始まりの歌①
―――
駅から出ると、空はまだ明るい。
道を走る車はヘッドライトをつけ始めた。
明日から新しい学校だ。
憂鬱な気分を吹き飛ばすために、ワイヤレスイヤホンを耳にはめる。
お気に入りのプレイリスト。
流れてくる心地よいシンセベースに勝手に体が動いてしまう。
一つ、また一つと音量を上げるたびに、あたしがいる世界が遠くなっていく。
――気持ちがいい、無敵になった気分だ。
いつもより歩幅が大きくなる。左手の人差し指で、小さくリズムを刻む。
家までの道はまだまだある。
それまでの至福の時間だ。
――
一章 始まりの歌
六月。
スマホを眺めていると来週から傘のマークが並んでいた。
来週から梅雨入り。雨の日は髪が広がるから困るなぁ。
前髪を軽く整えながら、私は二年六組の教室へ向かった。
「泉、おはよう」
「おはぁ〜」
「二人ともおはよ」
隣の席にいるのは、日向紅葉。美人で頭も良くて面倒見も良いお姉さんみたいな人。前で一緒に話しているのは、橋本浪漫。元気で可愛い。でも、物怖じしないから、たまにかっこいいんだ。たまに、ね。
二人は一台のスマホの画面を見ながら話をしている。画面には映画の上映一覧が表示されていた。
「何の話してるの?」
「土曜日に映画を見に行こうって話をしてたの」
「モミジ~、やっぱりこれにしよっ?うち、この映画気になるし」
浪漫はピンク色のスマホで予告映像を開き、机の上に置いた。
白い背景に桜吹雪が舞う映像が流れ出した。たしか、大ヒットアニメの映画広告だ。
「すごい、力入ってるわね!」
「でしょ?主題歌もアニメ版と同じで、フルトラが歌ってるんだよ?」
紅葉が体を乗り出してスマホを覗き込む。
今流れている主題歌を歌っているのは、FruiTriangle。フルトラの愛称で親しまれている、三人組のアイドルグループだ。
「うんっ、これにしましょう」
「よしっ!それまでにアニメの履修しといてよ?」
楽しそうに話し、盛り上がる二人に私は疎外感を覚えた。
私はこのアイドルグループをとてもよく知っていた。そう……、嫌というほどに。
意識が記憶の中に向いていく。
二人の声がだんだん遠ざかっていった。
――あなたに迷惑をかけたくない
――邪魔になるから一緒に歌えない
一見すると優しい言葉のようで自分勝手な言葉だ。
思い出すたびに胸の奥がチクリと痛くなる。
「おーい。イズミ?」
気付けば二人とも話を止めて、こちらを見ていた。
私も映画に誘われているらしい。
正直、あまり気は乗らないけど二人の誘いを断るのも気が引けた。
「ぼーっとしてた。行くよっ」
「よし!来週の土曜日ね」
「わかった。空けとく」
手を当てていた胸元の生地は、しっとりと濡れていた。
朝のチャイムが鳴ると同時に担任の先生が入ってきて、生徒は一斉にそれぞれの席に着いた。
「じゃ、またあとで!」
浪漫も自分の席へと戻っていった。
いつもと同じ時間に始まったホームルームは、いつもと同じ内容ではなかった。
「今日は転校生を紹介します」
その一言にクラスがざわめいた。先生は特に気にする様子もなく廊下の方へ合図をした。
ドアがゆっくりと開く。
ざわついた教室が水を打ったように静まり返り、転校生の歩く上履きの足音だけが響いた。
肩にかかる艶やかな黒髪。
透き通るような白い肌。
長いまつ毛に縁取られた青い瞳。
――外見だけで人を判断してはいけない。
そんなことは分かっている。
それでも人にはどうしようもなく惹かれる瞬間があるのだと思う。
理由なんて分からない。ただ、彼女から目を離せなかった。
「初めまして、照井芽瑠です。これからよろしくお願いします」
彼女の声は、無機質で冷たい雰囲気を纏っていた。
そのあと先生から促され、窓際の空席へゆっくり歩いていく。
その立ち姿は、百合の花を思わせるほど綺麗だった。
私の心臓はずっと高鳴ってうるさい。
いつも通りのホームルームが始まったが、私――浅倉泉は、彼女から目が離せないでいた。
あっという間に一日が終わり、放課後のチャイムが鳴った。
各々が帰る準備を始める。
「ねーねー、イズミ!転校生、可愛かったよな」
いち早く帰り支度を終えた浪漫が、そう声を上げながら駆け寄って来た。
「うん、可愛かった」
私は授業が始まってからも何度も彼女の後ろ姿を見てしまった。そのたびに見すぎだと思って視線を戻すが、気付けばまた目で追っていた。
自分の席が一番後ろで、こんなに良かったと思ったことはないかもしれない。
同時に、声をかけたくてもかけられなかった自分が情けなくて仕方なかった。
「でも、転校生はちょっと素っ気ないな。うちも声かけてみたけど、全然会話が続かなかったわ」
「そうなんだ、浪漫でもダメなんだね」
私が話しかけるのはやはりハードルが高いかもしれない。
二人で話していると、先生と話していた紅葉が戻って来た。
「おまたせっ」
「よし、帰ろ」
教室を出て私たちは、昇降口の方へ歩き出した。
「よし、今日はどっか寄ってく?」
「本返したいから図書室に寄りたいんだけど、いいかしら」
図書室は向かいの校舎だ。寄ると帰りが遅くなってしまう。
「ごめん、私は赤谷に行きたいから先帰るね」
「そか、また明日ね」
「じゃなー、イズミ!」
「ん。また明日」
私は二人と別れ、一足先に帰路へとついた。
最寄り駅までは徒歩でおよそ二十分。
私たちが通っている高校の周りにはコンビニくらいしかない。
用事がある日は、電車で二駅先の赤谷まで出るのがいつものことだった。
電車に乗り赤谷で降りると、吹き抜けの駅ビルが迎えてくれた。
「やっぱ、大きいよなぁ」
見上げるほど高いガラス天井は、何度来ても圧倒される。
エスカレーターで三階へ上がり本屋へ向かった。ノートとルーズリーフを切らすたび、いつもここで買っている。
ふと、向かいにあるレコード店へ目が向いた。
「あれって……」
店の奥で、転校生の照井さんがヘッドホンをつけていた。
今朝の無機質で冷たい印象とは違う。目を閉じて小さくリズムを取る姿は、どこにでもいる感情豊かな女の子に見えた。
気になって私は店の中へ入った。少し離れた棚の前に立ち、その横顔を眺める。
嬉しそうに口元を緩めたかと思えば、次の瞬間には悲しそうに眉を寄せる。時には何かに驚いたように目を見開いた。その表情が曲に合わせて変わっていくのが面白かった。
やがて、彼女の瞳から一筋の涙がこぼれた。
不意に覗き見しているような後ろめたさが湧く。それでも見ていたかった。
目が離せなかった。
涙がゆっくりと頬を伝っていく。周りを歩く人は誰も気づかない。皆、足を止めることなく彼女の後ろを通り過ぎていく。
涙が顎先から落ちるのを見届けたときだった。
照井さんの鋭い視線が、まっすぐこちらへ向いていた。
「げ……」
やばい。
私はごまかすように笑顔を作り、彼女へ近づいた。
「……て、照井さんだよね」
彼女は警戒するように眉を寄せ、ヘッドホンを外した。
「私、同じクラスの浅倉だよ。よろしくね」
「……よろしく」
彼女はヘッドホンを棚のフックへ戻した。
「何を聴いてたの? すごく楽しそうだったけど」
「……これ」
照井さんは横に立てかけられていたCDケースを取り、私に見せた。
ジャケットにはアニメ調のイラストと、アルバム名が書かれている。
16%Magic:CwY―Chaff with You。
聞いたことのない名前だった。
「初めて聞いたかも。バンドとか?」
「ううん。ジャンルだと、エレクトロポップに近い」
「へえ、詳しいんだね」
「……聴いてみれば?」
照井さんが小首を傾げ、こちらを覗き込む。
色白の顔は目元だけ赤く、長いまつ毛はまだ涙で濡れていた。
なんで泣いていたんだろう。
聞いてもいいのだろうか。
そんなことを考えていたら、見つめすぎていたらしい。照井さんが怪訝そうに眉を寄せた。
「……どうしたの?」
「あ、ごめんっ!」
泣いていた理由を尋ねるのはやめた。そんなことを聞けば、ずっと見ていたことを白状するようなものだ。
「こ、ここにはよく来るの?」
「……うん。サブスクに上がっていないものも多いから」
「へ、へえ〜。なるほどねっ!」
会話が途切れ、私は近くに並ぶCDやDVDへ目を向けた。有名な作品からインディーズのものまで、知らないものばかりだった。
やがて照井さんはCDケースを元の場所へ戻し、出口へ向かった。
「もう帰るの?」
「今日は聴きに来ただけだから」
「なら、改札まで一緒に行ってもいい?」
「……どうして?」
「……もう少し話してみたいから。ダメかな」
「別にいいよ」
そう言って、照井さんは先に店を出た。私は小走りで追いかけ、その隣に並んだ。
「ねえ、さっきみたいな曲はよく聴くの?」
「うん、他にも色々聴く」
「そうなんだ」
他に何か話題はないかと考えていると、照井さんの方から口を開いた。
「浅倉さんは?」
「……私?」
「何聴くの?」
「ああ!……えっと、流行りの曲とかかな」
「最近、気に入ったのは?」
浮かんだ曲名はあった。でも、なんとなくそれを口にする気にはなれなかった。
「……んー、最近はあまり聴いてないかな」
「流行りの曲、聴くのに?」
「うん……まあね」
答えに困って笑うと、照井さんは横目で私を見た。
それ以上追及はしなかったが、納得はしていないようだった。
エスカレーターで一階へ下りる。
ガラス張りの高い天井からは、まだ明るい空が見えていた。時刻は午後五時半。駅へ向かう通路は、帰宅途中の人たちで混み始めている。
「ここの天井、夜になるとプラネタリウムみたいになるから、綺麗なんだよ」
「そう」
反応は薄かったけれど、照井さんは一度だけ天井を見上げた。
「照井さんは、どの駅で降りるの?」
「赤谷」
「えっ、ここが最寄りなんだ」
「うん」
「じゃあ、改札まで付き合わせちゃったね。ごめん」
「別に。帰る方向だから」
やがて改札の前に着いた。
私は鞄にぶら下げた定期券を手に取ったが、照井さんは少し離れたところで足を止めた。
「一緒に来てくれてありがとう」
改札を通り抜けてから振り返る。
照井さんはまだ改札の向こうに立っていた。
「またね!」
「うん」
「明日も絶対、声かけるからっ!」
そう言って手を振り、私はホームへ続く階段を駆け下りた。
前に病んでる時に少しずつ書いた作品。
読み返して世界観が好きだったので少しずつあげてみようと思います。
2026/10/1
読みやすいように整えました。




