始まりの歌②
テレビで天気予報が流れていた。
空は曇っていて、午後には雨に変わるらしい。
テーブルには母が作った朝食が並んでいく。
「お父さんはもう出たの?」
「うん、今日は早かったみたいよ」
「ふーん」
朝食を済ませ身支度をした。バッグに折りたたみ傘が入っていることも確認した。
今日は照井さんとたくさん話そう。
そう意気込んで学校に向かった。
教室に入ると、浪漫が紅葉の席に座っていた。
「お、イズミ、おはよ」
「おはよ。あれ、紅葉は?」
浪漫は前を指差す。
視線を移すと、紅葉が照井さんに話しかけていた。
「浪漫は行かないの?」
「うん、すぐ戻ってくると思うから」
どういう意味だろうと考えていると、紅葉がこちらに戻ってきた。
「話できた?」
「んー、あんまりね。もっと心を開いてくれればいいのだけど」
「よし、うちが行ってくる!」
入れ替わるように浪漫が立ち上がり、照井さんの方へ走っていく。
「あまり話してくれないの?」
「そうね。相槌はしてくれるけど、すごく迷惑そう」
席についた紅葉はお手上げとばかりに両手を上げた。
確かに大人しいとは思ったけど、昨日はそんなに愛想の悪い感じには思わなかった。
「どんな話をしたの?」
「クラスには慣れた?とか、前の学校はどんなところなの?とか、普通の話よ」
話題の選び方が特別おかしいわけでもない。
そんなことを話していると、満足げな顔の浪漫が戻ってきた。
「早いわね、どうだったのよ」
「ダメだった!うざいって!」
「……ええ?」
私は驚いたが、紅葉は意外そうな様子もなかった。
目が合った浪漫はきょとんとした表情で首を傾げた。
「どうしたのイズミ?」
「いや、うざいって言われたのに全然平気そうだから」
「あはは、ちょっとしつこかったかな〜」
大声で笑っている浪漫。拒絶されたのにどうしてそんな笑顔でいられるのかよくわからなかった。
きっと私なら傷ついてしまう。
「あの子はうるさいのとか嫌いそうだし、浪漫とは合わないと思ったわよ」
「あはは!まあ、明日は好きになるかもしれないし!」
流石だよ、浪漫。
「じゃあ、次はイズミな!」
「え、私も行くの!?」
「うん、早く行ってこい」
「頑張ってね、泉」
友達と話すのは好きだけど、こういうナンパみたいなことは昔から苦手だ。
私は胸を押さえながら、照井さんのもとへ向かった。
「て、照井さん、おはよ」
「……浅倉さん」
一瞬だけ目が合った。だが、すぐに彼女は視線を逸らしてしまった。
「あ、ごめんね、今忙しいかな」
「……別に」
確かに昨日よりそっけない。イヤホンをしているし、スマホをずっといじっている。照井さんは転校初日に感じた、冷たい雰囲気を纏っていた。
――怖い。
「また出直すね」
「……そう」
私は居た堪れなくて、立ち去ろうとした。
ても、どうしてだろう。
ここで引き下がるのはとても嫌だった。
浪漫も紅葉も上手く話せなかったから?
私だけ特別だと思ってほしいから?
私の感情はうまく処理できなかった。
でも、今朝決めてきた。
照井さんと話すって決めてきたんだから。
私は息を吸ってもう一度振り返る。
「あ、あのさ……っ!」
意図せず大きな声が出たことに、自分でも驚いた。
照井さんが振り返り、青い瞳と目が合った。その瞬間、喉まで出かかった言葉が引っ込んだ。
でも、ここで黙ったらきっと後悔する。
「……今日、お昼一緒に食べない?」
「え?」
突拍子もないかもしれないし、断られるかもしれない。
だけど――
「また、昨日みたいに二人で話したいな。……ダメ、かな?」
私の声、震えていたかもしれない。
彼女は視線を落とし、そのまま口を開いた。
「……わかった、いいよ」
「ほんと!?」
「うん」
私は心の中でガッツポーズをした。
午前の授業はあっという間に過ぎていった。
昼休みを告げるチャイムが鳴った。
私は席まで彼女を迎えに行く。
「照井さん、お昼行こっ!」
「うん」
「教室だと落ち着かないし、学食行こっか。お弁当は持ってるかな?」
「ない」
「それなら一緒だねっ」
学食は階段を下りた先、反対側の校舎にある。私たちの教室からは一番遠かった。
移動中も彼女はやはり素っ気ない。それでも、これから二人でお昼を食べられることを考えると心が躍るようだった。
学食に着くと、すでに入り口まで大勢の生徒で埋め尽くされていた。
「うわ……ちょっと待っててね」
大勢の生徒で埋まった学食へ飛び込み、どうにかカウンター脇の購買までたどり着く。菓子パンを二つ買い、照井さんが待つ入口へ戻った。
「……くれるの?」
「うん!照井さんの分!」
「いくら?お金払う」
「わかった、百円ね!」
買ったパンを持って中庭へ移動する。人影は二、三人ほどあるが、食事をしている人はいなかった。照井さんに先に行くように促して、私は近くの自動販売機で飲み物を買った。
照井さんって何が好きなんだろう。
買っていってあげようかと思ったが、迷惑かもしれないのでやめることにした。
ベンチに向かうと先に座っていた彼女は、パンの袋を開けたまま私が戻るのを待っていた。
「おまたせ。……天気悪いね」
「うん」
「午後から雨なんだって」
やっぱり、昨日よりも素っ気ない。
元気もないように思えた。
「あのさ」
昨日の夜、布団の中で考えていた仲良くなるための方法。
安直かもしれないけど、距離を縮めるには分かりやすい方法だと思う。
自分の中の私たちが会話をしている。
大丈夫。
気持ち悪くないかな?
友達だし大丈夫。
お昼だって一緒に食べてるんだし、いいよね?
断られても言い訳できるように、たくさん準備してから声をかけた。
「……下の名前で呼んでもいい?」
「え?」
「嫌なら全然いいんだけど」
芽瑠はしばらく黙っていた。
やっぱり嫌だったのかもしれない。私が慌てて取り消そうとしたとき――
「……人がいないところならいいよ」
下を向く彼女の表情は窺えない。だけど、嫌がっているようには思えなかった。
湧き出てきた嬉しさを悟られないように言葉を続ける。
「えと、誰かに見られるの嫌なの?」
「……うん」
よく意味がわからなかった。恋人でもあるまいし、そんな気にすることがあるだろうか。
「……わかったよ、芽瑠。良ければ私のことも泉って呼んでね」
それから、お互い何も話さず食事をした。
心は盛り上がっているけど、落ち着いているような感じ。
校舎から聞こえる話し声と、風に草木が揺れる音。無言のこの時間は、なんだか心地よかった。
私がパンを食べ終わると、芽瑠も空になった袋を丸めてポケットに入れていた。
私たちは並んで、同じ方向を向いた。
「お昼誘ったの迷惑だった?」
「べつに」
芽瑠に、今朝ほど張り詰めた様子はない。
私は慎重に、気になっていたことを切り出した。
「……あの、さ。気になってたんだけど……」
「なに?」
「……学校で、人を避けてたりする?」
彼女の肩がピクっと揺れた。まずいと思い、咄嗟に聞き方を変える。
「あ、いや……迷惑なら声かけるの……やめようかなって
「……なるべく、ほっといて欲しい」
「そう……なら、あまり話しかけない方がいいよね?」
「……みんなの前じゃなきゃいい」
「え?」
「目立ちたくないから」
さっきと同じだ。芽瑠は誰かに見られたりすることを極度に警戒しているようだ。
「わかったよ。無理に話さないように紅葉と浪漫にも言っておくね」
「うん」
「……そういえば朝、浪漫に何言われたの? 浪漫が、芽瑠と話せなかったって言ってたから」
芽瑠の表情がさらに曇った。
「……あの人やだ」
「そっか……嫌なこと言われた?」
「……そういうのじゃない」
浪漫は確かに強引だけど、悪い子ではない。むしろ、私にとっては大切な友達だ。
だからだろうか。芽瑠の「やだ」という言葉が私の中で引っかかった。
「私がね、入学してからよく一緒にいるのは、紅葉と浪漫なんだ。もともと、あの二人は幼馴染で、そこに私が混ざった感じ」
「……うん」
うつむいた芽瑠の顔を、前髪の影が隠していた。
「紅葉も、浪漫もさ、私の自慢の友達。きっと、二人も芽瑠と仲良くしたいんじゃないかな」
強要するつもりはない。人の合う合わないは仕方のないことだ。でも、みんな仲良く過ごせる学園生活がいいなって、そんなことを思いながら、独り言のように話し続けた。
「……私は浪漫、紅葉、そして芽瑠、みんなと仲良くしたい。だから……」
友達になれないかな。
そう言おうとしたとき――
「……余計なお世話だから」
私の言葉を遮るように、芽瑠の声が重なった。
「え?」
もう一度聞き返す。
「なんて言ったの?」
「……余計なお世話。仲良くはできない」
芽瑠は立ち上がった。その表情は苛立っているよう……いや、苦しそうに思えた。
「……どうして?」
「……言えない」
「……え、芽瑠っ!」
芽瑠は返事をせず、足早に校舎へ戻っていく。
私はその背中を追いかけられず、芽瑠が消えた校舎の入口を見つめていた。
風が吹いてきた。今日は六月なのに妙に肌寒い。
周囲に誰もいなかったので、肩を落として、大きな声でぼやいた。
「……はあぁ……なんでよぉ〜」
ああ、結構きついなぁ。
何か間違ったのかな。
早まったかなぁ。
下の名前で呼んでいいと言われたあたりから浮かれていたのかもしれない。いや、そもそも、二人でお昼を食べられると分かった時からだ。芽瑠にとって、自分だけ他の人より特別なんじゃないかって思ってしまった。
だから、芽瑠に「あの人やだ」と言われたとき、少しムキになってしまった。そういうことは思ってても、言わない方がいいよって言いたくなってしまった。
遠くで雷が鳴った。予報どおり、もうすぐ雨が降りそうだ。
放課後のチャイムが鳴ると同時に浪漫が抱きついてきた。
「イズミーっ!」
「どうしたの」
「イズミ成分を充電したかった!」
「……はいはい」
浪漫の頭を撫でていると、紅葉が神妙な面持ちで尋ねてきた。
「そういえば、照井さんとのお昼はどうだったの?」
「あ、うん……楽しかったよ」
頭の中の整理がついていなかった。私は芽瑠に嫌われてしまったのだろうか。
「なんかあったの?」
「……いや、別に」
「ほんとぉ?」
浪漫が鼻がぶつかりそうなくらい顔を寄せてきた。驚いて思わず体を逸らした。
「……う、うん、ほんとだよ?」
「まあ、それならいいんだけどさぁ……」
私から離れた浪漫は、窓枠に寄りかかり足をぶらつかせた。窓の外では雨音が響いていた。
「そーいえば、転校生ちゃんってずっとイヤホンつけてるじゃん。あれ、何も聞いてないらしいよ」
「そうなの?」
芽瑠は基本的にずっとイヤホンを付けているらしい。確かに今朝も付けていた。多分、あれで周りを遠ざけているのかもしれない。
「そう!よくわかんないよね〜。だから、『なんでなんで?』って質問してたら『うざい』って言われちゃった」
「浪漫って、笑いながら神経を逆撫でするタイプよね」
「ひどいよっ!モミジっ!」
浪漫が泣いたフリをしていた。いつものことなので紅葉は無視している。
「照井さんは一人が好きなだけじゃないの?」
紅葉の言った通り、一人でいるのが好きな人はいる。でも、本当にそれだけだろうか。駅で話したときは、ここまで人を避けているようには見えなかった。
「……私、もう一度しっかり話したい」
席に彼女はいなかった。教室を見回しても見つからない。
「あれ……照井さんもう帰った?」
「さっき出ていくところを見かけた気もするわ」
「よしっ!うち、追っかけてくる!」
「あっ!ちょっと!!」
浪漫は教室から飛び出ていった。
紅葉は頭を抱えた。
「あのバカ……」
「あはは、すごいねぇ」
「私たちも向かいましょう」
私と紅葉も教室を出て二人を追った。
一階に下りると、浪漫と芽瑠はすぐに見つかった。
下駄箱の前で浪漫が芽瑠の進路を塞ぎ、引き止めるように手首を掴んでいた。芽瑠は迷惑そうに眉を寄せ、掴まれた手を振りほどこうとしていた。
浪漫は私たちに気付くと手を振ってきた。
「モミジーっ!! イズミーっ!!」
「あの……バカ……」
私たちは二人のもとまで駆け寄った。
そして紅葉が、ニコニコしている浪漫の頭を思いきり叩くと、鈍い打撃音が響き渡った。
「照井さん、ほんっとごめんね!」
芽瑠は頭を押さえて倒れている浪漫を睨んでいた。
「このバカにはよく言っておくから!!」
「……こんな強引な人、初めて」
……芽瑠、すごい怒ってる。
だけど、怒った顔も可愛いと思ってしまった。
浪漫が起き上がると、芽瑠は私の肩を掴み、盾にするように前へ押し出した。
「あたたたた……」
「そういう強引なのやめなさいって言ったでしょ?」
「だ、だってぇ~、テルイちゃん逃げようとするから~」
「あんたがそういうことするからでしょ!」
浪漫は頭をすりすりしながら立ち上がった。スカートを手ではたくと、何か思いついたように手を合わせた。
「あ、そうだ!テルイちゃんっ!」
「……なに?」
ぐいっと、芽瑠と距離を詰めて笑った。
「一緒にカラオケ行こ?」
「……は?」
芽瑠はずっと浪漫を睨みつけたままだ。だが、浪漫は全然気にしない様子で話を続けた。
「一緒に遊びに行けば仲直りできるかなって!」
目つきがますます険しくなった芽瑠を宥めるように、紅葉が助け舟を出した。
「……照井さん、断っていいからね。このバカと二人でカラオケ行こうって話してただけだから」
「だって、仲良くなるなら、カラオケでしょ!?」
「仲良くなってから行くのがカラオケでしょ?合コンじゃないんだから!!」
「何が違うの!?」
「全然違うでしょ!!」
結局、紅葉と浪漫の言い合いが始まってしまった。このままでは話が進まない。私が止めに入ろうとした、その時だった。
「……浅倉さんも一緒に行くの?」
「え、泉?」
「だって、仲のいい人と行くって」
「いや、イズミは……」
「……なんで?仲間外れにするの?」
「ああ、違う違う! そういうのじゃなくて。……えっとね」
じりじりと浪漫に詰め寄る芽瑠。浪漫はこっちに目線を送ってきていた。
「二人とも、私が歌うの苦手なの知ってるから」
そう言いながら私は、二人の間に割って入った。
「だから……いつも断ってるの」
二人は私の事情だから、勝手に話さずにいてくれたのだろう。
私が理由を明かすと、紅葉と浪漫も口を開いた。
「泉ったら、何度も誘ってるのに一度も来てくれないのよ?」
「別に下手でも笑ったりしないのにな」
今度は紅葉が芽瑠の前に進んだ。浪漫とは違い、一歩分の距離を空けていた。
「まあ、浪漫の誘いは強引だけど、もし良ければ照井さんも来ない?もっと照井さんのこと知りたいわ」
紅葉が念を押すようにこちらを見た。
「もちろん、泉も」
「げ……」
芽瑠はしばらく黙った後、口を開いた。
「……なんであたしを誘うの? こんなに冷たくしてるのに」
「そうね。それでも、あなたのこともっと知りたいと思ったからよ」
紅葉の真っ直ぐな言葉に、芽瑠はわずかに目を見開いた。
「わかった……。浅倉さんが行くなら……行く」
「おおおっ!!」
「うそぉっ、私も?」
てっきり来ないと思っていた。
昼間の芽瑠との一件もあったし、気まずさと嬉しさが入り混じっていた。
「じゃあ、イズミも連行だ!!」
「ちょっ、ちょっとぉ~、私は歌わないよ~!」
こうして、私たちは四人でカラオケに行くことになった。
昼間の言葉はまだ胸に刺さったままだった。
それでも、芽瑠が「浅倉さんが行くなら」と言ってくれたことが、どうしようもなく嬉しかった。
2026/10/01 読みやすく修正




