39、偏見のすすめ
宇宙は偏っている。宇宙誕生の様子を現在に伝える確かな情報源である宇宙背景放射には偏りがあり、その偏りが遥か悠久の昔に銀河をつくる要因となった。宇宙は偏りから星々を生み、我々生命は宇宙の偏りの中で誕生したのである。
また、宇宙には物質と反物質が均等に存在し、物質はすべて対消滅して消えてしまうはずだが、観測される宇宙には反物質はわずかしかなく、物質の方が多く、その量は偏っている。物質の方が多いという偏りが、我々を安定させて活動させているのであり、宇宙の偏りは誠に尊い有難きものであると思われる。
宇宙は偏っているのである。だから、我々も偏っている。
シッダルタはいった。あるがままにあれ、と。老子はいった。無為自然であれ、と。それは古代の修行者たちには無為無欲の没我であれという教えであると考えられてきた。しかし、おれはちがうと思う。宇宙は偏っているのだ。あるがままにあるなら、無為自然であるなら、我々は偏るべきである。偏ったものの見方をし、偏った価値を感じとるべきである。
無我君がいた。無我君は沙羅双樹の下に座り、宇宙を均衡点に落ち着けようとしていた。無我君によれば、それは無為無思慮無目的の完全なる均衡であるはずであった。無我君の宇宙均衡器は、静かに大空へと広がり、あまねく銀河諸世界全体を無我の域に移行させるはずであった。
そこへ偏見君が現れた。偏見君は、煩悩に飢え、生を渇望し、物欲を求めてやまなかった。偏見君は大飯を食らい、大酒を飲み、大声で歌って、乱暴粗暴であった。
「やいやい、無我君、おまいは宇宙を真っ平らにしようとしているらしいじゃないか。みんなを物質界と同化させ、ただひとつの大宇宙如来にすべてをまとめようとしているらしいな。そんなことは許さないぞ。何が、凡我一如、汎神顕在だ。そんなものは邪教だ。とっとと、宇宙の統合を止めやがれ」
すると、無我君は答えた。
「いまだ悟らぬ衆愚の民を、大宇宙如来へと導き、慈愛に満ちさせるのが我が願い。無我無執なれば、何物にも苦しまず、何物にも屈せず」
偏見君は無我君に戦いを挑んだ。
「やいやい、宇宙の本当の姿が、おれたちのようにひん曲がったひねくれ野郎だと思い知らせてやるために、宇宙均衡点が真ん中に止まらないのをしっかりと見ているがいいや」
そして、偏見君の放った宇宙均衡点は宇宙を漂い、煩悩へと落ちた。
「ほらみろ。宇宙は不平等で、傾いていらっしゃるんだ。これに懲りて、二度と宇宙を平らにしようなどと思わぬことだ」
無我君は大きく挫折し、再び遠謀の眼で宇宙を眺めた。
「ああ、生きることは偏りであり、作るべきは偏見の虚構建造物であろうか。無我の均衡は死か」
偏見君はいった。
「もう少しで、おまいは宇宙の大虐殺犯になっていたところだ。宇宙を終わらせていたところだ。迷子になり彷徨うことこそ、生きる命の宿命なり。それでこそ、存在する時間がありえるのだ」
かくして、宇宙の偏りはより大きくなり、迷い彷徨うものたちみな喜びけり。




