絶やさぬ火
城の外は、まさに地獄だった。
吹き荒れる吹雪は視界を遮る白い壁となり、その向こうから魔獣たちのぎらついた眼光が無数に浮かび上がる。アシュレイは最前線に立ち、愛剣を振るっていた。
「……こいつら、きりがないな!」
副官の叫びが風に掻き消される。
魔獣の群れは、異常な執着で城を目指していた。アシュレイの全身は返り血と降り積もる雪で汚れ、その呼吸は白く、そして荒い。氷の辺境伯と恐れられる彼であっても、この絶え間ない波のような攻撃には疲労を隠せなかった。
剣を振るうたびに、腕の感覚が麻痺していく。寒さのせいか、それとも限界が近いのか。
ふと、アシュレイの脳裏を過ったのは、城に残してきた妻の姿だった。
(……今頃、怯えて震えているのではないか)
彼女は王都の令嬢だ。こんな凄惨な光景も、命のやり取りも知らずに育ってきたはずだ。自分がここで崩れれば、あの温かな居場所も、彼女の笑顔も、すべてが白い闇に飲み込まれてしまう。
アシュレイは奥歯を噛み締め、再び剣を構えた。その時だった。
「辺境伯様!城から補充の物資が届きました!」
後方から、決死の覚悟で雪原を駆けてきた輸送兵の声が響く。
届けられたのは、矢や油だけではなかった。
兵士たちに配られたのは、まだ熱を失っていない厚手の布に包まれた、熱いスープの入った水筒だった。
「奥方様からの伝言です!『城内の火は、絶やさずに守っています。皆様が戻る場所は、私たちが温めておきます』と!」
アシュレイは、届けられたスープを一口、喉に流し込んだ。
それはかつて、彼が「腹を満たせれば何でもいい」と切り捨てていた食事とは全く別物だった。幾重にも煮込まれた野菜の甘みと、体を芯から温める香辛料の刺激。
その一口が、凍りつきかけていた彼の心臓に火を灯した。
(……怯えてなどいないな、お前は)
アシュレイは低く、笑った。
彼女は城で、彼と同じように戦っているのだ。混乱を鎮め、領民を鼓舞し、兵たちの帰る場所を死守している。その気配が、この熱いスープを通じて伝わってくるようだった。
「……聞いたか、野郎ども!城では女たちが家具を薪に変えてまで、俺たちのために火を焚いて待っているそうだ!」
アシュレイが咆哮した。その声には、先ほどまでの疲労を感じさせない覇気が宿っていた。
「あんな温かい場所を、この化け物どもに踏み荒らさせてたまるか!一歩も引くな!夜明けまでに、一匹残らず叩き出すぞ!」
兵士たちの間に、爆発的な歓声が上がった。
ただ「守れ」と言われるよりも、「お前たちの帰る場所は温かいままだ」と言われる方が、男たちには何よりの力になる。
一方で城内では、クラリッサが最後の難局に立ち向かっていた。
負傷兵が次々と運び込まれ、医務室の床までが血で染まっている。
気弱な看護役の使用人が、凄惨な傷口を見て顔を背けた。
「見てはいけません、手を動かして!」
クラリッサは、ためらうことなく自らのドレスの裾を裂き、止血帯として差し出した。
「怪我人を死なせない。それが今の私たちの戦いです。アシュレイ様が外で壁になっている間に、私たちが内側から崩れてどうするのですか!……さあ、次の患者をこちらへ!」
彼女の指先は、寒さと緊張で凍えていた。けれど、その瞳だけはアシュレイと同じ、鋭く澄んだ輝きを放っている。
ベルノー家で孤独の世界で戦い続けてきた彼女にとって、今の状況は確かに過酷だが、初めて味わう「誰かと共に戦う」という実感に満ちていた。
窓の外、雪の壁の向こうで、アシュレイの振るう剣が青白い火花を散らす。
城の内側、暖炉の前で、クラリッサの采配が人々に希望を灯し続ける。
氷の地を統べる二人の魂が、この極寒の夜の中で、初めて一つの炎となって燃え上がろうとしていた。




