表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
孤城のアトリエ  作者: 伊織
第ニ章:軌跡の代償
33/109

第三十二話:名前を呼ぶ

「これ食べていいの?」


「多分大丈夫じゃないですか〜?」


 食事中とは思えない、不穏な会話が響く。菜摘は相変わらずの直哉のダル絡みに耐え、隼人はソースだのケチャップだのマヨネーズだの、大量の調味料をかけ始める硝子を必死に止めていた。だから、ひよりと奏人を見ている人間は、ただ一人を除いて誰もいなかった。


 和哉以外は——。


「だめ!!だめですよ!!それアルミホイル!魔女様、ペッてしてください!!」


 パニック寸前の叫び声が響く。普通ならすぐ気づくはずだ。けれど——普通じゃないのがひよりと奏人である。


「僕、食べちゃいました!」


「吐け!!」


 和哉の悲鳴がこだまする。この瞬間、彼は心に刻んだ。手の込んだ料理や洒落たメニューは二度と作るまい、と。ひよりと奏人の暴走で、自分の食事すらままならないことを学んだからだ。結論は一つ——シンプル・イズ・ベスト。


 先ほどまでの張り詰めた空気はすっかり消え、賑やかすぎる食卓が続いた。やがて、騒がしい食事がひと段落する。和哉は一足先に厨房へ戻り、黙々と洗い物を始めていた。


「持ってきたよ。これでいいの?」


 一番乗りで食事を終えたひよりが、皿を抱えて厨房に入ってくる。


「はい!偉いですね、魔女様!」


 和哉が笑顔で褒めると、ひよりはくすぐったそうに頬を緩めた。その幼い笑顔に、和哉の胸に温かいものが広がる。もし妹がいたなら、きっとこんなに可愛らしかったのだろう、とふと思う。


「手伝いする」


 得意げに言うひよりに、昼間割れた皿の記憶が一瞬脳裏をよぎったが——これも自主性を育てるためだ、とスポンジを渡す。


「和哉は、どう思った?」


 皿を洗うひよりの横で、明日の仕込みをしていた和哉の手が止まる。


「……初めて私の名前を呼んで頂けましたね」


 どこか照れを含んだ笑み。その表情に、ひよりはなぜか直哉のゲラゲラ笑う顔を重ねていた。兄弟だな、と妙に納得してしまう。


「父は、小さな病院を母と二人で経営していました。魔法が使える人たちではなかったので、兄や私に魔法の才能があると分かったときには、腰を抜かすほど驚いていました」


 和哉は懐かしむように語る。その穏やかな声は、とても兄を嫌っている人間のものには聞こえなかった。


「兄は努力の天才です。やろうと思ったことは、すべて努力で叶えてしまう。でも私は……何か努力したいと思ったことがない怠け者で、勝手に兄に劣等感を抱いていました」


 ひよりは意外そうに目を瞬く。何でも器用にこなす和哉からは想像もつかない言葉だった。


「でも、10歳のときに街で見かけたひより様が、すごくかっこよかった。だから家を飛び出して、この教団で雑用として置いてもらったんです。私が人生で初めて『努力したい』と思ったのは、ひより様のそばにいるための努力でした」


「おかしいですよね。見ただけなのに」

 自嘲気味に笑うその顔は、どこか寂しげで。ひよりは、和哉が街で見た自分の姿——血に濡れた恐ろしい姿——を思い出し、複雑な気持ちを覚えた。


「初めて名前呼んだね」


 難しい感情はひとまず胸の奥に押し込める。同じように笑顔で返せば、二人同時に小さく笑った。


「私も同じですよ。私は、ひより様のために努力します。これから先もずっと。兄に負けないくらいの努力を。例え、道半ばで倒れても……後悔はありません。だから——これからもよろしくお願いしますね、ひより様」


 その真っ直ぐな瞳に、ひよりは胸が熱くなるのを感じた。


「よろしくね」


 奏人のように、柔らかで陽だまりのような笑顔が自然にこぼれる。和哉はその笑顔を見ながら、ふと歩き出す。


 その瞬間——


 パリーン、と乾いた音を立てて皿が砕けた。


 だが、不思議と気にならなかった。穏やかな気持ちが胸に残ったままだったからだ。和哉は箒とちりとりを手に取り、割れた皿を見下ろしながら、小さく息をついた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ