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妹が嫌がった辺境伯に、姉の私が嫁ぐことになりました  作者: いゆ


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氷の地での出会い


 馬車に揺られること数日。景色は王都の穏やかな緑から、徐々に険しい山々と針葉樹の森へと変わっていった。

 空気が冷え込み、吐く息が白く染まる。辺境へ近づくにつれ、道ゆく人々や建物の様子も少しずつ質実剛健なものへと変化していくのが分かった。


 そして、ついにその場所へ到着した。

 『氷の辺境伯』の居城、ノルデン城。

 王都の煌びやかな社交場とは対極にある、無骨な石造りの要塞だ。飾り気はないが、隙のない防御と、冷徹なまでの機能美がそこにはあった。


(ここが、私の新しい場所)


馬車から降りた瞬間、頬を刺すような冷たい風が吹き抜けた。

 王都の貴族たちが忌み嫌う「寒さ」だが、不思議と不快ではない。むしろ、この凛とした空気こそが、私の心を研ぎ澄ませてくれるような気がした。


 広間へ通されると、すでに主が待っていた。

 黒い軍服に身を包んだ、長身の男。銀糸のような髪に、鋭い眼光。

 アシュレイ・ノルデン辺境伯。

 噂では「氷の伯爵」「魔獣を食らう怪物」などと恐れられているが、目の前の男からは、ただ静かな威圧感と、過酷な現場を指揮してきた者だけが持つ、磨き上げられた緊張感が漂っていた。


「……ベルノー伯爵家から来たクラリッサ、だな」


アシュレイの低い声が響く。

 彼は私を値踏みするように見つめた。その瞳には、私に対する興味も、結婚相手としての期待も感じられない。あるのは、厄介な政略結婚という駒への、事務的な観察だけだ。


「……はい。お噂はかねがね。クラリッサ・ベルノーです」


私は、王都で身につけた完璧な所作で淑女の礼をとった。

 心の中では、彼の服装や部屋の調度品を観察している。磨り減った革靴の踵、使い込まれたデスク上の資料の山、そして何より――彼の目の下に刻まれた薄いクマ。


(この人は、噂のような怪物ではない。ただ、領地の経営と防衛に追われ、極限まで消耗しているだけの『仕事人』だ)


私の推測は確信に変わった。彼は決して冷酷な暴君ではない。領民を、領地を、その身一つで守り抜こうと必死になっている、ただの不器用な男だ。


「……期待はするな」


アシュレイは短くそう告げた。


「ここには、伯爵家のような贅沢な暮らしも、煌びやかな夜会もない。あるのは、魔獣の脅威と、終わりのない領地運営だけだ。お前はただ、城の中で静かに暮らしていればいい」


彼は、私が泣き出すか、あるいは「なんて酷い場所なんだ」と文句を言うとでも思っていたのだろう。

 冷たい言葉の裏側に、どこか「早く帰れ」というニュアンスを感じる。


 だが、私は口元をわずかに綻ばせた。


 ずっと、望んでいたのだ。

 家族の顔色を伺う必要のない場所。

 飾る必要のない、ただの真実の仕事がそこにある場所を。


「贅沢も、煌びやかな暮らしも求めておりません」


私は真っ直ぐにアシュレイの瞳を見つめ返した。

 その毅然とした態度に、アシュレイがわずかに眉を動かす。


「それよりも、辺境伯様。先ほど入り口で拝見したのですが、領地の北門、少し歪みがありませんか? あれでは冬の強風で補強材が持たない可能性がありますが、修繕計画はどうなっているのでしょうか」


沈黙が広がる。

 アシュレイの目が大きく見開かれた。

 今までそんなことを尋ねてくる令嬢など、一人もいなかったのだろう。


「……何故、それを」

「領地経営の基礎を少しばかり心得ておりますので。……あらぬことを申し上げましたでしょうか?」


私は静かに首を傾げた。

 アシュレイの凍りついていた表情に、初めて小さなひびが入る。

 それは驚愕か、あるいは、ようやく現れた「話の通じる相手」に対する困惑か。


 氷の辺境伯と、不要な長女。

 二人の、まったく新しい契約生活が、ここから始まろうとしていた。

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