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幻想の淑女マリアンヌ  作者: ほねのあるくらげ


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16/18

侯爵夫人の遺物

 ダミアンに打診したところ、カルティエ家の屋敷を調べる許可はすぐに下りた。屋敷と言っても王都に構えているものではなく、レーアン領にある本邸だ。レーアン侯爵はもっと静かで空気の綺麗な別荘のほうで静養しているらしく、またロジーヌも王都の屋敷で過ごしているというので、アルフォンスも気兼ねなく調べることができた。


「しかしフェルナン卿、本当にマリアンヌは母の隠し子なのか? だとしたら、父親はやはり……」


 馬車から降り、本邸の門の前に立ったダミアンはどこか不安げに尋ねた。彫りの深い、冷たささえ感じる美貌はかげっている。アルフォンスは神妙そうに首を横に振った。ジェルマンは真面目な顔をしたままアルフォンスをうかがっている。 


「あくまでも、その可能性があるというだけです。現段階では、なにも」

「そうか……」


 ダミアンに調査の協力をするにあたって、すでにマリアンヌ・ド・ラファイエットの出自については打ち明けている。もちろんそれが死産とされている赤子であり、その正体がエルヴェ・ファリエールであることまでは告げていないが。

 ここにはエルヴェがマリアンヌ・ド・ラファイエットである確証を求めに来ている。しかし万が一エルヴェがマリアンヌ・ド・ラファイエットとはまったく無関係の男装の麗人だった場合、それは彼女の名誉を不用意に傷つける結果になるかもしれない。だからこそ、まだ生きている人物に対する憶測の段階を出ていない推理はうかつに披露できなかった。

 門の前までやってきた使用人がアルフォンス達を案内し、屋敷の扉を開ける。玄関広間では使用人達が主の長男とその客人を出迎えた。挨拶をしながら、アルフォンスは周囲をざっと見渡す。


「あれは……」


 アルフォンスの目に留まったのは、壁に飾られた一枚の大きな肖像画だった。冷徹さを漂わせる紳士と、凛とした雰囲気の淑女が寄り添っている。近づいてまじまじとそれを見つめるアルフォンスに気づき、ダミアンは苦笑した。


「よく描けているだろう? 父と母の肖像画だ。母については私もその姿をよく覚えていないが、父の絵を見る限りでは限りなく実物に近いはずだ」


 では、この絵の中にいるのはレーアン侯爵とその夫人マリアンヌ・カルティエということか。エルヴェ・ファリエールが男性だという先入観を取り払い、肖像画を見つめる。瞳の色こそ違ったが、脳裏に思い描いた“彼女”には確かに肖像画の中の貴婦人の面影があった。髪をまとめて結い上げ、頬紅を差し、ドレスをまとわせ。そこにいたのは騎士を名乗る美しい少年ではない。マリアンヌ・カルティエとよく似た、一人の可憐な少女だ。

 そしてそれを確信すると同時に、アルフォンスは理解した。エルヴェがカルティエ家の子供として生まれてくることができなかった、一番の理由を。


 ――――――――抱きかかえた身体は冷たく、紅玉の瞳は固く閉ざされている。


 アルフォンスはマリアンヌ・ド・ラファイエットを見たことがない。事件が起きる以前から名前ぐらいは聞いていたが、目にする機会などなかったからだ。アルフォンスは一応貴族の生まれだが、貴族社会から距離を置いてだいぶ経つ。そんな彼が、自らに与えられた離宮に閉じこもる王子の寵姫の姿を見たことがあるはずがなかった。

 けれどアルフォンスは、マリアンヌ・ド・ラファイエットの外見について一つだけ知っていることがあった。彼女の死を語ったとき、フェリックスは確かに言っていた。「紅玉の瞳」と。

 眼前に飾られた肖像画の中で、レーアン侯爵の瞳は菫色で表されている。夫人、マリアンヌ・カルティエの瞳にはリラの色が使われていた。どちらも紅玉(リュビ)の色にはそぐわない。

 フランカシアにおいて、赤い瞳はさほど珍しいものではなかった。アルフォンス自身の瞳は淡い色合いだが、赤系統の色彩だ。昔からの友人にも赤い瞳をした者は多いし、ジェルマン―そしてマドレーヌも―綺麗な赤色をしている。ナタリーの瞳も赤かったし、エルヴェの瞳もそうだ――――そして先王、シャルル三世の瞳も。

 初めてエルヴェを見た時は、さほど疑問にも思わなかった。ありふれた赤い瞳、母親(ナタリー)と同じ色。けれど彼女がカルティエ家の娘だったと考えると、それはおかしい。マリアンヌ・カルティエはもちろんその夫も、赤色とはかけ離れた色の瞳なのだから。

 青みの強い、珍しい瞳。けれどその珍しさは、ありふれた赤に押し負けた。マリアンヌ・カルティエそっくりに生まれた娘は、瞳の色だけは本当の父親譲りだった。菫色でもリラでもなく、赤い瞳。それが妻の不貞を、夫と娘の血のつながりのなさを示してしまっている。げんにロジーヌの瞳はリラの色で、ダミアンの瞳は菫色だ。第二子だけ赤みが強くなるのはおかしい。

 もしもエルヴェの瞳がリラの色をしていたら、エルヴェはきちんとカルティエ家の娘として育てられていたのだろうか。男装などする必要もなく、レーアン侯爵夫妻の実子として彼女が育てられていれば、“寵姫マリアンヌ・ド・ラファイエット殺人事件”など起こらなかったはずだ。

 けれどそれは仮定の話だ。エルヴェは同じく赤い瞳をもつナタリーの息子として育てられ、マリアンヌ・カルティエの不貞は隠された。だからこそ、この事件は起こってしまったに違いない。


「父の命令で、母の部屋は当時のまま保存されている。案内しよう」


 ダミアンに連れられ、アルフォンスとジェルマンはマリアンヌ・カルティエの私室に向かった。使用人達がきちんと手入れをしているのか、彼女の部屋は女主人が亡くなって十五年経っているなどとは思わせないほど綺麗だった。生活感こそないが、女主人は少し屋敷を留守にしているがすぐに戻ってくるだろう、と聞かされれば信じてしまいそうだ。


「好きに調べてくれて構わない。もし何かあれば、私や使用人に言ってくれ」


 そう言ってダミアンは部屋を出ていった。自分がいては邪魔になると思ったのだろうか。その気遣いに感謝しながらアルフォンスは部屋を見回す。化粧品の並べられた鏡台とは違って机の上には何もないが、引き出しに鍵がかかっている様子はない。さすがにこの部屋の寝台は下に潜り込めるような隙間はなかった。本棚には古い物語のほかに分厚い日記帳が並んでいる。


「調べるなら日記と引き出しの中だろうな。ジェルマン、日記を、」

「はい、わかりました!」


 読んでみてくれ。今は亡きご婦人とはいえ、さすがに私が日記を見るのは抵抗がある……と続けようとした言葉は、ジェルマンの元気な返事で遮られた。アルフォンスが言葉を続けようとしたのもつかの間、ジェルマンはすぐに日記を抜きだしてアルフォンスの前に積み上げる。では引き出しを見てきますね、と言って身をひるがえしたジェルマンに、かける言葉はもう見つけられなかった。


(仕方ない……これも捜査のためだ)


 ため息をつき、アルフォンスは日記の山に手を伸ばす。一番気になるのは、ダミアンが生まれた年である二十年前の日記と、エルヴェが生まれた年である十七年前の日記だった。それぞれマリアンヌ・カルティエがシャルル三世と出逢った年、そして彼の子を身ごもった年だ。何かあるに違いない。


 【神よ、彼と出逢えたこの幸運に感謝します。そしてそれと同時に、わたくしはあなたを憎むでしょう。何故今になってわたくし達を出逢わせたのか。これなら彼のことなど知らないほうが幸せだったわ】


 そう記されていたのは、ダミアンの出産祝いと称して様々な貴族が贈り物を届けに来た、という日のことだった。淡々とその日の出来事が書いてあるだけの今までの文章とは違い、マリアンヌ・カルティエの想いがにじみ出ている。“彼”というのは言わずもがなシャルル三世のことだろう。

 それからマリアンヌ・カルティエと“彼”の逢瀬はたびたび日記に記されるようになった。誰かは明言されていないが、どちらにもこの逢瀬を手引きしてくれている人物がいたようだ。“わたくしの一番のお友達”、“彼の忠実なご友人”と称されているが、ナタリーとボリスのことだろうか。


 【わたくしはダミアンを産んで、貴族の妻としての義務を果たしたわ。それでもあの人は、決してわたくしを解放してくれないでしょう。けれどわたくしは、契約と欲望以外の愛を知りたいの】


 【あの人をごまかせる自信がない。嬉しい授かり物ではあるけれど、恐らく時期が合わないでしょう。ああ、わたくしはどうしたら……】


 【ダミアンのことは愛している。でも、お腹の子もダミアンと同じ、わたくしの大切な子供なの。必ず産んであげるわ。たとえあの人への裏切りになるとしても】


 【わたくしは金で買われた女。それなのに彼と出逢って、愚かにも彼に恋をしてしまった。それでもこの子に罪はないわ。何をしてでも、この子を守ってみせる】


 【あなたはわたくしの娘。けれどわたくしとあの人の娘であってはいけない子だった。あなたを守るにはこうするしかなかったの。ごめんね、リゼット。こんな母を許してとは言わないわ。あなたを手放した以上、母と呼んでほしいなんてことも思わない。それでもわたくしはあなたの母として、あなたの健やかな成長を祈ります。どうか、どうか幸せにおなりなさい】


 【彼との関係があの人に気づかれてしまった。王妃様があの人に言ってしまったらしい。でも、あの子のことは気づかれていないみたい。大丈夫。あの子は安全な場所にいる。いくらあの人でも、あの子のことに気づくわけがない】


 日記はすべて古の言葉で書かれていた。古の言葉は普段使いされるようなものではなく、話者などもういない。古の言葉を見る機会など、教会に関係する文献ぐらいのものだろう。

 古の言葉は、聖職者か、貴族であっても神学の勉強をしているか必要以上の教養を身につけた人物でなければ読み取れない。そういえばラファイエット家は教会と縁のある家だった。だから娘であるマリアンヌ・カルティエも古の言葉の読み書きができるのだろう。

 わざわざ古の言葉で書かれたということは、この日記を誰にも読ませたくないという思いの表れだ。ということは、レーアン侯爵は古の言葉を読めないのだろう。もしも読めていたら、彼はこの日記の内容について知っていなければおかしい。レーアン侯爵は妻の不貞に気づいたようだが、それは日記ではなく当時の王妃が密告したからのようだ。シャルル三世と引き離されてからも日記が滞りなく書かれていることからして、レーアン侯爵はこの日記に何が書かれていたのか知らないのだろう。

 幸いにしてアルフォンスは一時期神学について学んでいた時期があった。そのおかげでマリアンヌ・カルティエの日記を読み取ることができたが、それもおぼつかないものだ。それでもなんとか解読を進め、マリアンヌ・カルティエがシャルル三世と通じて彼の子を身ごもり、そしてその子供を手放したことは把握できた。やはりマリアンヌ・カルティエも、瞳の色まではごまかせないと悟ったのだろう。となると、この“リゼット”というのがエルヴェの本名であるはずだ。一応ダミアンや屋敷の使用人に確認は取るつもりだが。

 引き出しからはこれと行った者は見つからなかったらしい。ジェルマンは残念そうにそう報告してきた。だが、日記は大きな収穫だ。

 本棚に戻してから部屋を出て、ダミアンの姿を探す。ダミアンは居間にいた。彼の傍には年老いた執事がいる。


「侯爵夫人の日記について少しうかがいたいのですが……」

「ああ、日記か? すまないが、古の言葉で書かれているから私は読めないんだ。だが、父が宰相閣下に頼んで解読してもらったと聞いている。日常の出来事をつづっただけのものらしいから、卿が気にするほどのものではないはずだ」

「……宰相閣下に? それはいつのことでしょう?」

「母が亡くなってしばらくしてからだ。父は母と結婚する前から閣下と懇意にしていて、その縁で閣下に頼んだようだ。当時の私はそんなことなど覚えていなかったが、何かの折にロジーヌが母の日記について父に聞いたことがあってな。そのときに、父がそう教えてくれたんだ」


 ボリスは枢機卿だ。古の言葉が読めても不思議ではない。彼はあえて日記の内容を偽ってレーアン侯爵に伝えたのだろう。その回答に満足した侯爵は、日記についてそれ以上追及しなかったに違いない。

 ボリスがシャルル三世とマリアンヌ・カルティエの仲に協力的だった根拠がまた一つできた。レーアン侯爵と懇意にしていたというなら、ボリスなら軟禁中のマリアンヌ・カルティエとシャルル三世をつなぐこともできたかもしれない。それに、ボリスなら日記の内容をリゼットに伝えることができる。エルヴェ(リゼット)の真実を知るのは、やはりナタリーだけではないのだろう。


「ありがとうございました。では、最後にもう一つ教えていただきたいことがあるのです。リゼットという名前を、卿はご存知ですか?」

「リゼット? いいや、知らない名前だな」

「リゼット!?」


 きょとんとするダミアンとは裏腹に、執事は驚いたようにアルフォンスを見た。何か知っているのかと問いかけるダミアンに、執事は気まずげに頷く。


「ダミアン坊ちゃんの妹君のお名前でございます」

「妹?」


 死産だった妹がいるというのはダミアンも知らなかったようだ。当時彼はまだ三歳だ、侯爵の主導で弔いをしていたとしても覚えていなくても無理はないだろう。


「ですが検察官様、一体どちらでその名前をお知りになったのですか?」

「いえ、ちょっとした確認ですよ。どうかお気になさらないでください」


 怪訝そうな顔の執事に微笑みかけ、アルフォンスはダミアンに礼を述べる。執事がいるところで出していい話題ではないだろう。今日わかったことをダミアンに言えたのは、帰りの馬車の中だった。


「マリアンヌ姫が侯爵夫人の血を引いていらっしゃるという確たる証拠は見つかりませんでした」

「……そう、か」

「ですが、卿の妹君……リゼット様が実は生きていた可能性があります。マリアンヌ姫が侯爵夫人のご息女であるなら、リゼット様のことだったのではないかと」

「ならロジーヌは、異父姉と競っていたのだな」


 ダミアンは物憂げに呟いて目を伏せた。やがて彼は小さくため息をついて窓の外を見つめる。


「マリアンヌが死んでしまったことが悔やまれる。もし殿下とマリアンヌの間に御子が生まれていれば、バロイズ朝の流れをハーヴェル朝に受け継げたのだから。……父も母も愚かな人だ。せっかく妻が王に見初められたというのに、己の感情を優先させるなんて。だから母も王との子を手放すなどという愚を犯したのだろう。たとえ庶子でも王の血は王の血だ。リゼットがカルティエ家の娘として扱われていれば、カルティエ家の地位は揺るがぬものになっていただろうに……」

「……」


 アルフォンスがなにより嫌った、貴族社会のいびつさ。歪んだ価値観が横行する貴族社会から逃げるために家を出て検察官になったのに、今回の事件にかかわってからそれを見る機会が増えたような気がする。これ以上ダミアンと話すことは何もないと、アルフォンスは口をつぐんだ。

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