127、とあるネット作家が死んだ日に
ふしはら、追悼に最近のおすすめ音楽。
さっき、ラジオで聞いてたら、いい歌だった。
高橋 優「福笑い」
この歌と、おれの思想はまるで異なる。
どこかでみんなが笑ってるのは、どこかでがんばった誰かのおかげ。
この世界はあまく優しくはなく、誰かがどこかでがんばってる。
誰にも知られずにがんばってる。そんな人のためにぼくは、自分のことばを捧げたい。
おれは働かずに親に食わせてもらって作家目指しているやつで、ふしはらは自分で働いて作家目指しているやつだった。
おれにとって、ちがいはそれだ。親に食わせてもらってる怠惰なおれが生き残ることに疑問は感じる。
結論をいうなら、おれは、作家としても、男としても、人生としても、詰んでいる。
過去の楽しかった思い出を妄想だと決めつけられ、その記憶を消される注射を二週間に一回打たれるためだけに生きている。
あと、ちょっとだけ未来の監視をしている。
ふしはらに、ツイッターのアカウントを聞かれた時は嬉しかった。
おれが死んでも、2ちゃんが何も変わらないのは確認している。ある日、突然、隔離病棟に入院させられても、数カ月音信不通だったのに、2ちゃんは変わってなかった。おれが死んでもみんな無関心だろう。
おれはふしはらが死んで泣いている。
ふしはらはおれが死んだと思った時、泣いてくれただろうか?
はっきりいえることは、おれはもう、作家の賞を受賞しても、自殺するだろう。編集を食わせるためや、おれに無関心な読者を喜ばせるために、書きつづける気力などない。ゴミ作品はひとつたりとも、書くべきではなく、これ以上、おれが作品を書くことは小説への冒涜だと思う。
警備員になった酒見賢一とかを尊敬している。
ふしはらが幻聴を聞いたという話は聞いたことがない。個人的に連絡を受けた時も、そんな話はひとこともなかった。だから、ふしはらは精神病ではなかったと思う。ふしはらが死ぬことを病と呼ぶのなら、この世界が病んでいるのだろう。
生きることが病気なのか、作家を目指すことが病気なのか。世の中には、作家を目指すことを「病気だよ」という女はいる。
年老いたんだよ、おれは。世界を救う作業を黙々とこなした後に、それが全部チャラになり、もう一度、世界を救わないといけなくなって、過去に世界を救った記憶を消されているんだ。世界を救われると、誰かが困るらしい。
もう、世界を救う力も、アイデアも、着想もない。
正直、世界を救わないなら、SF作家になる必要はない。
ふしはらつつみの死について、おれが書くことはもうない。
※ふしはらつつみさんは、2011年8月12日に死亡が確定しました。ご冥福を祈ります。
わたしがいえることは、わたしはもうプロ作家になれても自殺するだろうということです。




