さらば現世
日が沈みかけ、空は青藍色と飴色が混ざりあい、何とも幻想的に彩られている。もう、見ることのない景色だからだろうか。一層美しく感じる。
コータは時計を確認し、本殿にて時を待っているシノを呼びにいった。
背後から声を掛けようとすると、シノはコータの方に向き直らずに言った。
「本当に申し訳のないことをした。君に家族がいて、君はその家族を愛し、その家族もまた君を愛しているだろう。私の行動はあまりにも安直だった……!!」
神様は何を馬鹿なことを言っているんだろう。謝るぐらいなら始めからやらなければ良かったのだ。そんな思いを声には出さず、だがしかし、どうしても神様の頭にチョップをお見舞いしたい衝動に駆られ、これだけは抑えきれなかった。
「何を今更……もうどうにもならないんでしょう?もう時間は残されていないんです。早く、行きますよ。」
チョップをくらったシノはおずおずとコータを上目遣いで様子を伺っていたが、何を私らしくもない。こっちに連れてきたからには私が弱気でどうするのだ。と思い直し、また、コータの態度を頼もしげに思った。シノは深呼吸をし、
「うむ。では参ろうか。その前に、コータ、君に神格を与えよう。」
そう言ってシノはコータの胸の前辺りに両手をかざした。少しすると段々とシノの手は青白い燐光を放ち、次第に光は強くなっていった。
「神様!自分は何をすればいいですか?」
「何もせんで大丈夫だ。もうしばし待ってくれ。」
そう言うと、青白く放たれていた燐光は段々と小さくなり、やがて消えていった。
「コータ、これで君に一時的ではあるが神格が宿った。時間が来るまでに早く行こうか。」
出会ったときのように、シノはコータの手を引き、鳥居の前に立った。
祝詞であろう言葉を唱えると、鳥居の境内と通りを繋ぐ空間がねじまがり始めた。
近くに寝ていた野良猫はじっと俺達を見つめ、やがて興味がなくなったのか、にゃーお、と一鳴きし去っていった。コータは何気なしに猫に手を振った。
祝詞も唱え終わったようで、そのねじまがっていた空間は黒一色に変質していた。
「さぁ、行くぞ。コータの御供えもきちんと持ったし、コータは忘れ物はないか?」
あぁ。と軽く答え、シノとコータはせーの、と掛け声を合わせ同時に鳥居の向こうへと踏み出した。
池の底のように、辺りは暗く纏わり付くような闇に支配されている。
シノはコータの手をしっかりと握り直し、それに呼応するようにコータをシノの手を握り直した。
遠くに見える星のようなものが天界の門だろうか。それを目指して二人は歩を進める。だが、二人の歩調はぎこちなく、端から見れば付き合いたての恋人同士に見えるだろう。
遠くに見えていた星は少しずつであるが、光が強く、また大きくなっていき、その全容が見えてきた。
大きな白い光を放つ、紋様が彫り込まれた巨大な門であった。門の前に立っていた巨大な牛───牛頭───が穴が開くほど俺達を見つめ、口を開いた。
「僕、そんなに怯えなくても平気よぉ。別に取って食う訳でもないんだからぁ。神格の大きさからして二人は最近眷属になり始めたばかりなのかしらぁ?頑張って務めるのよぉ?それにこの辺りは大分道が─────」
びっくりしたぁ……バレたかと思ったぁ……じっと見つめられている間は生きた心地がしなかった。ちらっとシノを見るとやはり場慣れしているのか、凛として堂々と二人に向き直っている。
「───だから、十分に気を付けるのよぉ。じゃあね、また会いましょう?ぼ・く♥」
俺の代わりに神様が応える。
「えぇ。また帰りにお会いしましょう。では、急いでいるので失礼します。」
と表情を崩さず、堂々たる態度で門の中へと歩いていく。痛い痛い痛い。手に力込めすぎだって。
門を通ると、門の横に巨大な馬───馬頭───が立っていた。再度面食らい、茫然と見つめていると馬頭はウィンクでもって応える。めっちゃ怖い。コータはシノにそっと囁いた。
「えーっと、神様、あの怪物みたいなのがもしかしてこの先沢山いるんですか?」
シノはコータを安心させるようにふんわりと穏やかに笑い、
「もう牛頭と馬頭のような、人間にとって異形に見えるものはあまりいないさ。安心しろ。私がついているからな!怖くなったら抱き締めてくれても構わないんだぞ?」
と目を輝かせて言った。牛頭いわくこの先の道は入り組んでいるようなので、神様の全て任せよう。思ったより天界らしさはなく、強いて言うなら、薄暗い神殿のような建物であり、不気味な雰囲気が漂っている。
しばらく道を歩いていると、十字路にぶつかった。二人は立ち止まり、一言。
「神様、もしかして道が分からないなんて、言いませんよね?」
「た、確かここを左に行けば……あれ、右だったかな?あははは……」
コータは引きつった笑みを浮かべた。