初めてのダンス
ベルノー家からの使者を追い返してから、数日が過ぎた。
城内には、もう重苦しい空気は漂っていない。むしろ、アシュレイが私のことを「妻」と呼び、守ってくれたという事実が、私の中で確かな自信と落ち着きを育てていた。
そんなある日、私はアシュレイから執務室へ呼ばれた。
「……今度の休日、領内で霜月祭がある。収穫を祝い、冬の到来を告げる小さな祭りだ。……お前も、城を離れて見てこい。領民たちの生活を知るのも、管理者の仕事だ」
彼は少しぶっきらぼうに言ったが、その瞳の奥には「たまには息抜きをしろ」という優しい気遣いが滲んでいる。
私は喜んで承諾した。領地管理の仕事に没頭するあまり、城の外の景色をゆっくり楽しむ余裕などなかったからだ。
当日、私は動きやすいシンプルなドレスに着替え、城下町へ降りた。
王都の豪華絢爛な祭りとは違う。飾り付けは質素だが、どこか温かい。焚き火の匂いと、焼き菓子を作る甘い香りが漂っている。
「おお、奥方様!先日の橋の修繕、本当に助かりました!」
「配給の計算が変わってから、食卓が豊かになりましたよ!」
市場を歩いていると、領民たちが次々と声をかけてくれる。
彼らの目は、王都で私に向けられた「無能」「地味な長女」といった冷ややかなものではない。感謝と信頼に満ちている。
私は、自分がこの場所に「必要とされている」ことを、肌で実感した。
祭りの終わり、広場の中央で音楽が鳴り響き、人々が踊り始めた。
その時、人混みの向こう側に、一人の男が立っているのが見えた。
黒い軍服を脱ぎ、深い紺色のコートを羽織ったアシュレイだ。仕事の時とは違い、どこか力が抜けている。
彼は私を見つけると、少しだけ迷ったような素振りを見せた後、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきた。
「……楽しめたか?」
「ええ、とても。この領地がどれほど温かい場所なのか、よく分かりました」
アシュレイは少し照れくさそうに視線を彷徨わせ、それから私の手を取り、そっと差し出した。
「……踊らないか?祭りの最後は、対の相手と踊るのが習わしだ。誰も見ていない場所で、少しだけ」
心臓が跳ねる。
私は無言で、彼の大きな手に自分の手を重ねた。
音楽はゆったりとした旋律に変わり、私たちは静かにステップを踏む。
アシュレイの手は、力強く、そして意外なほど温かい。
ずっと「氷の辺境伯」として鋼のような心で戦ってきた彼が、今、私の前ではただ一人の男として、こうして柔らかな時間を過ごしている。
「……クラリッサ。お前が来てから、この領地は変わった」
踊りながら、アシュレイが耳元で小さく呟く。
「ずっと独りで戦ってきたつもりだった。……だが、お前が隣にいると、守るべきものが戦場だけじゃないと気づかされる」
私は彼に微笑み返した。
王都で、妹の引き立て役として、愛されることもなく生きてきた私。
でも今は、こうして北の地の夜空の下で、誰よりも信頼できる人に手を引かれている。
「私もです。……私に居場所をくれて、ありがとうございます」
夜風が冷たいはずなのに、二人の間には、暖炉よりも温かな空気が流れていた。
ダンスが終わる頃には、空に星が輝き始めていた。
私たちの関係は、ただの「管理者同士」から、もっと深いものへと変わりつつあった。




