第6話:労力ゼロ
「ふぁぁ……極楽、極楽……」
特注の防風ドームに守られた裏庭の温泉で、私は今日もうとうとと微睡んでいた。
お湯の温度は副交感神経を優位にする完璧な38度。湯船の横には、冷やした美容フルーツの盛り合わせと、レオンハルト様が淹れてくれた特製デトックスウォーターが常備されている。
まぶたの裏で心地よいお湯の揺らぎを感じながら、私は完全に無防備な『がんばらない』状態を謳歌していた。
――ちょうどその頃。
防風ドームの遥か外、辺境伯邸の正門前には、猛スピードで駆け込んできた王家専用の馬車が停まっていた。
「おい、エレオノーラ! 迎えに来てやったぞ! さっさと出てきて俺に感謝の言葉を述べろ!」
「早く! 早くその若返りの秘薬を渡しなさいよ!」
馬車から転がり出てきたのは、王太子と男爵令嬢のアリアだ。
しかし、その顔を見た辺境伯邸の門番たちは、一瞬「アンデッドの魔物が襲来したのか!?」と槍を構えかけた。無理もない。二人の顔は過労と睡眠不足で土気色になり、目の下のクマとシワで完全に『生気のない老人』と化していたからだ。
「やかましい。ここで喚くな」
地を這うような冷たい声が響き、正門の奥からレオンハルトが姿を現した。
漆黒の軍服を纏う大柄な体躯。そして何より、丁寧に保湿され、内側から光を放つように輝く『圧倒的な美肌』。
「レ、レオンハルト……っ!? 貴様、なぜそんなに肌がツヤツヤなのだ!? やはりエレオノーラが秘薬を……!」
「俺たちにもそれをよこしなさい! 私たちは王族よ!」
血走った目で詰め寄ろうとする二人に対し、レオンハルトは汚物でも見るかのような、極限まで冷え切った視線を向けた。
「……なるほど。これが『乾燥』と『糖化』のなれの果てか。見苦しいにも程がある」
「なっ……!?」
「たるんだ頬、開いた毛穴、そしてその無残な吹き出物。お前たちのその顔面は、存在自体が視覚的ノイズだ」
レオンハルトは腰の大剣の柄に手をかけ、チッと舌打ちをした。
「エレオノーラは今、副交感神経を高めるための極上の入浴中だ。あいつが湯上がりに、お前たちのような『肌荒れの極み』を目撃してみろ。その強烈な視覚的ストレスで交感神経が刺激され、あいつの美しい肌の水分量が低下してしまうだろうが」
「は……? 何を言っている貴様……俺は王太子だぞ!」
「俺の領地では、彼女の美肌を脅かす要素はすべて『排除対象の魔物』と同義だ」
レオンハルトが指を鳴らすと、上空から巨大な影が舞い降りた。
彼が駆る最強の相棒、飛竜である。
「ヒィィィッ!?」
「ひっ、こ、こっちに来ないでぇっ!」
「安心しろ、斬る価値もない。ただのゴミ掃除だ」
レオンハルトの冷酷な合図とともに、ワイバーンが巨大な翼を力強く羽ばたかせた。
ゴオォォォォォォォッ!!!
「ぎゃあああああああっ!?」
「いやあああああ……っ!!」
竜の巻き起こした暴風は、王太子とアリアを、彼らの乗ってきた豪華な馬車ごと跡形もなく吹き飛ばした。
二人は遥か彼方の空の星となり、そのまま強制的に王都へと送り返されていった。再び書類の山と過労地獄が待つ、あのブラックな執務室へと。
一切の交渉も、言い訳も、情けをかける隙すら与えない。
エレオノーラの視界に入ることすら許されない、完全物理による秒殺。
最強の竜騎士による『自動防衛システム』が完璧に機能した瞬間だった。
◇
「……あら?」
お風呂でウトウトしていた私は、ふと目を開けた。
防風ドームの外で、遠くの方から「ぎゃー」というような微かな音が聞こえた気がしたからだ。
「レオンハルト様。今、外で何か音がしませんでしたか?」
「いや? ただ少し、突風でゴミが飛んでいっただけだ。気にするな」
結界の外に立っていたレオンハルト様が、柔らかな声で答える。
ゴミなら仕方ないわね。辺境は風が強いもの。
「そう……ならいいの。ふふっ、今日もお湯が最高で、お肌の調子がとっても良いわ」
「ああ、お前は今日も息を呑むほど美しい。さあ、湯上がりには3分以内に保湿だ。今日も俺が全身にクリームを塗ってやろう」
「まぁ、レオンハルト様ったら過保護なんだから」
私はニコニコと笑いながら、極上の温泉を堪能し続けた。
王太子たちが私の元へやって来て、そして一瞬で排除されたことなど、私は何一つ知らない。
私の心拍数は1ミリも乱れることなく、肌へのストレスは完全に『ゼロ』のまま。
私がただお風呂に入ってくつろいでいる間に、すべての因縁と脅威は勝手に消滅し、完璧な『自動ざまぁ』は完了していたのだった。




