4 (二)
二人は喫茶店を探す気力も失せていた。見知らぬビルの、錆びた非常階段に騎道は座り込み、その数段上で駿河は手摺りに持たれた。
霊感などないはずの駿河でさえ、嘔吐感を伴った嫌悪を感じ疲労していた。騎道の言う通り、危険地帯に他ならない。一般人に与えられる影響を考えると、空恐ろしくなる。こんなものが他に三ヶ所あるのだ。
穏やかでありきたりなこの街に。
ああやって呪いを撒き散らし、街に呪詛を沈殿させるのだ。澱んだ街の風は、空の雲は晴らせても、人の心は凍らせたまま吹きすぎる。
騎道は道々、悲しげに近い未来を言い上げた。
「連城さんが飛び降りた時刻は、僕が病院に担ぎ込まれた時間とほぼ同時刻ですね」
「倒れて立てなくなったのを見透かしたように、起きたな」
騎道の揺れる感情を刺激しないよう、努めて冷淡に認めてやった。
「もう少し慎重に動くべきでした。統磨さんの背後にもう一人居るなんて……。
うまくやれば、あの日で終わりに出来たはずなのに……!」
「あの時点までで、やれることをやったんだ。IFの例えは、在り得ないぜ」
騎道はふっと、肩の力を抜いた。
「ええ……。そうですね。すみません……」
駿河は背後から、騎道の変化を見下ろした。
気弱になったり立ち直ったり、騎道は落差が激しすぎる。立ち直ったような仕種が、実は表面を取り繕っただけなのではないかと、疑いたくもなる。
繕い続けて、騎道は疲れ果ててしまわないのだろうか?
「統磨を操っていたのは、数磨か?」
「……」
「答えられないのなら、それでもいい。
あんなものが相手じゃ、見ざる聞かざる言わざるするほうが、利口かもしれんからな」
その『あんなもの』と感応できる騎道。白昼に目撃した裸眼は、なぜか蒼だった。信じ難いが見違えてはいない。
「駿河さん。昼間言っていた本当のことって、何のことでしょう?」
考えを見透かされたようで、駿河はギクリとする。
「あの時、見たんですね」
彩子が幻の炎に攻撃を受けた時。絶妙なタイミングで現れた駿河。実は近くに居たのだと、騎道は悟った。
『本当のことを言っていいのか!』
怒鳴りつけられた瞬間、騎道は目の前が真っ暗になった。
隠し通すことは不可能だ。
「僕の……」
「言うなよ、それ以上。
俺はお前に深入りしたくない。
彩子に会わせたのは、貴様の為じゃない。
彩子自身の為だ。少しでもあいつが早く立ち直るんじゃないかと、気に食わないが目をつぶったまでだ」
『はい』と言って、次に『すみません』。騎道はこくりと頭を下げた。その背後で、駿河は額を押さえた。
「……誰に、謝ってるんだよ……」
「駿河さんのおかげで、気が楽になりましたから」
ふーん。駿河は、胸の内で納得する。
それほど大層な秘密なのだ。騎道にとっては。
「気を晴らしてやったんだ。これくらいは言えるだろう?
このままで事件は終わるのか?」
騎道は振り返らずに尋ねた。
「今でも手を組んでいると、自惚れてもいいんですか?」
以前に、いよいよ首謀者統磨と向き合うという段階で、騎道は冷淡な口を叩き、駿河たちと手を切ると宣言した。
勿論、駿河は激昂した。騎道が自分ひとりで危険を背負おうとしたことへの怒りだ。短絡的な思考ではない。
「……。人が死にすぎてると思わないか?
偉そうな口を利くが、誰かが止めて正さないといけないぜ。できる限り早くにな」
顎を上げて少し背伸びをする。重苦しさが、やや抜けた感じ。男の意地を張る気も失せてゆく。
「彩子の為だなんて、本当はただの言い訳だ。俺も彩子とおんなじなのさ。何かが腹の中で燻って、馬鹿な真似がやめられない。大した理由なんかないぜ」
背後から、騎道の肩を鷲掴みにした。
「これは只の勘だ。
お前は一番真実に近い。いや、誰よりも一番早く、真実に辿り着き、絶つんだろう。だから俺はお前を選ぶ。
それだけのことだ」
「買い被らないで下さい。実現するのはこれからです」
冷静でありながら熱い言葉が、駿河は妙に気に入った。
立ち向かうものが大きければ大きいほど、男の血は騒ぐものなのだ。
「連城の現場は、彩子から聞いたのか?」
「いえ。藤井さんに教えられました。
敵に回るかもしれないと釘を刺されました」
駿河は辟易した声を上げた。
「あいつも掴めない女だな。ここまで来て、勝手にやるとはどういうつもりだ」
「僕より沢山切り札があるんでしょう」
「ならあれも切り札の一つかもしれんな」
「?」
「藤井は数磨と接触している」
「……なぜ、でしょう……」
「さてね。そっちこそ、思い当たることはないのか」
しばらく思案した騎道は、口を開いた。
「藤井さんが敵に回る理由が思い当たらないんです。
たぶん、僕の動きを警戒しているんでしょう。だから牽制した。しばらく、彼の動きを見張る目的じゃないかな。
そうは見えませんでしたか?」
「図星だな……。色仕掛けにあったんだろうな。数磨はぼーっとしてたぜ」
「……藤井さんらしいというか……」
藤井の秘密を熟知している騎道は、一人呟いた。
気を取り直したように、騎道は駿河に向き直った。
信頼と真剣さの同居したまなざしが、そこにある。
逆に駿河は顔を逸らす。本能が距離をおくべきだと囁いた。嫌悪ではなく、お互いの為であるような気がした。
「聞かなくてもいい話しを聞いて、奴等に付け狙われる御免だぜ。ある程度、状況が煮詰まるまで、勝手に動いた方が身軽でいられる。
用のある時に呼んでくれ。そういう関係にしよう。
べたべたして、回りに感づかれたらやっかいだ」
回りとは三橋と、彩子、隠岐あたりがその筆頭か。
騎道は静かに首を振った。駿河の気遣いもわからなくはないのだ。だが。
「もう隠し通せるような状況ではありません。
どんなにそうしたくても、少なくとも彩子さんには事実を話さないと、本当に嫌われますよ」
それはその通りだ。駿河は唸った。
「彩子さんには僕から話します。大丈夫ですよ。今の彩子さんなら、無茶な真似をしないはずです」
駿河には心穏やかでいられない発言だ。駿河以上に騎道は彩子を理解している。同時に、駿河自身、騎道が一番適役であることを納得し、心の奥では期待してもいた。
「駿河さんには一つだけ知っておいて欲しいんです。
数磨君は」
息を殺して微かにためらった。
「非常に強力な超能力者です。ですが自分でコントロールの出来ない不安定な状態です」
淡々とした騎道の顔を見つめ、駿河は言葉をなくした。
悔いるように目を伏せ、騎道は前髪をかき上げた。
「僕は、終わったと思っていました。
事件は明るみになり、首謀者も亡くなって、統磨さんに協力させられていた布陣者はおじけづいて逃げ出しただろうと。布陣は未完成のまま、一連の事件に決着がついたのだと読んでいました。
推測の確証も取らずに、僕は現実から目をそらしてしまった……」
自虐的に、騎道は自分を笑った。
「精神的な抑圧によって数磨君の人格が分裂し、残酷な人格が現れたと僕は結論付けていたんです。
精巧な妄想だなんて、間抜けた結論だ。本当は、その妄想がすべての発端かもしれないのに」
「あんまりピンとこないな。あのひ弱そうな奴に人を殺したがるような欲求が潜んでいるなんて」
「それは少し違います。考え違えるのは危険なことです。
数磨君を孤独にして暴走させるだけです」
「何のことだよ?」
数磨を擁護する必死さに気圧されてしまう。
理解していたつもりだっだが、ここまで騎道がお人好しなことには不安さえ覚える。
「数磨君を恐れないで下さい。これだけはお願いします。
今まで通りに接して構わないんです。
事を起こしているのは、数磨君の意志ではありません。
彼は器にされているだけ。その引き金は孤立。
数磨君は、それを一番恐れているんです」
「なるほど。あいつを怖がらせて、絶望させなければいいんだな。そうすれば多少、これから起きるだろうことを食い止められるってわけか」
これからと未来を指されて、騎道は再び表情を曇らせた。
彼等の目的は何か。すでに白楼陣は成された。一週間が経ち、望み通り、騎道すら取り込まれそうになるほど機能しはじめた。この上、何を望むのか?
騎道が怨念の渦中で見た魂。それが、遠い記憶の人とどうしても重なることが、騎道の心を冷たくさせる。
そして、彩子。初めて彼女と顔を合わせた瞬間、ある女性を連想して、騎道は一瞬我を忘れた。
似ているだけと忘れようとしても、彩子の仕種や表情、感情の揺れ動く様は肯定するように似通っていた。
二人の印象は共通して『炎』としか浮かばない。鮮やかな生気をまとう一方で、気丈なふりで弱さを隠すところも同じだ。
もう一人。怨念の中で見た存在も、轟々たる炎に包まれていた。顔立ちははっきりしないが、面影は読み取れた。
炎、炎、炎。
すべてを解く鍵が、紅蓮の炎にあるように思える。
その炎が、真昼に彩子を襲った。
闘争の始まりを告げたつもりなのか、否か。
「統磨さんは、闘いの中で言ったんです」
ぎらぎらとした騎道への憎悪とともに、統磨は言い捨てた。
『まだ先はある。四方の央点を陰気に落とす』
「央点か……」
忘れもしない。四方を交差した一点は、稜明学園だ。
「最後の贄は彼女だと。彩子さんの死で全てが完了するのだと」
愕然として、駿河は騎道の言葉を疑った。
「僕への挑発の意味だけではなかったのかもしれません」
あの場でそう告げた意図は、この世から去る統磨の憂いや、あそこまで加担してしまったことへの悔いからくる、微かな願いにあったのではないだろうか。
滅びに突き進むだろう未来を、騎道に託す一縷の希望。
「ばかな! どうして彩子が……!」
統磨の願いは重すぎる。ようやく見え始めた事件の全貌は、今まで以上に複雑に絡み合い、実は何も見えていなかったことに、騎道は胸が塞ぐほど打ちのめされる。
振り出しに戻るよりも酷い。状況は最悪なのだ。
駿河は、答えない騎道にはっと閃いた。
胸倉を掴んで、引き摺り起こす。
「貴様……! 他に何を知っている!? 答えろ!」
「これ以上は話せません。
話したところで理解してもらえるとは思えませんし、駿河さんには知る必要のないことです」
低く答える騎道の頬は、一転して感情を殺し冷淡だった。
完全な拒絶を奴から受けるのは、駿河はこれが初めてだ。
「……ほんとに貴様は、得体の知れない奴だぜ……!」
酷薄を装いながら、騎道は駿河の目を見返すことはできない。薄く開いた瞳は、冷え冷えとした寂しさを浮かべた。
生々しい感情を見て、たぎってゆく全身の血が一瞬冷めた。それでも体は反応してゆく。
堅く握り締めた拳が、ためらわず風を切った。




