126、ネット依存
朝、起きて朝食をすませると、パソコンに向かう。そして、壊れかけのパソコンを起動する。エンターキーの壊れたキーボードを打ち、ネット掲示板に書き込みをする。
ネットの向こうには、会ったこともない顔も名前も知らない知人友人がいる。彼らと毎日、ネット掲示板で話し合うのが、わたしの日常だ。わたしはネット依存しているのだと思う。リアルの友人とは、もう一年半、会ってないだろうか。二ヵ月前に電話したのが最後の接触だったと思う。会っても、彼らにわたしが話す内容は、ネットでこんなことを話してたよ、というネタだ。最近のわたしはネットのこと以外に話題をもたない。
このままどうするの? そんな声が聞こえてきそうだが、質問者の危惧を無視して、別にこのままでいようとわたしは思う。わたしがネット依存をつづけることに、本質的な問題が発生するとは思っていない。これはこれでいいじゃないか。
欝なのか、時々、知らず知らずに涙が流れている。思考は歳のせいか、鈍い。まだ三十代だというのに。思考が鈍いのは、精神科の薬のせいだろうか。このままでは、歳をとってからの自分が心配だ。わたしは人より早く老化しているのではないだろうか。心は重い。一人、哲学的な思索を探求し、無理矢理議論相手をつくって、議論をしている。もちろん、ネットでだ。広いネットなのに、わたしと同じような目的をもち、真剣に語ろうとする者は少ない。ネットの中で、数少ない論争相手を大切にして、論理を展開している。わたしは、ネットの知り合いに、人の話を聞かない自己中なやつだといわれている。どうやら、そのような意見は多いらしい。わたしは嫌になる。鬱病だから、涙が流れている。わたしは、世界の最前線に立ち、何かを探求することを大学時代志し、その目的のままに、会社をやめて、探求をつづけている。わたしを理解する人は少ない。評価する者も少ない。時々、何もかもがむなしくなる。死んでしまいたい。そう思う。わたしの探求が無意味なら、煙のようにこの世から消え去りたいものだ。
わたしはひとりよがりである。世界の幸せを自分の力で実現できると本気で信じ、努力している。ネットの向こうの誰も、それに意味があるとは思ってないようだ。
わたしは、日本がこんなに探求することに無関心であるはずないと思い、いまだたどりつけない探求者に出会える時を期待し、議論をぶつけつづけている。ネットにはわたしのことをバカだと評する意見が多い。わたしは、彼らの意見に発見を見出したことはほとんどない。彼らは、なぜこうも無関心なのだろう。
このまま、おそらく、わたしは、ネットの中から弾き出されて、いつか孤独になるのだろう。わたしは本当にバカなのか。わたしはバカだから、ネットで嫌われているのだろうか。しかし、ネットで賢い人などあまり見ないぞ。わたしの志がネットの中で空振りしつづける。このまま、振りまわされて、倒れるのではなかろうか。倒れて死ぬのだろう。煙のように死にたい。
と書き記して、閉じる。




