16. 信奉者
夕方。空に赤が混じる頃合い。
夜暮邸は小高く開けた場所にあるため、遠く山々の稜線が見えた。大きな湖に映る街のネオンがゆらゆら、きらきらと移ろう。
煉瓦造りの塀と門を抜けると、広い庭と2階建ての建物が目に入る。ベージュを基調とした落ち着いた色合いの家だ。
「お帰りなさいませ、お嬢様」
控えていた女性が頭を下げる。
使用人と思われるその女性(メイドさんだろうけどメイド服じゃない!)に案内され、家の中に入る。
二階まで吹き抜けとなったエントランス。正面に大きなのっぽの古時計。ちくたくちくたく。
「ここまでで良いです」
一言レイちゃんが告げると、女性は恭しくお辞儀をしてから去って行った。
そこからはレイちゃんに先導されて階段を上り、二階へと向かう。
「一先ずはここがハユミさんの部屋になります」
大きなベッドと黒壇の棚や机と言った家具、革張りのソファだけが置いてある、シンプルな印象を受ける部屋。
明日届く私物を考慮してのことだろう。
「言って頂ければ内装も好きに変更できます」
「いや、いいよいいよ! 充分過ぎるから」
想像していた以上の資産家っぷりに、正直びびった。
道中、中が水槽になった巨大なガラス張りの壁とかあったし。
かかる費用を考慮して選んだ学園だけど、合格したことで、何というかもっと直接的に問題が解決してしまった。
「ローズ様のお部屋は――」
「妾もここで良い。他の部屋も同程度に大きいのであろう? 広すぎて落ち着かぬ」
それは同感。
とりあえず荷物を下ろしてソファに身を落ち着けた。
「さて――」
少し間を置いて、レイちゃんを見つめる。相変わらず、どこか人形を思わせる容貌。無表情さと、美しさが。
気持ちが浮つかないように意識しながら次の言葉を紡いだ。
「詳しい話を訊かせて欲しいんだけど」
結論から言えば、大した話を訊くことはできなかった。
分かったのは、ろっちーが“貴石”と呼ばれる吸血鬼に近しい存在であることと、それはろっちーだけでなく他にもいたこと。
「貴石?」
「おそらくは奇跡と掛けたのでしょう。夜暮にも詳しいことは伝わってはいませんが……」
この世界には鬼族と呼ばれる、人を喰らう怪物がいたらしい。
しかし、そのほとんどは早い段階で人に淘汰された。凄まじい身体能力を持ち個の力には優れていた種族も、人間の知に支えられた数の力には勝てなかった。
ただ、全てが狩りつくされた訳ではない。
吸血鬼。
肉ではなく血を糧とする種族――レイちゃんは今まで、血のみを糧とするものだと思っていたらしい。ろっちーが普通にご飯も食べると知って驚いていた――は、人と相利共生の関係を築いた。
吸血鬼は人間たちから血液というご馳走を提供され、代わりにその者たちに“奇跡”を授けた。それが転じたか、“鬼”という恐ろしいイメージの定着した単語ではなく、貴石という名で呼ばれるように。そして貴石に血を捧げる人間たちは“信奉者”と呼ばれるようになった。
「それって世界が齧られる前の話だよね」
「はい」
世界が齧られた日。三百年前に訪れた分かりやすい世界の終わり。
今のこの世界は文化保存委員会なる謎の組織が残した情報、あるいは遺跡から発掘されたものから作られた。
その後、次歴の始まる数十年で、誰がどのように現在の礎を形作ったのかも謎。
少なくとも現在、一般に残されている記録の中で、貴石を始めとした鬼族の登場は見られなかった。
「ですからまさか、現在もご存命の貴石がいらっしゃるとは思いもよりませんでした。夜暮がどの貴石を信奉していたのかも残っていませんし」
記録に拠れば、世界が齧られた時、人間は一人残らず姿を消した。その後の空白期間で人間が復活した時、鬼族はどのように関わったのだろう? 何故歴史の表舞台から身を隠したのだろう?
うん。
ぶっちゃけ、興味ない。
あたしが興味あるのは自分に関わるろっちーのこと。
残念ながら、レイちゃんはその情報を持ってはいなかった。
「ろっちー、今の話で何か思い出したり――」
「サッパリじゃ!」
駄目みたい。
「夜暮の血族が持つ力って?」
もう一つ今のあたしが興味をもっていること、レイちゃんについて訊いてみた。
信奉対象によって得られる奇跡が異なるそうなので。
「“直感”です」
「じゃあろっちーの正体に気付いたのも――」
「そうですね。ただし本来の人間が持つ直感力を高めるだけですので、基となる知識が無ければ意味がありません。ですから、夜暮の血族は戦闘の回避を主眼に置きますが、その知識を得るために戦闘訓練は行っています。もちろん、選択肢を増やす意味でも」
信奉者の持つ力は子に受け継がれる。血が薄まるにつれその力も薄くなるらしいけど。
レイちゃんのお父さんも護衛だった。
入婿だったために“直感”は持たず、カゴンさんとは別に一人で仕事をしていた時に警護対象者を守って亡くなったらしい。
カゴンさんがどんな気持ちでいたのか、分かるなんてとても言えないけど想像することくらいはできる。
「――でも、良い人と出会えたみたいで安心しました」
そう言って笑うレイちゃんの顔を見て。
ああ、やっぱり、その笑顔を自分にも向けてくれるようになって欲しいな、と。
そう思った。
レイちゃんが退室してから、改めてろっちーと向き合う。
ちなみにレイちゃんには、ろっちーの力は恋愛運を高めるものだと伝えた。嘘じゃない。
「時間遡行はもう起きないかもしれないんだっけ?」
もちろん時間遡行については秘密だ。
「いや、それは分からぬ。妾が初めそう考えたのは、ハユミが運命の人と出会ったのならば、その後どんなに辛い出来事が待っていたとしても時間を巻き戻して無かったことにするなど到底良いことだとは思えぬからじゃが――」
「どうして?」
「どうしてとは? 辛い出来事でも失くしてしまうよりは良いじゃろう?」
「あたしはそうは思わないなあ……」
「ふむ。それについて論じる前に、まずはハユミの経験した一年を妾にも教えてほしい」
ろっちーに促されて、あたしは説明を始める。といっても一年は決して短い期間ではないから、記憶に残った一部だけしか話せなかったけど。
「……そのミイとやらは余程印象的な人物だったようじゃのう」
大半がミイちゃんの巻き起こした騒動の話になってしまった。
「じゃが、あまりハユミの運命には関わっては居らぬようじゃ。重要なのは、レイの話。間違いなく、レイと出会ったのは一度だけかの?」
「うん」
「やはり変じゃ……」
そうして彼女は説明を始める。
ろっちーの力はあたしと運命の人を結ぶもの。だから、当初はその運命が上手く行かなかったから時間遡行が起こったと考えた。
でも、あたしの運命の人ことレイちゃんとは早い段階で出会っていた。
それは偶然か、ろっちーの力によるものか。どちらにせよ、本来は力によってその後も出会いを重ね、仲を深めていくはずだった。少なくともそれは時間を巻き戻すよりもずっと簡単なことだろう。
しかし実際は、出会ったのはその一度だけ。
まず考えられるのは、単純に力が弱かったということ。一度の出会いを起こして尽きるほどに。
ろっちーも自覚する所だけど、あたしの力は弱い。それは、まだ繋がりがそれほど深くはないから。
「じゃあ、あたしがもっとろっちーの血を飲めば力は強まるの?」
「もしくは妾がお主の血を飲めばな。だが、先に言うておくが、それは許さぬぞ」
「なんで?」
「妾の力の本分は出会いであって、その後仲を深めていくのはあくまで本人同士の問題じゃ、と妾は思う。恋というものは……」
恋愛に関する持論を語り始めるろっちー。
う~ん。面倒くさい。
ろっちーは出会いには手を貸すけどそれ以降はできるだけ自然に任せたいと思ってるらしい。
それは置いといて、とにかく、あたしを通して発揮される力はそれほどのものじゃない。
すると問題となってくるのは、どうして弱い力で時間遡行なんてことが起きたのかだけど、これについては最初に話し合った時のように依然として不明。
「次の問題は、時間遡行のタイミング、出発地点だね」
時間遡行が起こったのは十七歳になる直前。なぜそのタイミングなのだろう?
今は運命の人と同棲するというこれ以上ない状況。それをもたらしたのは、「学園の入学」だ。
あたしがあの学園に合格するか否かで大きく運命が変わった。
だから、例えばあたしが学園に合格するように時間が巻き戻ったのなら、合格発表……いや試験が終わった直後から時間遡行してもいいはずだ。
「そろそろ話を戻すかの。恋愛において……いや、その他のことにも言えるが、価値はそれぞれの人にとって異なるもの。妾は時間遡行が恋愛において良いものだとは思わぬが、お主にとってはそうでないようにの」
彼女が言うには、あたしの力が作用する際の基準はあたしに準ずるとのこと。つまり、(充分にそれに足る力があれば)あたしが会いたいと思った時に想い人に会えるし、会いたくないと思えば会うことはない。
そしていくらろっちーが時間遡行なんて起きてほしくないと思っていても、あたしが望めば起きる。
「あたし、別に時間が巻き戻って欲しいなんて思ってなかったけど?」
「無意識の領域では思っておったのじゃろう。何か憶えがないか?」
そう言われてもな……。
あたしは必死で頭を捻る。
十七歳になる直前で巻き戻ったということは、十六歳の時点ではまだ可能性が残されていたということ。
十六歳……恋愛……。
「ああーー!!」
「な、なんじゃ!?」
思い出した!!
あたしの十六歳の誕生日にソウジが言ってた。あたしは子どもの頃、十六歳で結婚したがってたって。
ということはつまり……。
「ループを回避したいならあと一年でレイちゃんと結婚まで漕ぎ着けろってこと!?」
何その無理ゲー!!




