでいる場合じゃなかったわね。そろそろピーターのところに行かないと」
「わたくしも参ります」
「わかったわ。じゃあ、一緒に行きましょう」
もう少し、リリーの傍にいたくて、メイド頭は同行を申し出た。
そのまま、リリーについて、ピーターの元へと向かう。
すると、どうだろう。
寝室のドアを開けるなり、どんよりとした嫌な空気に襲われた。
無理もない。
両親を喪ったピーターの悲しみは、相当なものがあった。
リリーは、そんなピーターに近づいていき、肩を落としている彼に、そっと呼びかけた。
「ピーター」
「姉さん……?」
リリーに声をかけられ、ピーターはゆっくりと顔をあげた。
と同時に、嗚咽を漏らし始める。
ずっと泣くのを我慢していたのだろう。
突然、糸が切れたように、ピーターは、その場に崩れ落ちた。
姉のリリーの顔を見て、緊張が緩んだのかもしれない。
そんな彼を、リリーはただ優しく抱きしめた。
美しい姉弟愛に、使用人一同、さらに涙を誘われたのは、言うまでもない。
その後、ウォリンジャー夫妻の葬儀は、滞りなく執り行われた。
ピーターに代わり、葬儀の細々とした采配を振るったのは、リリーである。
リリーは、葬式の最中、涙を一切見せなかった。
メイド頭でさえ、感心するほどの気丈さである。
そこで、ふと彼女は思い出した。
ーーーそういえば、ジェイソン様の葬儀の時も、リリーお嬢様は泣かなかったわ。
前夫であるジェイソンの葬儀で、リリーは冷静だった。
ピーターにしていたように、嘆き悲しむフレデリックを、慰めてはいたけれど。
その他は、終始淡々としていた……ように周囲には映っただろう。
リリーの印象は、なんとも冷たいものだったに違いない。
しかし、付き合いの長いメイド頭からすれば、それはリリーの本意ではないだろうと思った。
彼女は、きっと泣きたかったのだ。
恥も外聞もかなぐり捨てて、夫の死を嘆き悲しみたかったに違いない。
そうしなかったのは、おそらくリリーの性格ゆえだ。
リリーは他人が悲しんでいれば、真っ先に慰める。
悲しみにくれる人の隣で、自分もただ嘆くだけの女性ではない。
自分の悲しみよりも、相手のそれを思いやるのだ。
ゆえに、リリーには泣く暇がなく、結果として耐えるだけの損な役回りとなる。
冷静に見えたのは、リリーが必死にそうあろうとしたからに他ならなかった。
だからこそ、周囲の反対をおしきって、フレデリックをジェイソンの葬儀に参列させたことにも、必ず理由があるはずだった。
非難されるとわかっていてなお、それを押し通すことを決めたリリーらしい優しい理由が。
メイド頭には、詳しい事情はわからなかったけれど。
昔から、他人のために自分を犠牲にすることを厭わないリリーだ。
彼女なりの考えが、必ずあったに違いない。
だから、彼女の人となりを知らない人たちが、面白おかしく愛人の噂を広め、ふしだらな女としてリリーを非難することを、メイド頭はひどく不服に思っていた。
それは、目の前にいる弟のピーターも同様だろう。
ピーターは昔から、優しい姉を慕っていたから。
そんな姉思いのピーターはというと、しゃくりあげながら、己の後悔をリリーに吐露していた。
「姉さん……どうして、どうしてこんなことに……僕は、何もできなかった。父上と母上が、ただ死んでいくのを、見ていることしか、僕にはできなくて……」
「ピーター、辛かったわね。でも、あなたは頑張ったわ。よく一人で耐えたわね。もう大丈夫よ。わたしが傍にいるわ」
「姉さん……」
幼子のようにリリーにすがりつくピーターを見て、メイド頭は思った。
リリーがいれば、きっとピーターは大丈夫だろうと。
優しいリリーの元で安心して、その悲しみを発散すれば、彼は立ち直る。
そう確信した。
だが……。
ーーーそれだと、リリーお嬢様はどうなるのかしら。
気丈に、葬儀を執り仕切り、ピーターを支えるリリーは立派だったが、そんな彼女の悲しみは、誰が受け止め癒してくれるというのか。
普通であれば、それは夫の役目だった。
だが、メイド頭は見てしまった。
到着したばかりのリリーの鼻にできた青あざに。
故意かどうかはわからないが、あれは間違いなく暴力のあとだった。
リリーは、転んだだけだと言ったが、それが嘘であることは明白だった。
夫であるサイラスはいつ来るのかと尋ねた時、葬儀には参列できないだろうと言って、困ったように視線をそらすリリーを見ていれば、その答えは自ずと知れた。
リリーは、きっと夫とうまくいっていない。
彼女のことだから、妻としての役割を果たそうと必死に頑張っているのだろうが、相手にその誠意は伝わっていないに違いなかった。
なにかと誤解されたり損したりすることが多いリリーらしいと言えば、それまでだが。
そもそも、リリーは昔から報われることを望んではいなかった。
他人に誤解されても、決して不満を言わず、ただ相手のために行動する。
そんなリリーのことを思うと、メイド頭は悲しくなった。
尽くすばかりで、彼女を顧みてくれる人はいない。
リリーの小さな背中が、今はひどく頼りなく見えた。
ーーーお嬢様が、どうか幸せになってくれますように。
リリーを支え、大切に想ってくれる人が現れることを祈りながら、メイド頭は粛々と進められる葬儀を見つめた。




