84、ど根性
物心がついてからすぐ、父はいった。
「星だ。おまえは誰にも負けない野球の一流選手になるんだ」
それから、おれは野球の頂点を目指して修行を始めた。チームメイトはいない。 メンバーはおれ一人だ。おれはまず、ピッチャーとして自分で投げた球を、 キャッチャーとして自分で受けとる練習から始めた。時速160キロで飛ぶおれの球を追い越して走るのは、死に物狂いの訓練が必要だった。投げる。走る。球を追い抜く。 受けとる。それで、ストライク。それを何万球とくり返した。試合になれば、 一日で、81球は最低投げなければならない。それは81回のダッシュをすることと同じことを意味していた。
打者の練習はさらに厳しいものだった。自分で投げた球を追い抜き、バットを構え、打たなければならない。最初は三振ばかりだった。おれの160キロの球を、しかも、自由自在に変化する変化球を打てるわけがなかった。だが、おれはくじけなかった。三年たった頃、おれは自分の投げた球を追い抜いて、バットで打ち、さらに打球を走って捕球する練習を始めていた。
守備の練習はさらに過酷を極めた。おれの打球は時速300キロを超え打ち返される。 それを追い抜いて、とらなければならないのだ。実際に試合になっても、おれ一人で九人分の守備範囲を守らなければならない。少しも気を抜けない。おれのノックは、一球打つたびに、とても追いつけるわけない絶望に覆われ、何度もくじけそうになった。そんななか、おれは千本ノックを見事にやってのけたのだった。
試合になった。もちろん、公式試合などという贅沢な試合に参加することはできない。試合はすべて裏試合、非公式戦だった。勝ってもおれを称えてくれるものはいない。相手選手は、たった一人で野球をしにやってきたおれの姿に呆然とするのだった。
「プレイボール」
おれと日本一の高校野球チームとの試合が非公式に行われた。おれは投げる。相手は全球空振り三振だ。おれは、全球、自分のボールを追い抜き、キャッチャーとして捕球する。時々、間に合わず、振り逃げされることもあった。だが、おれはあきらめなかった。
一人で、一塁まで走り、振り逃げした選手をアウトにしていった。
打つのもたいへんだった。おれは全打席ホームランを打ってしまうため、おれの攻撃の回が終わらないのだ。これでは疲れる。いつ終わるかもわからない神経との戦いになる。だから、おれは試合の途中で、わざと三振するという方法で攻撃の回を終わらせることができた。
380対0。試合結果だ。おれの圧勝だった。おれの努力は報われ、影の日本一高校野球選手として、知る人ぞ知る存在になったのだった。




