第2話:辺境は極上温泉の聖地でした
馬車に揺られること数日。
たどり着いた辺境の地は、噂通りの荒涼とした景色と、吹きすさぶ強い風が特徴的な場所だった。
「お嬢様、着きましたよ。こちらが今日からお住まいになるお屋敷……というか、山荘ですね」
マリーが申し訳なさそうに指差したのは、ツタが絡まった古びた石造りの館だった。
確かに王都の公爵邸に比べれば小ぶりで年季が入っている。けれど、そんなことはどうでもいい。
ビュォォォォ……!
「ひっ! 風が! 風が強くて肌の水分が持っていかれるわ!!」
私は馬車を降りるなり、手で顔を覆って叫んだ。
強風は肌のバリア機能を低下させ、乾燥を加速させる最悪の気象条件だ。一刻も早く室内に避難して保湿しなければ!
そそくさと館の中に逃げ込み、裏庭の様子を確認しようと窓を開けた、その時だった。
「……え?」
裏庭の奥、岩場に囲まれた一角から、もくもくと白い湯気が立ち上っている。
微かに漂ってくるのは、かすかな硫黄とミネラルの香り。
私はドレスの裾を握りしめ、風の乾燥も忘れて裏庭へと駆け出した。
「お、お嬢様!? どこへ!?」
「マリー! あれを見て!!」
岩場に囲まれた天然の窪み。そこには、こんこんと湧き出る澄んだお湯が、まるで私を待っていたかのようにたっぷりと湛えられていたのだ。
「天然の温泉……! しかもこのとろみのあるお湯、触感からしてアルカリ性の美肌の湯じゃない!!」
指先を浸しただけでわかる。これは古い角質を優しく落とし、開いた毛穴の奥の汚れまで溶かしてくれる極上の泉質だ。
王都では、魔法石で沸かしたただのお湯にしか入れなかったのに。まさか追放先で、こんな源泉掛け流しの名湯を独り占めできるなんて!
「マリー! タオルと着替え! あと馬車の道中で採取した『プルプル草』を持ってきて!」
私は秒速でドレスを脱ぎ捨て、極上の湯船へとダイブした。
「はあぁぁぁぁ……っ。極楽……」
全身の力が抜け、体の芯から温まっていく。
王太子妃教育で凝り固まっていた肩や首の緊張がほぐれ、血行が促進されていくのがわかる。血流の改善は、肌細胞に栄養を届けるための基本中の基本だ。
十分にお湯を堪能した後は、時間との勝負である。
お風呂上がりは、肌の水分が最も蒸発しやすい『魔の3分間』。
「お嬢様、プルプル草をすり潰した搾り汁です!」
「ありがとう!」
私はマリーから受け取った緑色の液体を、惜しげもなく顔と全身にバシャバシャと浴びせた。
道端に生えていたこの『プルプル草』、雑草だが、実はその成分は「セラミド」や「ヒアルロン酸」に極めて近い強力な保水力を持っている。
温泉によるピーリング効果で毛穴の汚れが落ちた無防備な肌に、極上の保湿成分がぐんぐんと吸い込まれていく。
「完璧……。これこそが私の求めていた真のスキンケア……っ!」
両手で頬を包み込むと、手に吸い付くようなもっちりとした感触があった。
たった一度の入浴で、砂漠化していた私の肌がオアシスを取り戻したのだ。
それからの私は、徹底して『がんばらない』生活を貫いた。
このボロ屋敷を管理している初老の管理人が、「領地のご視察はいつになさいますか?」と尋ねてきたが、私は即座に首を振った。
「視察には行きません。面倒な領地のことはすべて、今まで通りあなたたちと、この地を治める辺境伯様にお任せします」
「は? しかし、それではエレオノーラ様は毎日何を……?」
「食べて、寝て、お風呂に入るだけよ」
管理人はポカンと口を開けていたが、私は本気だ。
責任ある仕事など一切引き受けない。ストレスの元凶はすべて事前にシャットアウトする。
朝は好きな時間に起き、午前中は極上温泉に浸かる。
午後は日陰の風通しの良い部屋で、自作の保湿クリームを塗りながら優雅に昼寝。
夜は野菜中心のヘルシーな食事をとり、夜更かしをせずに22時(肌のゴールデンタイム)には必ずベッドに入る。
そんな極限の美容特化スローライフを三日も続けると、私の肌は劇的な変化を遂げていた。
「お嬢様……! お肌が、ゆで卵みたいにツルツルでピカピカです!」
「ふふっ。毛穴も完全に引き締まって、メイクなんて一切必要ないわね」
鏡に映る私は、数日前の疲労困憊で老け込んでいた公爵令嬢とは別人のようだった。
内側から発光するような瑞々しい白肌。
「あぁ、幸せ……。追放されて本当に良かった……」
私はフカフカのベッドにダイブし、極上のシーツにすりすりと頬ずりをした。
この平穏で美しい日々を、私は何があっても守り抜くわ。
――しかし、私のこの引きこもり美容生活は、思わぬ訪問者によってあっさりと破られることになるのだった。




