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5 (一)

 音もなくデジタル数字が減ってゆくのを睨みつける駿河。

 道路脇の公衆電話だ。

 相手が出るなり、受話器を怒鳴りつけた。

「遅い!! 何とろとろやってたんだ!」

 直後、わめく受話器を遠ざけて耳を押さえた。……倍で返してくるとは、いい度胸だ。

「切るなよ、三橋!!」

 手を伸ばしたまま、言い返す。しんと静まった。

 息を整えてから、受話器を持ち直した。

「お前の『親友』が迷子になってるぜ。

 迎えにきてやれよ、今度は」

 なーにやってんだろーね、俺は……。

 余計なお世話様な自分が、のたうちたいほど恥ずかしかった。

 電話の向こうも同じか。居場所を教えると、聞き取れない一言を残してカチャンと切った。

 すまん、だか、アリガトウ、だか、さんきゅ、だか知らないが。聞かなかったことにしてやるぜ。



 誰かこの時間にランニングをやってるのか……。

 路地を駆けてくるシューズの音に、騎道はそんな感慨を抱いた。腹の空く、日暮れ前。ガンバルなぁ……。

 それに引き替え自分は。

 疲労感のあまり、騎道は一人、非常階段から動けなかった。左の頬を押さえ、捨てられた子猫よろしく、暮れてゆく街を見上げられずにうつむいていた。

「あにやってんの?」

 立ち止まった足音と、よく聞いた声。

「! ……どうしてここに?」

「フン。翔君を甘く見てはいけません!」

 威張る三橋を、しげしげと見返す。

「ランニング中?」

「ち・が・うっっ!」

「髪が濡れてるよ。何してきたんだ?」

 鋭い推察に、三橋はおののいた。

「なんでもいーだろ!

 腹が空いたな。なんか食おうぜ。

 お前も付き合うだろ? 嫌だなんて言わないよな」

「……嬉しいよ、三橋」

 くったりと肩を落とした騎道を、慌てて三橋はのぞきこんだ。

「大丈夫かよ……」

「あちこち歩いて走り回って、まだお昼食べてないの忘れてた。おなかすいたぁ……」

「ケッ、ケッ。

 恩に着ろよっ」

 なぜか騎道を見捨てられない三橋。

 なぜか三橋になら甘えられる騎道。

 理由は、腹が膨れてから考える。

「何だよ、その顔。転んだんだな? 下くらいちゃんと見て歩けよなっ」

 腫れがほとんど引いた顎をもう一度撫でて、騎道は肩を落とした。治さずに同情を引けばよかったのだろうか。



「これを見よっ」

 三橋は騎道に、右手首のギブスを突き付ける。

「それが何か?」

「残念だが、騎道。君に私の華麗なる腕前を披露できないのだよ」

「ああ。そう。早く店に入ろうよ?」

「……。んだからな。お前は私に食わせてくれなければならんのだ」

「三橋……。僕、ここ、入ったことないよ」

『お好み焼き』の派手な看板を、騎道は指差した。

 食欲を過激にそそる、焦げたソースの匂いが歩道に沿って立ち込めている。

「ダーっ。だっだっ!

 おまいはどーゆー所に居住してたんだ?

 お好み焼き、といったらば庶民の喜び、日々の糧。

 そーかっ。翔君、今わかった!

 かーいそーになっ。貧しすぎて、こーんな庶民には平均的な贅沢も、させてもらえなかったんだな」

 チッ。おれだってはじめて来たのにさっ。一度入ってみたかったんだよな。とは、三橋。

 騎道は飢えたひばりのようにさえずり始める。

「どーすんの? いいにおいがするよ? どーすると食べられるの? 教えてくれればその通りに……」

「……腹、減ったよな……」

 切実に腹部が訴える。健康すぎるのも困り物だ。

「! おっ。地獄に仏。ちょっと待ってろ」

 三橋は拝み倒して仏を連れてきた。当人はいや~な顔をしている。

 つらつら二人を眺め、言った。

「やっぱりあんたたちって、一般常識に欠けてたわね。

 男のくせに、お好み焼きの一つにおたおたして。一緒にいるのも恥ずかしいわ。

 言っておくけど、自分が作った料理を残されるのって、大嫌いなの。わかった?」

「はい! 彩子料理長(シェフ)

 夕食の買出しに来てこいつらと出くわすなんて、この街はいつからこんなに狭くなったのか。

 運が悪いとはこのことだ。

 彼等、欠食児童は恥ずかしいほど速く、大量に、騒々しく食べ尽くして、満足するや飼い猫のようにおとなしくなった。再現すると。

「彩子ちゃん。あーん」「……騎道、食べさせて」「あ、はい。三橋」あぐっ。「彩子ちゃん、騎道が食わせてくんない」「あたしは作るのに忙しいの!」「……」。

 十分腹が膨れると、店の主人が青くなりながら、一枚の手書きのポスターを指して「おめでとう」と告げた。

 説明もそこそこに三人は写真を撮られ、キャンペーン・アイテム全品制覇なさったのでお代はタダですと、店を追い出された……。

 彩子は、恥ずかしいを連発した。証拠の写真が残るのだ。

 青春のリグレットだと詩人をやった三橋は、後ろから肘鉄のデザートを食らった。

 ともかく三人は、三橋の専用車に乗り込んで帰路についた。すでに短い秋の日は、とっぷりと暮れている。

 そうして、騎道は幸福な満腹感につられてか、うわごとのように話しはじめた。

『転生』を信じるかと問いかけ、自分は認めないと言い切った。騎道には珍しく、嫌悪したような決め付け方に、二人は戸惑った。

「……寝ちまったよ……。言いたい放題言ってさ……」

「……ほんとに」

 彩子は助手席から、後ろを振り返った。

「こいつ、食うとすぐ寝るよな」

「子供みたい……」

「それそれ。ガキなんだよな。

 俺もふざけてガキ臭いことやるけど、こいつのは違うぜ。

 根っからガキになれる……」

「というよりも、忘れてないのかも。子供の感情を」

「……だからかな。時々、人が恥ずかしくなるようなことを言い出すんだ」

「やだ。ほんとに?」

「ほんとほんと。も、時代錯誤! ってことを、真顔で言うんだぜ。今だって、お偉い学者みたいにペラペラ話してただろ?」

「ん。でも、あんまり違和感なかったな……。

 似合ってた」

 三橋の肩に頭を乗せて、眠りこける騎道。見守る二人の視線の意味が微妙に違うことも知らず、無垢な顔をしている。

「そう……だな。嫌味のならない所が、こいつのいいとこだよな……」

 上目使いで、騎道と彩子の後ろ頭を見比べる。

 こくんと、肩からすべり落ちる騎道の頭を、三橋は丁寧に支えてもとに位置に戻した。溜め息が漏れる。

「三橋。今頃こんなことしててもいいの?

 明日、試合でしょ? テニスの全国大会」

「あ……、試合、午後からだから……」

「両利きだからって安心できないんじゃないの?」

 ギブスは伊達だと今は言えない……!

 装着した翌日、土曜の午後の学校帰りにギブスは外したのだ。彩子に知られたら、とことん罵られるはず。

 理由は騎道に見せ付ける為だ。他意はない。

「でも、あれだけ食べたのよ。体が動くの?」

「ははは。まかせなさい!」

 彩子の指摘は図星だ。不安である……。

 本当なら、試合前の最終調整をつけている時間だ。

 駿河の電話が入ったのは、その真っ最中で、なかなか電話に出なかったのもそのせいだ。慌ててシャワーを浴びてきたのを、騎道は異様に鋭い努力で指摘した。

 大会を前にしていると知れば、騎道は三橋を追い返しただろう。コーチと怒鳴り合いをした努力も無視をして。

「心配してくれる彩子の為に、勝ってみせるぜ」

「……一言余計よ。怪我をしない程度にやりなさいよ」

 思い出した……! 昼間の声。

 彩子の頬が、突然熱くなる。手で隠すのも不自然だ。車内は暗いから、このままで何食わぬ顔を決めた。

 でも、真剣な決意を感じさせる言葉は、心臓の動悸を強く誘った。……知らない。応えられない。

 早く三人に戻りたい。騎道は眠り続ける。車はまだ学園長宅に着きそうにない。

「今日は青春しちまったなぁ」

 なっ……。彩子は焦った。まさか昼間のことを、ここで?

「といっても食欲の青春で情けないけどさ」

 へらりと笑う。

 三橋の気配が、彩子の胸に苦しかった。



 バックミラーの中で、小柄な少年が懸命に走る。

 力一杯、叫んでいる。

「せん、ぱーいっ!」

 ハンドルを切る間瀬田に、駿河は見ないふりで言った。

「……停めるなよ。放っておけって」

「ですが、追いかけてきますよ」

 広い歩道に車を横付けすると、ゼーハーと息を切らした隠岐がよろよろとすがりついた。

「よかったぁ……。センパイは、神の助けです」

 私服だが手に例のカバンを抱えている。後生大事に、という抱え方だ。半分泣きながら、隠岐の自宅からはとんでもなく離れた場所をとろとろ歩いている理由は明白だ。

「何やってんだ……」

「迷子になったんですぅ……」

 泣く子を叱りつける駿河。

「何のためにお前のその口があるんだよ!」

「……途中でメモをなくしたんです……。どうしたらいいのかわかんなくなって、そしたら日が暮れて。こっちは来たことのない街だから、寂しくて寂しくて……」

 これが理数系の天才か? 日本の詰め込み学習教育の悪い見本のような奴だ。

「わかったから泣くな。乗れよ。間瀬田、電話」

 あのまま振り切って、手酷く泣かせて、失望させてでも距離を起きたいと考えたのだ。これからの敵はやっかいなものになるだろう。どこでどう危険にさらされるか、予測のしようがない。

 だが考えれば、隠岐がおとなしくしているはずがない。なまじ自分の目の届かない所で動かれるよりは、同一行動を取る方がましだ。最悪の場合、騎道と手を組まれた日には目も当てられない。完璧な暴走コンビの出来上がりだ。

 結局、駿河は『保護者継続』を決意した。

 同時に『押さえの駿河』『理性の駿河』も復活する。




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