始まりの歌③
浅倉さんはいつも一歩遠くから遠慮がちに物事を見ている。相手の顔色を窺って、嫌なことを嫌と言えない。自分より他人を優先してしまう、気遣い屋さん。
そんな人がどうしてあたしに近づいてきたのだろう。
あたしみたいなタイプは、一番苦手だろうに。
傘を打つ雨の音がポツポツと響いた。
学校からカラオケ店へ向かう道だ。
紅葉と浪漫が少し先を歩き、あたしは浅倉さんの隣を歩いていた。
「ねえ、モミジ。うち、またあの曲聴きたい」
「浪漫って、ほんとあの曲、好きね」
二人の会話を聞きながら、あたしは隣にいる浅倉さんに話しかけた。
「……歌、苦手なの?」
浅倉さんは一瞬目を見開いたが、すぐに口元だけを持ち上げた。
「……うん、まあね」
「意外」
「そうかな?」
「得意そうに見える」
「……えっ」
表情がまるで隠せていない。
不安なのにそれを隠すように笑う。
ただ歌うことが苦手なだけで、そんな顔をするのだろうか。
「……どうしてそう思ったの?」
「なんとなく」
「……そっか。すごいね、照井さん」
何度もその笑顔を見てきた。なんでそんなに無理に笑うのだろう。
「照井さんは歌うの好きなの?」
「……好き」
「意外かも」
「そう」
歌を聴けばその人の性格や感情、考え方が伝わってくる。
ただの気まぐれだ。あなたの歌を聴いてみたいと思った。
カラオケ店に着き、受付を済ませると部屋に案内された。
「よし、一番手!橋本浪漫!!いきますっ!!」
一番手は橋本さん。あたしの苦手な人。
選曲は演歌の有名曲。周りを気にしない選曲だ。
怖いもの知らずで堂々とした歌い方。間違っていても止まらず、まっすぐ自分を突き通す。そんな彼女の味がよく出た歌だ。
「やっぱ浪漫はこの曲よね~」
横で日向さんは頷き、浅倉さんはニコニコしながら手を叩いていた。
あっという間に曲が終わった。
「いやー、歌った歌った!!で、次は、モミジだよね?」
「ええ、採点も入れてばっちりだわ!」
「え、勝手にいれたの?」
「二人の番になったら消していいから!私は何としても95点を超えるの……っ!」
「あはは、がんばれ~!」
日向さんが歌うのはポップスの有名曲。ハイトーンの男性ボーカル曲だ。丁寧に、それでいて大胆に歌っていく。一音目の入りも慎重で、音を外さないよう声を当てていく様は、いかにも優等生という感じだった。
「くそっ!!94.8!!」
「紅葉、上手!!」
「やっぱ、モミジのこの曲めっちゃ好き!めっちゃいい!」
「あ、ありがと!……あとは、二人だけど」
「せっかくなら何か歌ってみたらどう?」
あたしたちの番が来た。二人の視線が集まる。
横に目をやると浅倉さんは落ち着かない様子だ。
「浅倉さん、歌わないの?」
「……うん、私は聴いてるだけでいいよ」
あたしは彼女の歌を聴いてみたい。
橋本さんが何か思いついたように両手を合わせた。
「なら二人で歌ったらどう!?」
「確かに!それなら恥ずかしくないんじゃないかしら?」
「げ……」
この人もたまには空気を読めるんだ。浅倉さんは困っているけど、今はこの流れに乗ることにした。
「この曲なら知ってる?」
「……え、うん。一応、知ってるけど」
「なら、一緒に歌ってほしい」
「おー!テルイちゃんいいよ!イズミ、観念して歌え!!」
浅倉さんは考えるように腕を組んだ。だけど、その手は少し震えていた。
十秒ほどたっぷり悩んだ後、諦めたように息を吐いた。
「…………わかったよぉ」
「よしっ!!」
日向さんと橋本さんはハイタッチをしていた。
あたしは彼女の気持ちが変わらないうちにすぐ曲の予約をする。
イントロが流れ出した。
控えめな伴奏で始まる、愛を歌ったバラード曲。
女性デュエットの珍しい曲だ。
彼女の表情は周りの盛り上がりと反比例するように曇っていった。
「先に歌うね」
「……ありがとう、お願い」
そわそわとした様子でぎこちなく笑う浅倉さん。もしかしたら、無難にこなして本気で歌わないかもしれない。
歌うことが嫌というより、歌っていいかを躊躇っているように思えた。
――大丈夫。我慢しないでいいから。
曲に浸っていく。イントロが終わったら、あたしのパートが始まる。
――聴いて、あたしの想い。
息を吸って、声を出した。
声に自分の想いを乗せる。
難しいことを考えなくていい。
歌詞があたしの中に落ちてくる。
「……おおっ!!テルイちゃん上手すぎっ!!」
「……や、やるわね!」
ああ、やっぱり音楽は素敵だ。この没入感。
楽しい。気持ちいい。
「……」
浅倉さんは口を閉じてこちらを見ていた。
どうしてそんな不安そうにしているの?思いっきり歌っていいんだよ。
あたしは苦手なりに精一杯、笑ってみせた。すると、浅倉さんのぎこちない表情が綻ぶ。
さあ、次はあなたの番。あたしの想いに答えて。
きっと……、あなたは歌えるんだよね。
頷くと、浅倉さんはゆっくりと息を吸った。
一小節のブレイク。
Bメロが始まった。
彼女の声が聞こえた瞬間、部屋の雰囲気が変わる。
「……やっぱり」
この人は歌に生きてきた人だ。さっきまで不安そうだった人の歌声とは思えない。
「マジかよ……」
橋本さんの声が聞こえた。
日向さんは手を口に当てている。
ハスキーな歌声は普段の彼女とは違う印象だった。
彼女の歌には、一度惹きつけた人を離さない、暴力的な魅力。
……すごい。
彼女の想いが心に色を付けるように、あたしの気持ちが昂っていく。
伴奏が盛り上がってきた。
サビが近い。二人で歌うパートだ。
ても、浅倉さんには遠慮があるみたいだ。
きっと、サビはあたしに譲ろうとする。
でも、あたしはもっとあなたの歌を聴きたい。
あなたにメインパートを歌ってほしい。
彼女がマイクを口から離そうとする。
だから、あたしは首を振った。
ダメだよ、そのまま歌って、と――
彼女はあたしを見て、小さく頷いた。
あたしもマイクを口に近づける。
――あなたを引き立てるから、その歌をもっとあたしに聴かせてほしい。
二人で息を吸う。
そのまま、サビに入った。
曲が終わった。
しばらくの静寂が流れる。
最後の音が消えても、浅倉さんはマイクを握ったまま動かなかった。
目が合うと、彼女は夢から覚めたように息を呑んだ。
「……泉、あなた……」
日向さんは勢いよく立ち上がり浅倉さんの肩を掴むと、しばらく下を向きながら、わなわなと震えていた。
「なんで今まで、私たちの誘いを断ったのよっ!!!」
「……え、え」
「そんっなに、上手いのにどうしてよ!ああ、もう理解できない!!」
日向さんは半泣きで浅倉さんの肩を激しく揺すり続けた。浅倉さんはただ苦笑いをしていた。
「ひどいじゃない!!バカ」
「ええ!なんでよぉ!」
「なんででもよ!!」
何度も揺すられながら、どうしたらいいのかわからない様子の浅倉さん。でも、表情はとても楽しそうだった。先ほどまでの不安げな様子もない。
「というか、イズミだけじゃなくて、テルイちゃんもマジヤバくない?」
「ほんとよね……」
「何、あのハモリ……?」
橋本さんと日向さんが、あたしの話をしているようだ。だけど、あたしは熱に浮かされていて二人の話はあまり耳に入らない。
心臓は今も、速い鼓動を刻んでいた。
2026/10/01
読みやすく改行など訂正。
2026/10/03
軽微修正。
一箇所、私→あたしに修正。




