使者
穏やかな朝のことだった。ノルデン城に、見慣れぬ紋章を掲げた馬車が到着した。
ベルノー伯爵家の紋章だ。私の両親が、わざわざ使者をよこしたのだ。
大広間に通されたのは、父の側近である初老の執事だった。彼は私の顔を見ると、挨拶もそこそこに、尊大な態度で鼻を鳴らした。
「クラリッサ様。旦那様からの伝言です。至急、王都へ戻るようにとのこと。辺境でのお遊びはもう十分でしょう」
彼はまるで、駄々をこねて家出した子供を叱りつけるような口調だった。
私の横に立つアシュレイが、ピクリと眉を動かす。彼から漂う冷気が一段と強まるのを感じた。
「お遊び、だと?」
アシュレイの低い声が、広間に響く。執事は怯える様子もなく、わざとらしくため息をついた。
「左様です。ベルノー家の長女という立場を忘れ、このような寒村に留まるなど恥の上塗り。家計も混乱しておりますし、何よりリリアーヌ様が不自由しておいでです。クラリッサ様には、早く元の役割に戻っていただかねばなりません」
相変わらずだ。彼らは、私が辺境でどのような役割を果たしているのか、全く想像すらしていないらしい。
リリアーヌのために、私が戻る。その一言ですべてが解決すると思っている彼らの傲慢さに、私は呆れを通り越して失笑が漏れそうになった。
「断ります」
私は静かに、しかしはっきりと告げた。
「……は?今、何と?」
「帰る理由がありません。私は現在、ノルデン辺境伯様の補佐として、領地の管理を任されております。この領地は、私を必要としていますし、私もここに自分の居場所を見つけました」
執事は信じられないものを見る目で私を見た。
「あなたのような地味で取り柄のない令嬢が、辺境伯様の補佐だと?何をたわ言を……。旦那様は、あなたが帰らないのであれば、実力行使も辞さないと仰っておりますよ」
実力行使。つまり、無理やり連れ帰るということだろう。
彼らは最後まで、私という人間を一人の意思ある存在として認める気はないらしい。
その時、私の肩に、大きな手が置かれた。アシュレイだ。
彼は一歩前に出ると、執事を氷のような瞳で見下ろした。
「……私の妻を、私の城から、私の許可なく連れ出すだと?」
アシュレイの威圧感は、尋常ではなかった。先ほどまでただの文官のように振る舞っていた執事が、恐怖で顔を青ざめさせる。
「べ、辺境伯様……これはあくまで家族の問題でして……」
「家族?ここに彼女の家族など一人もいない。あるのは、領主である私と、私のパートナーである彼女だけだ」
アシュレイは執事の言葉を遮り、冷徹に言い放った。
「ベルノー伯爵に伝えろ。これ以上、私の妻に無礼な接触を試みるのであれば、ベルノー領との交易をすべて停止する。……商売相手を失い、家が傾くのが先か、娘を諦めるのが先か、よく考えろとな」
交易の停止。それはベルノー家にとって死刑宣告に等しい。
執事は顔面蒼白になり、何も言い返せずにその場に立ち尽くした。
「……帰りなさい。二度と、私の領地に足を踏み入れるな」
アシュレイの言葉に、執事は逃げるようにして広間から去っていった。
広間には再び、静寂が戻る。
私は、震える手を隠すように、自分のエプロンの裾を握りしめた。
彼に守られた……。
私を「道具」ではなく「妻」として認め、守ってくれた。
その事実が、何よりも嬉しくて、胸が熱くなる。
「……怖かったか?」
アシュレイが私の顔を覗き込み、表情を和らげる。
私は首を横に振り、彼に向かって小さく微笑んだ。
「いいえ。……強くなりましたから。もう、あの人たちの言いなりにはなりません」
窓の外を見ると、雪が静かに降っていた。
ベルノー家という鎖は、今この瞬間、完全に断ち切られたのだ。
もう、後ろを振り返る必要はない。




