間違えた温度②
私は別にいい子でも優しい子でもない。
ただ、周りに合わせて、顔色を窺って波風を立てないように過ごしているだけ。
本当は、浪漫や紅葉みたいに堂々としたいって思っている。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃになった顔で電車に乗る気になれなかった。なるべく人の通りが少ない道を下を向きながら歩く。それでも東京は人が多くて、向かいを歩く人の視線が時々痛かった。
あれから涙が落ち着くまで歩き続けた。一度立ち止まってスマホの画面を開くと、着信が二件あった。紅葉から一回、そして芽瑠から一回だ。
浪漫からは「早く休めよ」とだけメッセージが届いていた。
「……はは」
頭も冷えてすっきりしたような気がする。
スマホの画面を閉じて、涙を拭った。
時間は四時半。帰るにはまだ早い。
「……よしっ!」
気持ちを入れ替えて、私はとりあえず歩いて来た道を引き返すことにした。
駅の近くまで来た。
「……なんでいるの」
今朝の待ち合わせ場所には、なぜか芽瑠が立っていた。
スマホをいじっていて、耳にはいつものイヤホンをしている。
こちらに気がついたらしく、イヤホンを外して向かってきた。
「浅倉さん」
「……他のみんなは?」
「帰ったよ」
「そっか」
芽瑠は何事もなかったように、私の隣を歩く。
「……何してたの?」
「浅倉さんを待ってた」
「……なにそれ〜」
思わず茶化したけど、私を待っていたってどういうことだろう。それに、芽瑠の纏う雰囲気がいつもより優しい気がした。初めて赤谷で会った時みたいだ。
「……今日さ、色々とごめんなさい」
「何が?」
「朝のこと、あとさっきのことも」
「……いいよ。あたしも悪かったと思うし」
思いがけない言葉に驚いて、すぐ返事ができなかった。芽瑠が不思議そうに首を傾げる。
「あ、あと! 待っててくれてありがとね。嬉しかった」
「まあ、うん」
照れくさそうに俯く芽瑠も新鮮だった。
「き、聞いてもいいのかな」
「……言ってみて」
今朝の芽瑠の表情が浮かんだ。また嫌がられたらどうしよう。
息を吸って唇を湿らせた。
「あのさ」
「うん」
「なんで仲良くなることを避けてるの?」
「……」
やっぱりこの話題になると芽瑠の雰囲気が変わる。
「……私たちのこと、嫌い? じゃないよね……?」
「……うん」
「……嘘もついてない?」
「そういう嘘はつかない」
「そっか……!」
嫌われていない。それが聞けただけで不安はほとんどなくなった。
あなたが私たちと距離を取ろうとしているのには、何か理由があるんだよね。でも、その理由を知らないと、これ以上の関係は望めないと思った。
ゆっくりでもいい。
それでも、もっと彼女と仲良くなりたい。
「芽瑠の負担にならないように、これからも仲良……一緒に遊んだりしてもいいのかな」
芽瑠は私の言葉に答えず、スマホの画面を見せてきた。
「ん」
「……何、これ」
「ファミレスのクーポン」
「え?」
「夕飯を食べながら……話さない?」
「……っ! うん!」
さっきまであんなに泣いていたのに今は芽瑠との時間を楽しみでしかたない。私って単純だ。
「いただきますっ」
二人で食事をする。
「ねえ、さっきの続き、話してもいいの?」
「……いいよ」
手に持っているフォークを置いて話し始めた。
「私はさ、芽瑠ともっと遊んだりしたい」
「……うん」
「でも、芽瑠は迷惑なのかなって」
「……そんなことはないんだけど」
「……でも朝も何か言いかけてたよね?」
「それは……」
また芽瑠は言い淀んだ。「仲良く」とか「友達」という話題に何か抵抗があるようだ。私は急かさないように彼女の言葉を待った。
「私、ちゃんと理由聞きたい。ゆっくりでいいから。芽瑠の抱えていること……教えて」
「……ほかの人には秘密にしてくれる?」
「もちろんっ!」
私の言葉をきっかけに、芽瑠の表情が綻んだ。その姿はいつもの冷たくて近寄り難いものとは違った。
「あたし、誰かと仲良くなるのが怖いの」
初めて見る芽瑠の表情。諦めにも似た憂いを帯びたような表情。
「どうして?」
「親の影響で転校が多くて……それで、仲良くなった人が離れていくことがとても怖くなった」
「……えっと、転校で離れるのが怖いってこと?」
芽瑠は首を横に振った。
「そうじゃなくて、言われたことがあるの」
彼女が頬杖をついた。
「すぐにいなくなるのに、どうして私に近づいたのって……」
「なにそれ」
「あの子の涙、言葉が忘れられなくてずっと残ってる」
いつもより自然な口調、でも声はいつもの芽瑠のまま。きっとこっちが本当の芽瑠なんだ。
「照井芽瑠はあまり他人と関わらない。安易に関係を結ぶと、その関係がすべてだった人を傷つけることがあるから」
芽瑠の眉間にシワが寄る。
今朝のことを思い出した。
「本当は……浅倉さんがあたしに向けていた気持ち、なんとなく分かってた。だけど、浅倉さんにも、自分にも嫌な思いさせたくないよ」
「何それ……なにそれっ!」
私は声を荒げた。芽瑠は驚いたように目を見開く。
「な、なに……?」
「納得いかない!」
「どういうこと……?」
「私は芽瑠から離れない」
「えぇ……?」
「私、自分のことばっかりだし、他人の顔色で行動するような女だけどさ」
身を乗り出して、顔を近づける。
「迷って後悔はしたくないっ! 選んだことを言い訳もしないっ! だからさ――」
なんか体が熱い。自分の中の熱が止まらない。
湧き出る言葉、想いを咀嚼しないでそのまま吐き出す。
「芽瑠の側にいさせてよ。仲良しって……思わせてよ」
「……それは」
「私、もっと芽瑠を知りたい。仲良くなりたい。だって……」
好きなんだもん。とは、さすがに言えなかった。
「……そこで終わりなの?」
「んんんっーー!」
「……あはは」
「何がおかしいの!」
「告白みたいだ」
「なっ……」
急に変な汗が出てきた。
告白みたい? というか……さっきの言葉、重くなかった!?
あたふたしている私に芽瑠は笑いながらそっと手を伸ばした。
「ありがとう」
「……芽瑠」
芽瑠の手は小さくて、冷たくて。自分の手とは違う。それが妙に心地よくて。
「なら、責任取ってずっと側にいてよ?」
「……っっ!!」
「あたし、めんどくさいと思うけど……」
覗いた青い瞳の中に私が映っている。その姿は耳まで赤くなっていた。
これじゃまるで――
「……二人だけの秘密だよ、泉」
私は芽瑠に抱いていた気持ちの名前に気がついた。
これは、恋だ。
私は芽瑠に恋してしまったのだ。




