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二十二 輝夜 その二


「なんなのかしら? これ」


 輝夜は簾の隙間から指し延ばされる女房の手に短冊を渡す。その姿は片膝を立てて顎をのせているというものだ。乳母に見られたら眉を寄せることだろう。


 用意された牛車は、なかなか考えられた造りで、外の風も入ってこず温かい。下にはこもと布を何重も重ねているため柔らかく、移動もそれほど苦ではなかった。だが、満月のように欠けた部分のない輝夜にとっては少々暑く、重ねた着物の何枚かをすでに脱いでいた。それを簾からはみ出して見せているので、車の中でどんな姿をしていてもそうはわかるまい。念のため、簾にはもう一枚薄絹をかぶせて見えないようにしている。


 こんな形で歌会に呼ばれるなど前代未聞だ。帝の第二子とはいえ、これには父も祖父もゆるしはしまい。

 だが、輝夜は退屈な日常に飽きていた。こんな面白いことに乗らぬわけがない。

 この歌会に誘われたのも、きっと自分を試してのことだろう。凪のような日常が崩れるならば、輝夜は波風などむしろ歓迎だった。


 なので、わざわざ屋敷に太った女房を替え玉に置いて出かけたのだ。他の女たちには、告げ口したり、ばれたりしたら折檻だときつく言ってある。父は最近、若い女房に御執心で屋敷に寄り付かず、母は父の気をこちらに戻すために念仏を唱える毎日である。一の姫と二の姫を産んだ母であるが、肝心の男児はいない。月の道も途絶えようとする女に寄りつくより、若い胎を求めるのが男というものであろう。


「こんなんじゃ、すぐに飽きちゃうわ」


 簾の外はどうなっているだろうか。ちらちらと中を伺ってくる男どもに、顔を見られぬよう扇で隠すのも飽いてきた。退屈はなによりも輝夜は嫌う。


 輝夜は短冊に何枚も歌を書く。即興で書いたものもあれば、前から考えていたものもある。歌のことに関しては、輝夜は泉のごとく湧き出してくるのだ。たとえ、膨れすぎた肉の塊である自分でも、歌の名手であれば美人となれば、それは名前負けしない美女となるであろう。


 歌会の内容はたかが知れている。お題にそって歌を作ればいいのだから、あらかじめ歌い人たちは出てきそうなお題を元に歌を作っている。輝夜は書き散らした短冊を一か所にかき集める。

 暖簾の隙間から、女房を呼ぶと、中へ入れといった。


 ふくよかを通り越して肥満の女房がいぶかしみながら、牛車の中に入ってくる。


「どうしたのですか? 姫」


 顔色をうかがうように輝夜を見る。気の弱い、従順なだけの女房。そこそこの知性はあるが、反応が鈍い。そこに小賢しさがないぶん傍においてやった。小うるさい女房どもは、輝夜が即座に首にするものだから、そんな女房たちしか残らなかったともいえる。


 牛車は元々、四人乗りにつくられている。その上、これは装飾が少ない分、さらに広々としている。


「さっさと上がんなさい。中が見えちゃうでしょ」

「は、はい」


 気弱な女房が入るなり、輝夜は女房のうちぎをはぎ取った。女房はわけがわからず目を白黒させている。

 輝夜はそんなことお構いなしに、自分の着ていた袿を脱ぐ。色合いは似ているが女房のものより数段質のよい代物だ。


「はい、あんたはこれを着るのよ」


 輝夜は女房の着物を羽織ると脱いだ着物を投げてよこす。このために、少しとろいがこの女房を置いてやったのだ。わざわざ袴は、先日輝夜が与えたものだった。上の数枚を入れ替えれば、すぐに姫と女房の立場は入れ替わる。


 屋敷に輝夜の身代わりがいるように、ここでも入れ替わるように準備していたのだ。


「早く着せて頂戴。狭いから、気をつけてよね」

「はっ、はい」


 輝夜は女房装束になる、髪も垂髪からそれ相応の形に結う。


 白塗りの女の顔はよほど注視しなければどれも同じようなものである。身代わりの女房の眉はなのでわざと、癖のある眉にしておいた。少し内側に置いて、崩れた化粧にしておいた。お歯黒もせずに白い歯のままだ。

輝夜は女房の眉をさらりと、書きかえて正しい眉の形にする。そして、お歯黒を口に含ませた。


 対して、輝夜は元々女房と同じ化粧をしていた。とくに変える必要はない。


 そして、最後に。


 輝夜は女房の右手を取ると手のひらにある母糞ほくろを白粉で塗りつぶした。大きなもので、女房はそれを気にしていつも隠していたが、今日は輝夜が隠すなと命令していたのだ。かわりに輝夜はそれを眉墨の残りで再現する。


「私はちょっと出るから、あんた留守番ね。歌はかきためておいたから適当にそんなかから選んでちょうだい。ちょうどいいのがないなら、あんたが勝手に作ってよね」

「ひ、ひめさ……」


 輝夜は女房が言い終えるのを待たず、牛車の外へと出た。






 まぶしい光は何年ぶりだろうか。禿かむろ髪のころから何年たったのすら忘れてしまう。白い肌を維持するために、姫君は外を出歩けぬ、外へ出たとて牛車から出られぬか、衣笠を被ったまま歩くことしかできない。


 重い肉の塊を弱った足で動かすのは苦痛だったが、それでも輝夜は解放感のほうが大きかった。

 鳥かごのように格子が周りを取り囲んでいるわけでもない、ただ、風に揺れる御簾に囲まれた空間が輝夜をその世界に縛り付けていたとなると、不快でたまらない。


 女房たちは、うつむいたまま牛車の外に敷かれた毛氈の上に座っていた。先ほどの身代わりの女房の他に輝夜は数名の女房たちを連れてきていた。毛氈の上に座っているのは二人で、残りは別の場所で待機しているのだろう。


 歌会の真っ最中は、さすがにおしゃべりをする不届きものは少ない。いないわけではないが、輝夜の聞こえる大きさまで喋ることはない。輝夜と女房が入れ替わったことなど、誰も気が付いた様子はなく、皆、題目にそった歌を歌っている。


 視線をちらりと、寝殿のほうへと向ける。姫たちは、皆、牛車の中に籠もっているが他に男の歌い手たちもいる。簀子に座り、短冊を持って朗々と声を上げている。


 それを盛り上げるように、管弦の音が、歌い手の声を殺さぬように流れている。品は悪くないが、この歌の会は誰が開いたものかと考えると、やはりばさら皇子と呼ばれるだけのことはあると、輝夜は思った。


 本来、主が鎮座する階隠間はしがくしのまに誰もいない。横に控える従者が少し間の悪そうな顔をしている。


 どういうことだ、と輝夜は少しむっとする。


 わざわざ足を運んでやったというのに無礼な話だ、たとえ相手が皇子であろうと。


 輝夜は口を尖らせていると、横に違う女房がやってきた。


「交代の時間よ」

「あらそう」


 思わず声を出したものだから、声をかけてきた女房の顔が引きつった。さすがに至近距離で見られるとごまかしはきかないだろう。輝夜は、お歯黒を塗っていない歯をにいっと見せつける。


「交代ね。わかったわ。あんたは私の代わりに黙ってここに座ってなさい」


 『黙って』を強調していった。女房はがくがくと震えながら輝夜をちらちら見る。輝夜は何事もなかったかのように歩き出した。


 西の対に輝夜の他の女房たちはいるようだったが、輝夜はこの屋敷は不慣れだ。なので、間違って東の対へと迷ってしまうことは仕方ない。そして、道に迷った輝夜は混乱してしまい、渡殿わたどのの下をくぐって寝殿の反対側にいってしまうかもしれない。


 ああ、これは仕方ないことだ。


 世間知らずの女ならば、ついやってしまうことかもしれない。


 輝夜は遣水やりみずに濡れぬよう渡り廊下をくぐろうか考えながら、心を浮かせつつ探索を楽しむことにした。



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