間違えた温度①
二章始まりました。
ここからは現在進行形で書いてます。
きっと焦ったのだろう。
ゆっくり関係を作っていけばこんなことにならなかったのかもしれない。
でも、こんな関係でも……いいのかなって。
季節は七月。街では蝉が鳴き出した。
「暑っ……」
今日は土曜日。この間、約束していた映画の日だ。
赤谷で遊ぶのかと思っていたが、先日「せっかくなら都内にしよう」と浪漫が言い出した。
「うーん、ちょっとフォーマルすぎるかな」
駅の通路に設置された鏡で全身を確認する。
グレージュのセットアップに黒のパンプス。久しぶりの東京だったので、背伸びして大人っぽさを意識してみたけど、これじゃ仕事に行くOLみたいだ。
駅の構内、壁一面に設置された鏡の前で、くるりと身を翻して頬に手を添えてみる。……なるほど、ポーズによってはかなりマシになるかも。
「ねえ、あれ可愛くない?」
後ろから声が聞こえてきた。
どうやら夢中になりすぎていたようだ。
早足でこの場所から離れて、待ち合わせ場所へ向かった。
駅の外に出ると、ビルの隙間に青空が広がっていた。
東京には以前、養成所のメンバーと来たことがある。結成されてすぐの頃、みんなで「これから頑張ろう」って、今じゃ着られないような派手な色の服を買った。
もう、どこにしまったかも覚えていない。
待ち合わせ場所に着くと、スマホが振動した。バナー通知には「ごめんなさい、電車が遅延してて遅れるわ」と表示されていた。
日差しを避けるため近くの建物の中に入った。念のため、紅葉に「雑貨屋にいるよ」と連絡を入れておく。
店内に入ると横から名前を呼ばれた。
「浅倉さん」
「……え? 芽瑠っ!?」
芽瑠の私服の姿を初めて見たのでとても新鮮だった。
「どうしたの! 今日はどこか遊びに行くの?」
「どうして?」
「あ、いや、ごめん! ちょっと気になって」
芽瑠はこれから、どこかへ行くのだろうか。
つい口にしたが、聞き返されたので、反射的にはぐらかしてしまった。
「なんで謝るの?」
「いや、なんかあんまり詮索されたくないかなって」
「そう」
「あはは……」
芽瑠が転校してきて一ヶ月が経った。
最初の頃よりは少しだけ打ち解けて、距離も近づいたと思う。
関係が変わったわけじゃない。
ただ、ふと目線があった時、学校ですれ違った時、そんな瞬間に発生する空気感が自然になった。そんな感じだ。
彼女は棚に並んだ髪飾りを見ていた。
ガラス越しに差し込む光が、無防備に伏せられた長いまつ毛の美しさを際立たせている。
ああ、やっぱり綺麗だ。
もっと仲良くなりたい。
もっと彼女を知りたい。
「……何?」
無意識に手を伸ばしていた。
芽瑠がこちらを見ている。
「な、なんでもないよっ!ただ私たち、仲良くなれてきたなーって」
無自覚についそんなことを口にした。
何気ない言葉。芽瑠の表情が歪む。
眉間に皺を寄せた芽瑠の口が動いたのと同時――
「おまたせ〜!!」
二人の時間は中断された。
背後から聞き慣れた声がしたので振り向くと、浪漫と紅葉が入口からこちらに向かって来ていた。
「待たせたわね、電車が止まっちゃって」
「……あ、うんっ! 大丈夫だよ!」
映画の上映はお昼過ぎなのでまだまだ時間はあった。
「照井さんもお待たせ。今日の服、おしゃれね〜。いつものイメージとは違うわ」
「別に」
芽瑠はいつもの様子に戻っていた。
先ほどの様子は気のせいだったのだろうか。
自然に会話する二人を横目に、私は浪漫の耳元に顔を寄せた。
「ねえ、今日って芽瑠も一緒に来るの?」
「そうっ! 誘ったらオッケーしてくれた!」
「……あ、そうなんだ」
つい暗くなった声色に浪漫が食いつく。
「あれ、もしかして嫌だった?」
「……あ、いやっ! 全然、嫌とかじゃないよ!!」
嫌ではない。芽瑠が一緒に遊んでくれるのは嬉しいはずだった。
でも、どうしてだろう。
さっきの表情が脳内をちらついている。
ふと芽瑠の方を見ると、一瞬だけ目が合った気がした。
思わず視線をそらす。
「ふーん。まあ、いいや。とりあえずご飯食べようぜ!お腹すいたよ」
私たちは先に昼食をすることになった。
移動している最中、芽瑠はどこか遠くを見ているようだった。
「ご飯美味しかったね!」
「ええ、とっても美味しかったわ」
そんなことを話しながら私たちは映画館に入った。
映画館の中も寒いくらい冷房が効いていて、私は脱いでいた上着を羽織った。
シアター内に入るとすでに席はかなりの人で埋まっていた。
「もうすぐ始まるな!」
「始まったら静かにね」
「ちゃんと予習はしてきた?」
「ええ、バッチリよ!」
右横では浪漫と紅葉が盛り上がっていて、左側では芽瑠がスマホを触っていた。
私が温かい飲み物に口をつけようとすると、場内の照明が落ち、スピーカーから大きな音が流れ始めた。同時に周囲の話し声も止んでいった。
映画は終盤を迎えた。次は主人公がヒロインを助ける感動的な場面だ。
右側では、涙を堪えるように鼻を啜る音が聞こえていた。
主題歌が流れ出す。
私は思わず体を強張らせてしまう。
飾り気がなくて、すっと心に浸透するような歌声。
これはカノンの声だ。
胸の奥で澱んだ感情が渦を巻いた。
――どうして、カノンじゃなくて私をセンターにしたの。
――そうしたら、私も辞めないで続けていられたかもしれないのに。
軽い吐き気を催した。
気持ちを切り替えようと席を立ち、なるべく目立たないようにシアターから出てお手洗いに向かった。
「はぁ……」
蛇口を捻ると水が流れる。
陶器を打つ水の音がやけに響いていた。
顔を上げる。
鏡に映る自分の顔は酷いものだった。友達と遊びに来ているのに、なんて辛そうな顔をしてるんだろう。
「泉……大丈夫?」
後ろを見ると紅葉が立っていた。
「……うん、大丈夫だよ」
「顔色すごく悪いわよ。向こうの椅子で休みましょ」
紅葉に支えられて通路の椅子に座った。紅葉は席を立ち、横の自販機で何かを買っている。
戻ってきた紅葉は、手に持っているスポーツドリンクをこちらに差し出した。
「平気?熱もないし、熱中症とかでもなさそうだけど」
「うん……映画に酔っただけみたいだから、大丈夫そう……。ごめんね、わざわざついてきてもらって」
紅葉がすぐ隣に座る。長い髪から甘い匂いが香った。
「いいわよ。今朝から少し泉の様子がおかしかったから気になってたし」
「……あ、ほんと?」
「ほんとよ」
「……そっか〜。多分、寝不足かな」
気持ちが晴れない。
寝不足はしていたけど、きっと体調不良にはあまり関係ない。
おそらく、映画を見て、FruiTriangleを思い出したことが原因なのだろう。
でも、それだけではない。
今日はずっと気持ちが重い。
今朝の芽瑠の表情だってずっと脳裏にこびりついている。
「体調良くないなら、言ってくれれば良かったのに」
「あはは、それも考えたんだけどね〜……」
思考とは別に、紅葉との会話が続いていく。
何気ない言葉、無難な返答。
私は紅葉の言葉を心のどこかで、何も分かっていないと決めつけて聞き流していた。
先日、フルトラのことを打ち明けたので、映画は楽しめると思った。前日までとても楽しみだった。だけど、曲が流れた途端、嫌だったことが溢れてきて息が詰まった。
「なんで体調のこと言わなかったの?」
「この間、フルトラの話したじゃん?」
「うん」
「もし今日来なかったら、みんな気を遣っちゃうかなって思ったんだ」
「……それで来たの?」
「まあね〜」
「……」
紅葉からすぐに返事がない。
不思議に思い、紅葉の方を覗くと突然チョップが飛んできた。
「あいたっ!」
「気を遣いすぎっ! そんなに相手ばっか考えて行動してたら疲れるでしょ? もっと自分を大切にしなさいよ」
自分を大切にしなさい……か。
紅葉が私を心配してくれているのは、とても嬉しい。でも、私は素直に彼女の言葉を受け取れなかった。
私は気を遣いたいんじゃなくて、気を遣わないと不安だから。
拒絶されること、嫌われることがとても怖い。
だから、他人を窺いながらいつも自分のことばかり考えている。
紅葉は目線を下げて私の顔を覗き込み、困ったように笑った。
「わかった?」
「……わかったよ」
紅葉の私に対する気持ちはとてもよく伝わった。
「よし、いい子いい子。そんな気遣い屋さんの泉が好きよ」
私は、紅葉から向けられた優しさの上澄みだけを掬い取った。
紅葉に頭を撫でられる。心地よい。
頭を紅葉の方に預けると、一瞬、紅葉の体が強張った。
「わっ! どうしたのよ」
「紅葉っ、私も好きだよ」
「……急に言われると照れくさいわね」
「好きってもう一度言って?」
「え、ええっ!?」
「はやく~っ」
「……泉、好きよ」
「えへへ〜。嬉しいっ」
嫌なことに蓋をして、楽しいと思い込む。
そうすればいつもの私に戻れると思った。
でも、今日はちっとも上手くいかない。
フルトラのことは大丈夫。でも、芽瑠のことは、考えないようにしてもまた、すぐに考えてしまう。
あの日の言葉を、忘れてしまえばいい。
今日のことも忘れてしまえばいい。
聞かなかったことにして、このまま四人で笑っていればいい。
でも、それができない。
嫌われていないか。
私たちと一緒にいたくないんじゃないか。
芽瑠の口から「そんなことないよ」と否定してもらえないと、どうしようもなく不安だった。
「……もう映画終わるかな?」
「上映時間はあと十分くらいあるわ」
「……そっか。まだ少し時間あるね」
「そうね」
とても嫌だった。
自分で自分をどうにかできないのがとても辛い。
「……ねえ紅葉。……もう少しだけ、こうしてていい?」
「仕方ないわね」
「優しいじゃん」
映画が終わると、浪漫と芽瑠がシアターの外へ出てきた。私と紅葉は先に外で待っていたため、二人を出迎える形になった。
「おーい」
「あ、モミジとイズミー!」
駆け寄ってきた浪漫が私の手を取った。
「大丈夫か?」
「うん、もう大丈夫」
「なら良かったよ!うち、心配で心配で!」
「……出ていったの気付いてなかったのに?」
「うっ……」
思いがけない芽瑠の指摘に、浪漫が固まった。
「いやいや、大丈夫! もう治ったから!!」
「……ごめんよぉ、薄情な奴でよ〜」
「ほら、入口で騒ぐと邪魔だから向こう行くわよ」
紅葉に先導されて私たちは映画館を出た。
浪漫から映画の感想を聞きながら、駅に向かっていた。
「それでね! さっきテルイちゃんに、今日来てよかった?って聞いたら、まあね、って言ってくれたんだよ。うち嬉しくってさぁ〜」
「あら、そうなの?」
「うるさいし、うざい」
「ひどくない!?」
浪漫が芽瑠に抱きつこうとした。それを芽瑠が手で制する。
「来ないで、あっちいって」
その様子を紅葉は笑いながら見ていたけど、私はうまく笑顔を作れなかった。芽瑠を見ていると、胸の奥が落ち着かなかった。
もやもやして、嫌な気持ちは私の感情を支配していった。
「ごめん……あのさ」
「どうしたのイズミ?」
「……あんまり体調良くないから、先に帰るね」
「あ、そうだよね。なら、うちらも解散しようか――」
「いいの! 三人は楽しんで!!」
「え、ちょっ!?」
私は浪漫の言葉を待たずに後ろを向いて走り出した。
体調は悪くない。だけど、涙が溢れてきて、感情を抑えられなかった。あのままいると嫌なことを言ってしまう。
息苦しいのは泣いているから?
それとも走っているから?
喉が乾いて鼻の奥がツーンとした。でも、出てくる涙の理由がよく分からなかった。




