15. 脇道
「もしも時間が巻き戻らなかったらどうすんの!」
諦めモードのろっちーを問い詰める。
「それは大歓迎じゃ。そもそも時間遡行を阻止するのが目的じゃろう?」
「それは昔の話よ。今は、あたしの恋をどうするかに主題は移ったの」
「恋……恋のう。ハユミはレイに恋をしておるのか?」
カアァァ
う……。
改めて言われると照れる。せっかく、少し落ち着いてきたのに……。
「う、うん……。多分……」
この胸の高鳴りに名前をつけるなら、それしか思い付かない。
「ふむ……妾が見るに、大人の恋情というよりは幼子のそれじゃのう。まるで芽吹いたばかりの蕾のようじゃ。一年で結ばれるのを難事と見たは、成熟して花開くまでに一年では足りぬと思うたため。痛みを知らぬ恋など有り得ぬ」
「ちょ! 下ネタはやめてよ!」
「そういう意味ではない!」
あれ? ま~たそっち方面の話かと思ったら違ったみたい。
「幸いこれから一緒に暮らすのじゃろう? とにかく傍にいて、少しずつその気持ちを育てていけば良い。大いに懊悩せよ! 何、妾の力で既に“はっぴーえんど”の運命は定まっておるのじゃ、悩みも痛みも苦しみも、恋を盛り上げる“すぱいす”のようなものじゃからの」
気楽に言ってくれるな~。あたしは痛いのも苦しいのも嫌だし、ましてや深く悩むことなんてないと思うけど。
でも――
あたしはろっちーの表情を見た。
何だか今までに見たことがないほど輝いている。
「何だかろっちー、いきいきしてるね」
「うむ! ハユミがようやく乙女らしさを見せ始めたからの。やはり乙女には何より恋が大事だと思わぬか? そして妾は恋する乙女の味方じゃ!」
「う~ん。それはどうかと思うけど、ろっちーが楽しそうなのは何よりだよ。時間遡行からこっち、しばらく元気無かったから」
あたしがそう言うと、途端にろっちーの表情が曇る。
「そうじゃった……。せっかく思い出を作っても、相手はそれを忘れてしまう……」
またネガり始めた彼女の様子に、あたしは慌てて弁明した。
「あたしが憶えていれば、思い出は消えたりしないから! あたしはそれで大丈夫だから!」
「お主がそう言うのなら……。いや、そもそも考えてみれば時間遡行はもう起きないのではないか?」
彼女は眉根を寄せてしばらく考えた後、そう言った。
「へ?」
「へ、ではない。妾の力が恋愛に不利な状況を齎すはずがないからの。しかし、それなら何故先の一年は……ふむ、お主から詳しい話を訊く必要がありそうじゃ」
「それはいいけど、その前に……」
「何じゃ?」
「早く準備を終えないと」
これ以上レイちゃんの好感度を下げたくはない。
大きな荷物含め、あらかたの物は明日に全部届くことになっている。今日持って行くのはすぐに必要になる物だけだから、トラベルバッグ一つ分に収まった。
「ローズ様……その様な日傘だけでよろしいのですか?」
「うむ? 日焼け止めクリームも塗っておるぞ?」
レイちゃんが紫外線に弱いろっちーを気遣う。
彼女が差すのは和風の番傘……ではなく、ファンシーな洋風の日傘。ミスマッチと思いきや、これが中々に似合うのだ。
「そうですか……。準備がお済みでしたら、早速向かうとしましょうか」
そう言った彼女に先導されて、駅へと向かう。
「あの……レイちゃん?」
「何でしょう」
振り返った彼女は無表情で、感情が読み難い。
「その……三人とは言え、女の子だけだと危なくないかな」
あたしはてっきり最初はお父さんたちもついてきてくれるか、護衛が付くかと思ってた。夜暮家も結構な資産家みたいだし。
「ああ……ハユミさんは夜暮の名をご存じないのですね」
どういうことだろう。
ツトム君なら知ってそうだけど、あいにくあたしは家マニアじゃないからなあ。
「夜暮は代々要人警護で名を馳せた家柄。母の命により、非才の身ではありますがこの私がお二人の護衛を務めさせていただきます」
「護衛!?」
レイちゃんが!?
改めて彼女の全身に視線を移す。細く華奢なその体は、とても優れた身体能力を発揮するようには見えない。
それにしても……。
「……あまりジロジロと見るのは止めてもらえませんか」
「あ、ご、ごめん!」
羞恥に頬を染めつつ視線を外す。
つい彼女の美しい肢体に目を留めてしまった。
またやっちゃったよ……。
「何を考えていたかは分かります」
ドキィッ
「強そうには見えないのでしょう」
あ、そっちね。
あたしの邪な感情に気づかれた訳では無いと知り、胸を撫で下ろす。
「私の一族は戦闘能力よりも戦闘を回避する力に長けていますので」
へ~。
とにかく彼女が護衛で間違いないのか。
護衛……そう言えば――
「もしかして、春瀬院さんの……?」
彼女との初めての出会い、えーちゃんの言葉。
あたしてっきり、レイちゃんは春瀬院さんのご学友かと思ってたけど。
「先日までは、そうですね」
先日まで……? あ、そうか。リヒト達……。
その後のレイちゃんのお話で、入学式で衝撃の出会いを果たした男子ーズの、その経緯が補完された。
「早く着きすぎたか……」
理人は独りごちる。
彼とその友人の三人組は、葉弓を迎えに学園までやって来ていた。
もちろん、部外者である三人が守衛に守られた門を抜けることなどできない。葉弓は、試験が終われば付近のベンチに座って待っているとのことだったが、その姿はまだ見えなかった。
「お~ほっほっほ! 紅瑪瑙との会談は上手く行きましたわね!」
三人がそのベンチに座って葉弓を待っていると、学園内から特徴的な声が響いてきた。
春瀬院六日である。
「会談と言いますか……ただお茶を楽しんだだけでは……?」
「レイさんは分かってないですわね。それが大事なんですのよ!」
夜暮冷を始めとした護衛、あるいは取り巻きたちとともに彼女がやって来る。
と、三人を見た途端、上機嫌に綻んでいた顔が歪んだ。
「庶民がいますわ! 怪しいですわね、ひっ捕らえなさい!」
「「「な!」」」
突然の物言いに言葉を失う三人。
「誤解です! ボクたちはただ友人が試験を終えるのをここで待っているだけで……」
「フン、どうだか! 大方それを口実に学園生とお近づきになろうと考えたのでしょう? 庶民の考えそうなことです」
「ぎくぅ!」
汗を流す総司を見て、六日はそれ見たことかと鼻を鳴らした。
「ほら見なさい! レイさん、早く――」
「春瀬院様、止めて下さい。私の仕事は護衛であって、一般人に難癖を付けて捕縛することでは有りません」
冷の言葉により、しぶしぶながらも六日は矛を収めた。
それを見て三人はほっと息をつく。
「それにしても、迎えの車が来ていませんわね。何をしているのかしら?」
六日は苛立ちを隠そうともせず不機嫌そうに呟き、乱暴に扇子を広げる。
「……少し歩きましょうか」
「まあ! あなたも冗談を――本気かしら?」
「はい」
六日は初め冷の提案を冗談と受け止めたものの、その表情から本気であることを察した。
「分かりましたわ」
どよめく取り巻きたち。
しかし六日は、この無口な護衛が何の意味も無くそのような発言をする人物ではないことが分かっていた。
彼女――いや、夜暮の直感が何かを捉えたのだろう。
二人はそのまま歩み去ろうとした。が――
「待って下さい」
理人がそれを止める。
「あら、何かしら? やっぱり捕まえて欲しいと?」
――意外だ。
六日は思う。
つい先程の展開の後で声をかけてくるとは、余程の馬鹿か、あるいは――
「女性二人だけで出歩くのを見過ごす訳には行きません。マコト、ソウジ、お前たちはここで待っててくれるか?」
「何いってんだよ! 俺も行くに決まってんだろ?」
「もちろん、ボクも」
三人組の言葉に、六日は瞳に本気の険を込めて――
「お願いしましょう」
が、それを冷が遮った。
「レイさん……?」
当然疑問は浮かんだものの、六日はそれを呑み込んで提案に従った。
しばらくはそのまま大所帯で散策する。
――案外、悪くない。
六日や取り巻きたちは悪い気分では無かった。普段は安全の籠の中に入れられたお嬢様たちに、このように往来を歩くことがちょっとした刺激をもたらした。
しかし――
「春瀬院様。申し訳ありませんが、私は所用を思い出しました。ここで失礼させて頂きます」
突然、冷が告げる。
皆が引き止める前に、逃げるように去った。
「な……?」
始めは驚愕。
取り巻きや、その他の護衛たちも呆気にとられた。もちろん、男子三人組も。
「な……!!」
次いで、激しい怒り。
護衛が警護対象を放り出すなど前代未聞の事態だ。
「解雇ですわ!!」
六日がそう叫んだのも無理はないだろう。
キキイィィ!!
皆の動揺が冷めやらぬ中、響いたブレーキ音。
見れば、凄まじい勢いでやって来た黒塗りのバンが、進行方向を遮るように横付けで停車した。
バタン!
激しい音を立てて開いたドアから、これまた黒ずくめの男たちがゾロゾロと降りてくる。
お嬢様たちの悲鳴が上がる。
男たちの手が六日に伸び――ぐるんと一回転して地面に叩きつけられた。
「――っ!」
六日は息を呑む。
理人がやったのだ。あっという間に、三人の男が行動不能に陥った。
他のお嬢様方はマコト、ソウジの誘導で既にその場を離れている。男たちの狙いが六日ただ一人であったために出来たことだ。
――不味いな。
理人は思う。
それは、残った二人の護衛が頼りなさそうだからでも、まだ六人の男たちが相対しているからでもない。
ある一点さえ除けば、護衛と協力しつつこの場から六日を連れて逃げおおせる算段はいくらでもつく。
理人は、物心ついた時から――あるいはその前からひたすらに己を鍛えていた。
自らを魔女と名乗る師に従って。
それは、その師が自分の母親なのではないかという疑念があったからではない。ただ――己が男だったから。
いつしか師が自分の前から姿を消しても、理人は教えに従って己を鍛え続けた。
元々天賦の才を持っていたこともあり、理人の戦闘に関する技術や知識は既にその分野の一流の人間と比べても劣るものではない。
ヒュウゥゥゥ……
強い風が吹き抜ける。
六日も、護衛も、男たちも、理人も、動かない。
理人が警戒しているのは、未だにバンの中にいる化物。
化物、としか形容しようがない。理人には、それが人間であるとは思えなかった。
他の男たちと同様に全身黒ずくめの衣を身にま纏いその下の容貌は見えなかったが、その圧倒的なまでの強さは伝わってくる。
――自分よりも強いと思った生き物に出会うのは、師に次いで二回目だ。
どれほどの時が過ぎたか。
『戻れ』
化物の口から人間の言葉――ただしくぐもった電子音――が出ると、残った男たちは倒れた三人を回収しつつ、バンに戻っていった。
ブロロロロ……
しばらくは、誰からも言葉が無かった。
――助かった?
皆が自分たちの無事に気づくと、ようやく緊張の糸が緩む。
真っ先に口を開いたのは、やはりと言うべきか、六日だった。
「あなた、わたくしの新しい護衛になりなさい!」
びしっという音を感じさせるように指された扇子の先は、理人に向いていた。
「逃げちゃった!」
レイちゃんの話を聞いたあたしは、思わず叫んだ。
以前リヒト達から聞いた話に出てきた「逃げた護衛」が、レイちゃんであると知ったからだ。
ちなみに、その後はリヒトは護衛として、マコトはメイドとして(!)、ソウジは道化として春瀬院さんに仕えつつ学園に通うことに。
「逃げちゃいました」
「逃げちゃ駄目でしょ!」
「はい。だから解雇されました」
レイちゃんは悪びれずにそう言った。
ええ……。
「あの……レイちゃんが護衛ってことに凄く不安を感じるんだけど……」
「大丈夫です。春瀬院さんは無事でしたでしょう?」
「それは偶然で――」
「偶然ではありません」
あたしの発言をきっぱりと否定する。
「私には分かっていました。そうすることが正解だと。もし私がいれば、その“化物”に殺されたか良くて再起不能にされたでしょうし、春瀬院様も攫われていたことでしょう」
彼女はまるで、それが確定した事実であったかのような調子で語った。
「どうしてそんなことが……?」
「それが我が血族の力だからです」




