八人目の証言者:
「来てくれて感謝する。いや、まさか本当に来てくれるとは思わなかった」
「……フェルナン卿、どこであの名を知った?」
司法院からの召喚に応じて応接室に来た彼女は、開口一番にアルフォンスを睨みつけた。当然のことながら彼女は騎士服に袖を通してはいない。男物の服を着て喉元を隠しているだけだ。
「君の母君の日記帳からだ。リゼット・カルティエ。それが君の本当の名前なんだろう、エルヴェ・ファリエール?」
彼女は何も答えなかった。だが、彼女がここに来たことこそが何よりの証明だろう。
ファリエール家に対して行ったリゼット・カルティエへの呼び出しに、彼女は応じたのだ。それはリゼット・カルティエという名前が、彼女にとって無視できないものだったからに他ならない。
「わざわざそこまで暴いたんだ。フェルナン卿はすでに、真実に辿り着いたんだな?」
「仮説は立てたし、私はこれが真相だと思っている。しかし残念なことに、すべて暴けたと断言できるほどの確証がない。このままでは、私の推理はただの推測だ。だからこそ、君に答え合わせをしてほしい」
「確証があっては困る。みんな、証拠を消すことに一生懸命だったんだ。マリアンヌを殺すために、僕達は全力を尽くした。そう簡単に証拠が見つかってたまるか。……でも、ここまでされたなら応えないわけにはいかないな」
そう言いながら彼女――――リゼットは結んでいた髪をほどく。長い髪がふわりと広がり、紅玉の瞳がアルフォンスをまっすぐに見つめた。
「いいだろう、付き合ってやる。それがマリアンヌ・ド・ラファイエットという幻想に挑んでくれた卿への礼儀だ」
リゼットは笑う。それがリゼットとアルフォンスの論戦のはじまりだった。
*
「マリアンヌ・ド・ラファイエットを殺したのは君だ、リゼット」
リゼットがマリアンヌを演じることをやめてしまったら、マリアンヌは死んでしまう。しょせん彼女はリゼットが作り上げた幻想でしかないのだから。
アルフォンスの目の前にいる少女は三つの顔を持っていた。王子の近衛騎士エルヴェ、王子の寵姫マリアンヌ、そして先王の落胤リゼット。エルヴェもマリアンヌも、リゼットが演じていた人物だ。そんな人間は、存在しない。
「事の起こりは二十年前。シャルル三世がレーアン侯爵夫人を見初めたことからすべてが始まった」
ダミアンが生まれた年に、シャルル三世はどういった経緯かレーアン侯爵夫人を目にする機会を得た。レーアン侯爵が大切にしていた夫人の姿を見た王は、夫人に恋をしてしまう。けれどその想いが実ることはなく、二人は隠れて逢瀬を重ねた。
「レーアン侯爵夫人マリアンヌ・カルティエ。彼女は美しく、魔性の色香を持っていた。シャルル三世はたちまち彼女に溺れ、ついに子供まで為してしまう。……だが、いつそれが夫に暴かれるか侯爵夫人は気が気でなかったに違いない。もし王と通じていたことが明るみになれば、夫がどんな恐ろしいことをするかわかったものではないからな」
当時何があったのか、正確なことをアルフォンスに知るすべはない。レーアン侯爵に読み取られないように肝心なところをぼかして書かれたマリアンヌ・カルティエの日記をもとにそれらしい推論を組み立てているだけだ。答え合わせと銘打った以上、ようはリゼットを納得させればいいのだから。
日記には、当時の王妃が侯爵に密告したようだとあった。王妃といえばシャルル三世が処刑した一人だ。まさかこの恨みだけが原因だけではないだろうが、原因の一つぐらいではあったかもしれない。
「お腹の中にいる王との子を守るため、夫人は一計を案じた。同じ時期に妊娠していた親友に、自分の赤子を託そうとしたんだ。それがナタリー・ファリエールだった」
マリアンヌ・カルティエとナタリー・ファリエール。どちらが発案者で、いつごろその計画が発足したかはわからないが。
マリアンヌ・カルティエが死産でナタリーがエルヴェを産み、赤子を取り換えたような結果になったのはあくまでも結果論だ。もしもエルヴェが死産でなければ、リゼットとエルヴェは双子として育てられていたかもしれない。仮にエルヴェが生きていたとしても、赤子を取り換える必要はないからだ。そんなことをしたら、ナタリーの子供を危険に晒すことになる。本物のエルヴェだって、きっと赤い瞳を持っているだろう。
「リゼット。君がその赤子だ。リゼット・カルティエとして生まれるはずだった君は、エルヴェ・ファリエールとして育てられた。わざわざ男装をさせられたのは、君が母親と生き写しになることを恐れたからだろうな」
エルヴェは生まれた時から死んでいた。生まれたのは息子ではなく娘、リゼット・ファリエールとしてリゼットを育てていく選択もできたはずだ。しかしナタリーはそうしなかった。それはつまり、娘のままでは不都合があったからだ。
「君は男として育てられた。やがてシャルル三世は崩御し、帝国から新しい王が来る。ヴァレー伯爵……君の養父は新たな王を歓迎していた。だからこそ君も、フェリックス王子とすぐに知り合えたんだろう?」
それが遊んでいる途中の事故だったのか、幼いリゼットがうっかり秘密を漏らしてしまったのかは定かではないが、もしかするとフェリックスは早い段階からリゼットの本当の性別を知っていたのかもしれない。当時から二人の仲が友情を越えたものであった可能性は大いにある。
「ほどなくしてフェリックス王子は、君の異父妹であるロジーヌと婚約した。そして今から二年前、二人は結婚して……その一年後、君はマリアンヌ・ド・ラファイエットとして表舞台に現れた」
シャルル三世は、印章を信頼できる人物に預けたという。それは娘のリゼットだ。遺書とともに指輪をリゼットに預け、しかるべき時が来れば名乗り出るようにこっそりと指示したに違いない。……それがいつのことなのか、何故彼女は最初から名乗り出なかったのかはさっぱりわからないが。
「王を指名する者として、君はハーヴェル朝の正当性を認めさせた。そして君はマリアンヌとしてフェリックス王子の寵姫になった。……しかし君の働きは無意味なものだった。フェリックス王子は、この国の王位継承権を放棄して帝国に帰るつもりだったんだ。やがて、君はフェリックス王子の子を身ごもった。フェリックス王子は、君とお腹の子を祖国に連れ帰ろうと思ったんだろう」
フェリックスは、マリアンヌが現れる以前から継承権を放棄して祖国に帰ることを考えていた。それが延期になったのは、マリアンヌがハーヴェル朝を認めさせたからだ。
マリアンヌは、フェリックスをこの国に繋ぎ止める楔だったとも言える。しかしそれは永遠を約束するものではなく、むしろリゼットに対するフェリックスの愛情を加速させたのかもしれない。
「マリアンヌ・ド・ラファイエットは聖女の生まれ変わりと言われている。フランカシア王国の聖女と呼ばれる彼女が、王子とともに帝国に去るにはひと騒動あるだろう。フェリックス王子の帰国は認められても、それにマリアンヌが同行することは認められない可能性が高い。だからこそ、君達は一計を案じたんだ」
たとえマリアンヌ・ド・ラファイエットを望んでいなくても、リゼット・カルティエを切り捨てる気はフェリックスにはなかったのだろう。だからこそ彼は、リゼットとともにマリアンヌを殺したのだ。愛するリゼットを、リゼットのまま愛することができるように。
人の欲望に晒され、呪い殺されたマリアンヌ。尊いその身体は花に変わり散っていき、魂は黄金の蝶となって天に還る。地上に遺されたのは花びらだけだ。聖女殺しの大罪人は暴かれないままに、幻想の淑女は幻想のまま語り継がれる――――それがリゼットとフェリックスの書いた筋書きに違いない。
リゼットがマリアンヌを殺そうとしたのか、フェリックスがマリアンヌを殺させたのか。リゼットを養育していたナタリー、シャルル三世に忠誠を誓うボリス。この二人を巻き込み、リゼットとフェリックスは聖女を殺す茶番劇を演じてみせた。
侍女達に一度自分の姿を見せることでナタリーへの疑いを払拭させ。時間ぎりぎりまでフェリックスとボリスは執務室にいたことで二人は容疑者から外れ、死体を消失させる動機も失い。いち早く死体の発見現場から去ることで自分に密室の構築と死体消失の実行は不可能だと印象づけ。そして真実を黒魔術やら聖女やらの“人智を超えた”小道具で飾り、人々を思考放棄させようとした。マリアンヌ・ド・ラファイエットの死は、この四人が作り上げた幻想だった。
「フェルナン卿の主張はわかった。だが、それでは僕は納得しないぞ? 何故なら卿の言葉には根拠が伴わないからな。僕は卿に付き合ってやるとは言ったが、答え合わせまでしてやるとは言っていない。だからこそ、僕は卿の推理をすべて聞き、そしてそのすべて論破してやろう」
「しかし君の論破にも根拠がない。違うか? ないものを証明することは不可能だ。君は私の言葉を論破することはできても、反証まではできない。そうである以上、私も君の主張を論破できる」
「……あはっ。なるほど、確かにその通りだ。これではただの水掛け論になってしまう」
リゼットは小さく笑う。紅玉の瞳を楽しげに細め、リゼットはティーカップに手を伸ばした。
「悪かったよ、僕の負けだ。……八割正解、といったところだな」
「そうか。さすがにすべてを看破することはできなかったようだ」
「そう気落ちしないでくれ。フェルナン卿、卿は僕らの計画のほぼすべてを暴いてみせた。残りの二割のうちの一割……僕がマリアンヌとして生き、僕がマリアンヌを殺した理由は、フェルナン卿では知りえるはずのないことだ」
けれど卿は少し読み違いをしている。それが最後の一割だ。楽しそうに口角を吊り上げるリゼット。築き上げた幻想が暴かれていく焦燥などみじんも感じさせず、彼女は悠然と構えていた。
「卿の説明では、僕がシャルル三世から遺書と印章を預かった経緯が不明瞭だ。それに、遺書の文面も。何故シャルル三世は、僕に託した遺書にマリアンヌ・ド・ラファイエットの名を記した? 僕はリゼット・カルティエだ。少なくとも遺書を受けとるまでは、僕はマリアンヌ・ド・ラファイエットじゃなかった」
「それは……」
確かにそれは自分で説明していても詰まったところだ。目を泳がせるアルフォンスに、リゼットはやれやれと肩をすくめる。
「今のは意地悪な問いだった。推理材料が揃っていないのに尋ねるのは、いささか公平さに欠ける」
卿では絶対にこの問いに答えられない。答えようとすればあてずっぽうに頼るしかない。それではつまらないから、答えを教えよう。リゼットはそう前置きして再び口を開いた。
「あの遺書に書かれたマリアンヌ・ド・ラファイエットは、僕の母を指しているんだ。わざわざ旧姓を使ったのは、レーアン侯爵に対するささやかな意趣返しだろうな。……実はシャルル三世は、何度か自殺未遂をしているんだ。僕が生まれる前にな。あの遺書はその時に書かれたものだった。晩年のシャルル三世が書いたものは、別にあるんだ」
「そうだったのか? なら、マリアンヌが指名する王とは……」
「僕のことだ。僕は王の私生児であり、継承権はない。それでも王の遺言書があれば、即位ぐらいはできるだろう。……その後に起きる数々の問題にさえ目をつぶればな」
リゼットも又聞きのため信憑性のほどは定かではないが、シャルル三世は心を病んで精神が不安定な時期があったという。マリアンヌ・カルティエとの関係が発覚してレーアン侯爵によってマリアンヌ・カルティエが軟禁状態に置かれる直前のことらしい。リゼットが生まれる少し前からかつての王妃はマリアンヌ・カルティエとシャルル三世のことを怪しんでいたようだ。そのため、シャルル三世は己の愛が貫き通せないことにマリアンヌ・カルティエより早く気づいて絶望していたという。
心を慰めてくれていたマリアンヌ・カルティエと結ばれず、自暴自棄になったシャルル三世はせめて愛した女とそのお腹にいる子が日陰の存在で終わらないようあんな遺書を書いそうだ。しかし自殺は失敗し、遺書が効果を発揮する日は来なかった。まさかあの古い遺書が子供の世代で使われるとは、シャルル三世も思っていなかっただろう。
シャルル三世の遺書と印章をリゼットに渡したのはボリスだった。正確には、ナタリーに渡したようだが。晩年のシャルル三世は、エルヴェこそが自分の娘だと気づいていたらしい。シャルル三世がボリスを通してリゼットに渡したのは、正真正銘エルヴェにあてた二通目の新しい遺書だった。
一通目の古い遺書はマリアンヌ・カルティエが持っていたという。シャルル三世はボリスに頼んで一通目の遺書をマリアンヌ・カルティエに託した。しかしリゼットを出産するにあたって、その遺書の存在がレーアン侯爵に怪しまれてしまう要素になるのではないかと恐れたマリアンヌ・カルティエは、結局それをリゼットともにナタリーに預けたのだ。
「卿は、僕が一年前にマリアンヌとして現れたことを疑問に思っていたな。フェリックス達がこの国に来たのは今から八年前のことだ。この七年間、何故名乗り出なかったのかと。……答えは簡単だ。僕も知らなかったんだよ、自分が先王の子だったなんて」
もっと早く知っていたら、きっとすぐに名乗り出た。もっと早く教えてほしかった。そうすれば、フェリックスは苦しまなくて済んだ。そう吐き出される低い声には後悔がにじんでいた。リゼットは、心からフェリックスを愛していたのだろう。
「僕はずっと、ナタリーこそ実母だと信じて疑っていなかった。今でもあの人こそ僕の母だと思っているから、母と呼ばせてもらうけど。真実を知ったのは一年前……十六歳の誕生日だ。レーアン侯爵夫人がシャルル三世と会った年齢だよ。娘がその年になったら真実を教えてあげてくれと、侯爵夫人に頼まれていたらしい」
「君に真実を明かしたのは、ナタリーだったのか?」
「そうだ。母は僕の出自を明かし、二通の遺書と印章を託した。僕は遺書を読んで、新しいほうの遺書を隠すことにした。……新しい遺書には、僕こそ王だと書かれていたんだ。でも、王の座なんて興味がない。今さら名乗り出てなんになる。第一、フェリックスはどうなるんだ。歓迎されないまま招かれて、挙げ句には与えられたはずの王の座を奪われるなんてひどすぎる。だから僕は古い遺書を持ち出して、マリアンヌ・ド・ラファイエットになったんだ」
「女王になろうとは考えなかったのか? エルヴェであることをやめてリゼットに戻り、フェリックスを婿に取れば、マリアンヌ・ド・ラファイエットが生まれる必要はなかったはずだ」
「言っただろう。非嫡子の僕が女王になれば、また別の問題が生まれる。ファリエール家はきっと好奇の目に晒されるし、カルティエ家との軋轢もできるだろう。なによりフェリックスはすでにロジーヌと結婚していた。僕という存在を理由にして離婚裁判を起こせば、王家とカルティエ家の溝が深まるだけだ。……レーアン侯爵は臥せっているかもしれないが、次期当主のダミアンは健在だろう? 反乱でも起こされたら困るんだ。なんの基盤もない僕ではきっと勝ち目がない。だからフェリックスを立てたほうがいいと思ったんだ。僕は、少しでもフェリックスの力になりたくて必死だった」
【マリアンヌ・ド・ラファイエット。この者こそ新たなる王を導く者なり。彼女の指名した者がフランカシアの真の王である。もし王たるにふさわしき者いなければ、すべては天の主の御許へ戻るであろう】……わざわざ二通の遺書を渡したということは、ナタリーはわかっていたのだろう。リゼットに、マリアンヌ・ド・ラファイエットとして王を支えることを選ぶ可能性があることを。そしてリゼットはそちらを選んだ。自分が王になるのではなく、フェリックスを王にしようとした。
言い方は悪いが、シモン一世はついでのようなものだろう。シモン一世はめったにフランカシアに来ない、名ばかりの王だ。けれどフェリックスはひんぱんにフランカシアに滞在し、フランカシアの貴族令嬢と結婚している。シモン一世を始祖とするハーヴェル朝は聖女に認められた。二代目の王であるフェリックスの代で、民にも完全に受け入れられるだろう。それがリゼットの考えだった。それをフェリックスが望んでいなかったというのは皮肉なものだが。
「……君は、本当にフェリックス王子を愛していたんだな」
「当然だ。僕にとってフェリックスは……」
ぎゅっと握った拳を震わせ、リゼットは唇を噛む。けれどすぐに自嘲気味に笑った。
「僕は恋に溺れた愚王の娘だ。僕もまた恋に惑う愚か者だった。自分の立場をわきまえず、フェリックスの立場も考えず、僕はフェリックスに恋をした。優しいフェリックスまで愚か者にした。親子二代の恋愛沙汰に巻き込まれて、人々はさぞ迷惑していることだろう」
リゼットは語る。シャルル三世の時代にあった騒乱を。
当時の王妃がレーアン侯爵に密告したことでレーアン侯爵は妻の不貞に気づき、マリアンヌ・カルティエを軟禁したという。その後王妃が王弟と密通していたことや、王弟の反乱計画、王妃の実家の国庫着服が発覚したため、シャルル三世は王弟と王妃と王妃の実家を切り捨てたそうだ。それがシャルル三世の王族殺しの真相だった。
「言うまでもないけど、僕がマリアンヌに恋をしていたなんていうのは嘘だ。そう言っておけば、僕が疑われる可能性は低くなると思ってね。……僕はマリアンヌが嫌いだった。エルヴェとマリアンヌはどちらも僕なのに、マリアンヌにならなければ僕が本当に欲しかったものは手に入らないんだ。エルヴェのままだと、僕は友人として……側近としてしかフェリックスの傍にいられなかった」
不意にリゼットはそう切り出した。アルフォンスの反応を待たないまま、窓の外を眺めたリゼットはぽつぽつと語り出す。
「でも、一番嫌いなのはロジーヌだ。ロジーヌはあっさり王子妃になった。僕は幻想の中でしか寵姫になれなかったのに。僕がどれだけ欲しがっても手に入らなかったものを、ロジーヌはあっさりと手に入れた。それなのにロジーヌはフェリックスを傷つける。気に入った男をたくさん手元に置けるから、フェリックスのことなんて目もくれないんだ」
だったらフェリックス一人くらい、僕に譲ってくれてもいいじゃないか。
赤い瞳に宿るのは、聖女と呼ぶにはあまりにも濁った情念だ。きっと彼女自身が一番そのことを理解しているのだろう。
「僕のほうがフェリックスを愛してるのに、僕が先にフェリックスに恋をしたのに、僕が一番フェリックスを想ってるのに、僕は絶対にフェリックスの妃になれない。僕もロジーヌも、同じマリアンヌ・カルティエの娘なのに。父親が違うだけで、どうしてこうも差が出るんだ?」
恋多き少女ロジーヌ。フェリックスがロジーヌと婚約するより前に、彼に恋をしていたリゼット。フェリックスがリゼットを愛するようになったのがいつのことかはわからないが、ままならない話だ。もしも何かが少しでも違えば、こんなことにはならなかっただろう。
「身分も出自も、僕にとっては呪いみたいなものだった。リゼット・カルティエとして生きていれば……せめて僕がリゼット・ファリエールであったらと思わない日はなかったよ」
「だから君は、ロジーヌにマリアンヌ殺しの罪を着せようとしたのか?」
「否定はしないけど、それが理由のすべてじゃない。僕達は決めなかったんだ。マリアンヌを殺した犯人役を。犯人不明のまま真実を幻想の中に隠すつもりだった。もしその過程で冤罪が生まれるならそれでも構わない。犯人なんて最初からいないんだから、事件にどんな決着がつこうと僕達は気にしていなかった」
「どういう意味だ?」
「……まさか僕の素性に辿り着かれるなんて思っていなかったからね。確かに僕は、冤罪で捕まるならロジーヌがいい、ぐらいには思っていたよ。いざというときのために、怪しい人物は一人ぐらいいたほうが都合がよかったしね。結局ロジーヌの容疑は晴れたけど、勝手に自滅してくれた。僕としてはそれで満足だ」
「だが、人殺しの罪を着せようとするのはさすがにやりすぎだぞ」
「いいや、ロジーヌは人殺しだよ。……エルヴェが妊娠するわけにはいかないから、医者の往診はマリアンヌとしてプティ・サフィール宮殿でしていた。でも診てもらっていた医者は、ロジーヌに金を握らされたんだ――僕の子供は、ロジーヌに殺された」
「ッ!?」
「僕は何を恨めばいい? 僕の欲したすべてを持っていたロジーヌか、僕を愛してしまったフェリックスか、僕の運命を決めた大人達か、恋に溺れた両親か、望んで王子の寵姫になった僕自身か。……だけどお腹の子は、悪いことなんて何もしていなかった。たとえ一番悪いのが僕だったとしても、あの子に罪なんてない。あの子が殺されなければならない理由なんてなかったはずなんだ」
僕は確かにロジーヌが嫌いだったけど、ロジーヌの恋の邪魔なんてしなかった。ロジーヌの子供についても、なんとも思っていなかった。それなのに、ロジーヌは違ったんだ――――力なくそう呟いたリゼットの双眸はどこまでも昏く。ああ、これが大切なものを奪われた者の絶望か。かける言葉が見つからず、アルフォンスはわずかに拳に力を入れた。
「……知っているのか? その、君の子が流れたことを、今回の事件の首謀者達は……」
「知っているとも。ロジーヌが黒魔術に傾倒しているなんて噂があったから、それを利用して殺害には黒魔術が使われたことにしたぐらいだ。僕が流産していることを、誰も卿に言わなかっただろう? それは、ロジーヌにマリアンヌを殺す動機があるように見せかけるためだ。マリアンヌが王子の子を宿していなければ、ロジーヌが凶行に及ぶ明確な理由に欠けるからね。真相を知らない……今回の事件とはまったく関係のないプティ・サフィール宮殿の侍女達も、母がうまく言いくるめて口裏を合わせてくれた。……消極的ではあったけど、少なくとも僕とフェリックスはロジーヌが犯人扱いされればいいと思っていたし、他にもそう思っている人はいたんだろうね」
ポーリーヌが事件を利用してロジーヌを罠にはめようとしたように、リゼットも噂を利用してロジーヌを陥れようとしていた。けれど二人のたくらみは、結果的にお互いを阻害してしまっていた。それはロジーヌにとっては幸運だっただろう。ロジーヌも相当の痛手を負ったが、ポーリーヌは投獄されてリゼットもこうして罪を語っているのだから。
「……どんな理由があろうとも、偽証は罪だ。結果的に死人は出ず、冤罪で捕まった者もいない。それでも君は、君達は嘘をついた。故意に真実を隠そうとした」
「僕らを裁くつもりかい?」
リゼットは嗤う。アルフォンスが小さく頷くと、その笑みはいっそう深くなった。
「あいにくだけど、それはできないよ。何故なら僕の言葉には証拠がない。根拠がない」
「なんだと?」
「かつてここに来て、事件の証言をしたエルヴェ・ファリエール。彼の証言が嘘だったかを、君は判別できない。彼だけじゃない。フェリックス王子、ヴァレー伯爵夫人、メルヴィル宰相。彼らの言葉のどれが嘘でどれが真実だったかを知るすべを、卿は持たないんだ」
「だが、君は今しがた認めたじゃないか。私の推理が正しいと言って、補足の説明までしただろう!」
「それはあくまでもこの僕の証言だ。そして僕の言葉が嘘か真実かを調べるために、卿は裏付け調査をしなければならない。この場で僕を偽証罪に問うことはできない。僕は初めてここに来たんだから」
「そんな馬鹿げた話が通ると思っているのか!?」
「通らないとでも思うのかい? 誰が嘘をついているのか、卿にはわからないはずだ。なるほど確かに僕の言葉は真実かもしれない。僕の証言が正しいのなら、かつてここに来た四人の目撃者達は大嘘つきだということだ。一方、僕の言葉が嘘だという可能性もある。目撃者達の証言が正しいのなら、大嘘つきは僕のほうだ。さてフェルナン卿、卿はどちらが嘘つきか判断できると? 当然証拠も見せてくれるんだろうな?」
言葉に詰まったアルフォンスに、リゼットは告げる――――幻想は、掴めないから幻想なんだ。
「卿は侯爵夫人の日記を読んだという。そこにはリゼットという名前が記されていて、どうやら彼女は侯爵夫人の娘らしい。だが、その“リゼット”という人物に対して侯爵夫人は何をしたか日記には記されていたのか? 侯爵夫人の愛人の名は? 愛人との逢瀬を手引きした者達の名は?」
「それは……」
リゼットもボリスから日記の内容を聞かされていたのだろう。それも正確な内容を。だから彼女は知っている。彼女の問いに、アルフォンスが目をそらすしかないことを。
「そもそも僕は誰なんだ? 卿は知っているだろう、この僕の名前を!」
「リゼット……リゼット・カルティエだ! 君こそが侯爵夫人の娘であり、シャルル三世の庶子だろう!」
「あははっ! その通り、僕はリゼット・カルティエだ。エルヴェ・ファリエールではないし、ましてやマリアンヌ・ド・ラファイエットでもない。けれど、リゼット・カルティエなんていう人間は存在しない。そんな僕の言葉に、価値なんてあるわけがないだろう?」
召喚はリゼット・カルティエの名で行われた。つまり今日、エルヴェはここに来ていない。
アルフォンスの前にいるのは、かつて呼び出したエルヴェ・ファリエールと同じ顔をした少女だ。けれど“彼”と“彼女”が同一人物だと証明することはできない。エルヴェとリゼットを二人並ばせれば済む話だが、エルヴェは名目上は病人だ。以前のようにエルヴェ自身がここに赴いてくれるなら別だが、まだ罪が確定できていないのに、病人を無理に召喚することはできなった。
書類の上では"エルヴェ・ファリエール"は男性であり、"エルヴェ・ファリエール"その人が直接アルフォンスの前で自身の性別を明らかにしたわけではない。そもそも、仮にエルヴェが男装の麗人だったと暴かれたところで、ヴァレー伯爵夫妻の口から「次男が欲しいあまりに長女を男として育てた」と言われてしまえばそれで終わりだ。エルヴェとヴァレー伯爵夫妻の血縁関係の有無が証明できない以上、エルヴェ自身の性別がどちらであっても意味はなかった。
今アルフォンスの目の前にいる彼女は、あくまでも"リゼット・カルティエ"として証言をしている。もちろん彼女がリゼット・カルティエであろうがなかろうが、彼女を裁くことは可能だ。しかし裁くにはその罪を特定せねばならず、嘘をついているのは"リゼット・カルティエ"なのか"エルヴェ・ファリエール"なのかを明らかにしなければならない。
だが、今目の前にいる少女がリゼット・カルティエその人だという物的証拠はないし、そもそも王の血を引く娘リゼット・カルティエが実在していた証拠はない。あるのは状況証拠とリゼットの証言だけだった。しかし状況証拠はいくらでもこじつけられるし、リゼットの証言にも裏付けはない――――嘘を暴くための判断材料は、何一つとして存在しない。
リゼットが手のひらを返せば、アルフォンスの辿り着いた真実は再びただの推測に戻ってしまう。リゼットを納得させればいいなんて、それで終わりだなんて、そんなわけがなかったのだ。
「僕をこの場に引きずり出したいがためにその名を使ったんだろうが、失敗だったな。教会の出生記録を洗ってみろ。そんな名前の子供は生まれていないことがわかるだろう。フェルナン卿、君はリゼット・カルティエが存在しているという客観的な根拠を何一つ持っていないんだ。すべては卿の推理と僕の言葉でのみ語られる。さあフェルナン卿、君はすべての嘘を見破れるかい?」
「だが、君がリゼット・カルティエ本人ではないのなら、召喚に応じた時点で司法院を欺いたことになるぞ!」
「へえ、そう来たか。だけど待ってくれよ。そもそも実在しない人物を証言者として召喚しようとする時点で間違ってる。茶番なんだよ、この事情聴取は。今ごろ司法院の上層部は首をひねっているだろう。"リゼット・カルティエとは一体何者なんだろう"ってね」
「い……今、君はこうしてここにいる! それこそが、リゼット・カルティエが実在する何よりの証明だ! 君がその名を騙っているなら、それは司法院を欺く罪を犯したことになるし、君が本物のリゼットなら、」
「今までの証言は真実だった可能性も、嘘だった可能性もある。これで話が元に戻ったな。……フェルナン卿、卿がいくら調べたところで“リゼット・カルティエ”がこの僕だという物的証拠は出てこなかったんだろう? 僕に辿り着いたのは、卿の推理力と状況証拠のおかげだ。もし明確な根拠があったなら、卿はこの水掛け論をすぐにでも終わらせることができたんだから」
リゼットはそう言いながら立ち上がる。すでに己の勝利を確信しているのだろう。そしてアルフォンスには、彼女を引き留めることはできなかった。
善意の証言者を証拠もなしに拘束することは禁じられているし、任意の事情聴取である以上証言者の都合で終了しても構わない。だからアルフォンスは、ロジーヌを無理に引き留めることができなかった。ポーリーヌを一度帰した。ここにきて法が邪魔をする。アルフォンスが信じていた、唯一絶対の法がアルフォンスの行く手を阻もうとする。
ここで彼女を逃したら。きっともう、彼女を捕まえることはできないに違いない。彼女がすべてを話したのはそういうことだ。今この場で捕まえられないと知っていて、彼女はあえてアルフォンスの前に姿を見せた。何のために。勝者の優越感を味わうためか、仕掛けた謎の結末を見届けるためか。きっとその両方だ。
「僕はリゼット・カルティエが存在していない証拠を示せないし、卿はリゼット・カルティエが存在している証拠を示せない――疑わしきは、罰せない」
沈黙が降りた。紅玉の瞳から目をそらし、アルフォンスは深く息を吐き出す。
「……幻想の淑女は、マリアンヌ一人ではなかったんだな。リゼット、君もまた幻想に包まれていた」
「それが卿の答えかな。なら、僕がこれ以上ここにいる必要はないようだ。それじゃあさようなら、フェルナン卿。卿と話せた時間は、とても有意義なものだった」
それは敗北の宣言にも等しかった。アルフォンスはマリアンヌの幻想を砕いたが、手に入れた真実はリゼットという幻想の中に飲まれてしまった。そして彼女の幻想を暴く根拠はアルフォンスにはない。
「異国の貴族との愛を取り、祖国を捨てようとした聖女マリアンヌは神の怒りを買った。そう、彼女は神罰によって殺されたんだ。それがこの事件の真相だよ、フェルナン卿」
その言葉だけを残し、リゼットは応接室を出ていった――――エルヴェ・ファリエールは三日前に病死していたという話を聞かされたのは、その翌日のことで。祖国に戻ったフェリックスがエリザベートという帝国の大商人の娘を妃にめとったという噂がアルフォンスの耳に届いたのは、それからさらに一月が経過してからのことだった。




