69、ストーブ
いつ片付けようか。
そう思ったのは、三月の頃ではなかっただろうか。
今はもう五月である。五月になってもまだ、石油ストーブが部屋においてある。
そろそろ片付けなくては。
そう思ったのは、四月の頃ではなかっただろうか。
わたしは結局、ストーブを片付けることなく、四月を終えたことになる。
四月の最後の頃には、物置から扇風機を持ち出して、部屋に設置してある。つまり、五月に至る現在、まだ、わたしは石油ストーブを使っており、右から扇風機を浴び、左から石油ストーブで暖められるという極めて複雑な環境に今置かれているのである。
たいへんに不経済だ。暖めるのと冷やすのを同時に行っているのだから、そのエネルギーは無駄に相殺され、地球環境を破壊するのもやぶさかではないかのような、エネルギーの二重使用がなされているのだと考えられる。
そのために使用されるエネルギーは通常の二倍。環境破壊を推進するかのような、悪辣な家庭用家具の使用が行われているのだと考えて、まちがいはない。
だから、わたしは考えるのである。
石油ストーブを、いつ片付けようか。
わたしは世界をどうしたいのだろうか。
暖めたいのか、冷やしたいのか。
それがわからない。地球が暖められているのか、冷却されているのか、マスコミははっきりした報道をしていない。そのため、わたしは、地球環境を操作するのに貢献するためには、わたしの部屋を暖めたらよいのか、冷やしたらよいのか、わからないのである。
ああ、世界がいつまでも平和であったら。
そんなわたしの願いもむなしく、世界は、非常に危険な状態に持ち込まれている。それというのも、わたしの部屋の石油ストーブは、地球を破壊できる爆弾の燃料と直結しており、わたしが石油ストーブを使うことによって、徐々に、わたしは地球破壊爆弾の爆破エネルギーを減少させているのである。
地球の安全を守るためには、もっともっと石油ストーブを使わなければならない。
だから、石油ストーブを使うことは、わたしにとって、世界を救うことと同意義なのである。
そこで、また、わたしは考える。
だからといって、もう、五月だ。
石油ストーブを、いつ片付けようか。
わたしは悩んだ。悩みに悩んだすえ、扇風機の目盛りを強に切り替え、より強い石油ストーブの使用に持ち込んだ。
やはり、地球を救わなければならない。
そのためには、できる限りたくさんの燃料を少しづつ消費するしかないではないか。
わたしの部屋の石油ストーブは、地球破壊爆弾とつながっているのだから。
「裕樹くん、死んじゃだめ!」
と、わたしの前に立ちふさがったのは、隣人の梨花ちゃんだった。
梨花ちゃんは、わたしと石油ストーブの間に立ちふさがり、わたしの体を過剰に暖めている石油ストーブの熱をさえぎろうと努力してくれたのである。
なんという献身であろうか。
わたしを助けるために、はては地球を救うために、自ら石油ストーブの熱を浴びるような真似が常人にできるとは思えない。わたしは梨花ちゃんの自己犠牲に、深く胸を打たれ、うっすらと目蓋に涙が浮かんだほどであった。
だが、この地球の運命を決する戦いに、梨花ちゃんを巻きこむわけにはいかない。
「大丈夫だよ、梨花ちゃん。おれは平気だから、そこをどいてくれ。ストーブの熱に暖められるのは、おれだけで充分なんだ。これはおれの役目なんだよ。おれに課せられた使命なんだ。それを邪魔する梨花ちゃんは、おれの名誉を傷つけているんだよ。地球を救うのは、おれの役目なんだ。おれの力だけで地球を救ってみせるとおれは決意したんだ。それなのに、おれの代わりに石油ストーブの熱を浴びる梨花ちゃんは、迷惑なんだよ」
梨花ちゃんはそれでも動かなかった。
おれと石油ストーブの間に立って、熱を浴びつづけている。ことばで表さなくてもわかっているのだ。おれの欺瞞に満ちたことばに騙されたりはしないんだ。
梨花ちゃんは、おれよりも、石油ストーブに暖められるつもりだ。
くっ。
泣かせるぜ。
「梨花ちゃん、おれがその気になったら、石油ストーブを二台、この部屋に置くことだってできるんだよ。だから、やめるんだ」
梨花ちゃんはそれでも動いたりはしなかった。
しかたなく、おれは二台目の石油ストーブを部屋に設置することにした。わざと、梨花ちゃん側に石油ストーブを置く。これで、地球破壊爆弾の燃料を二倍の速度で消費することができる。
だが、これほどの拷問がこの世に存在しえただろうか。
わたしは五月になるというのに、一つの部屋に二台の石油ストーブを使って、部屋を暖めているのである。なんという罪悪、なんという環境破壊。
「裕樹くんは、本当に優しいんだね」
と梨花ちゃんがいった。
嬉しい。
これが、みんなのための自己犠牲だと気づいてくれるのだ。
そして、わたしの代わりに石油ストーブに暖められる梨花ちゃん。
わたしは右の扇風機にあおられ、冷え込みすぎるくらいだ。
「梨花ちゃん、おれたちがどんなに頑張ったって、それは存在しないのと同じような小さな力でしかないんだよ。おれが毎日、石油ストーブに暖められていても、地球の未来を変えることはできないんだ」
「それでも、裕樹くんは石油ストーブを片付けない。梨花はちゃんとそれを見ているもん」
梨花ちゃん。
「おれなんか、無力なんだよ。もっと、もっと、おれより世界のためになる仕事があるはずだよ。おれの仕事なんて見捨てて、行っちまえよ、梨花ちゃん」
それでも、梨花ちゃんはその場を動いたりしなかった。
わたしは右から扇風機に冷やされ、心地よく、左では、梨花ちゃんが二台の石油ストーブに暖められ、汗をかいていた。
地球が壊れるまでに、まだ、わたしたちにできることはあるはずだ。




