54、人が死にたがるのは
人が死にたがることがあるという。これは、生き物が大繁殖している地球において、大きな謎である。命が感動を覚える存在であることを否定した人にはまだ会ったことがない。だとしたら、命である人は必ず生きたがるはずだが、ことはそう簡単ではない。それは、人は種として進化するからだ。
ヒトという種として進化してきた我々の遺伝子には、優れた人を生かし、劣った人を殺すような感情が刻まれている可能性がある。そして、人は遺伝子に従い、流行やファッションなどという軽薄なもので残すべき遺伝子を決めてしまう。
過去から現在に至る知恵者は、これではいけないと思い、真に人類社会の前進に貢献のあった人物がモテるようにちょっかいを入れている。モテない頑張り屋に異性を紹介し、奥手な善人につがいをあてがう。
おれには今、恋人がいないから、おれを優れた遺伝子だと思うなら、おれに女を紹介してほしい。もちろん、生殖できるようなストライクゾーン(意外に広い)の中の女をだ。
「人は死にたがっているのかな」
に対して、おれはこう叫ぶ。
「頼むから、おれに女をよこせ。頼むから」
これで、会話がなりたっていると思う。難しい愛の問題の答えとは、こんなものであろうか。
誰が、他人の子孫を繁殖させるために、自己犠牲などするものか。時代は民主である。他人に忠義を尽くす者は悪である。だから、現在。万民が美男美女をあてがわれる権利をもつ。その方法はある。美男美女がブサイクたちをみんな抱いてやることだ。そして、普通の容姿のもの同士は純愛ゲームを楽しめばいい。
おれは仕えるに足ると判断した人物のためになら、自己犠牲を行う気持ちがある。これは、進化のネクローシス(細胞が多細胞個体を生かすためにみずから計画通りに死ぬこと)だと思われては、心外なのである。
だから、社会は、おれに女を寄こすか、おれに仕えるに足る人物を紹介するか、しなければならない。
と、孤独にパソコンに向かいながら、我思うのである。




