111、三流ドラマに泣かされて
ぼくは三流ドラマをバカにしていた。あんなものに涙するやつらをバカにしていた。でも、それは、ぼくが、彼女たちが中学校で彼氏と付き合い、そこで、結婚の約束などをしてしまい、もちろん、そんな約束はなかったことにして、高校時代に別の彼氏と付き合ったりしていた事実を知らないからだ。
「わたしたち、ずっと一緒よね」
そんなことばで、やつらは泣くのだ。約束を裏切って生きる自分の罪悪感から泣くのだ。張り裂けんばかりの、かつての彼氏への罪悪感を感じて、泣くのだ。
そんな彼女たちをバカにしていたぼくなんかは、彼女たちにとって、ゴミも同然のカスだったのである。
ぼくは大人になり、千七百人の男と寝たという女の人にセックスしてもらった。その女の人が言うのだ。
「勝っているのはわしじゃろう。千七百の男を抱いてやった女はわしじゃろう。やつらにそれができるか。いいや、できはしない。わしの体を見よ。わしが美女なのだ。わしはお前らのようなブオトコも抱いてやる心優しい女なのじゃ。よいか、顔でも、性格でも、わしが女どもに勝っているのだ」
ぼくは、そのお姉さんが大好きだ。そのお姉さんが感動するドラマは、やつらが涙する三流ドラマともまたちがい、勝ち組の役割しか見ていない。人生で勝っているのはこいつだろう、とそのお姉さんはいうのだ。わしのようだ、とか、わしとはちがう、とか、そういうことに感激しているのだ。ぼくにはとてもついていけない。難しい愛の問題は解けない。
それがわかって、初めて、ぼくは三流ドラマを見て、涙したのだ。




