その幻想は暴けるか
「なんだって!?」
目を剥いたアルフォンスに、ジェルマンは自身の推測を告げる。毎月一週間ほど休むのは月のものが来たからではないか、と。
「もしかしたら、エルヴェ様は妊娠していたのかもしれません」
「どうしてそう思うんだ?」
「時期です。月のものが来なくなって、エルヴェ様は吐き気を訴えたり不定期に休んだりするようになりました。エルヴェ様が休職したのはその直後です。妊娠が発覚したから、以前のように働くことができなくなったんじゃないでしょうか」
「吐き気というのはつわりのことか。だが、何故エルヴェは男装なんて……」
エルヴェは次男であり、上には当然兄がいる。後継ぎの息子がいないならいざ知らず、娘を息子にしなければならないような事情などファリエール家にはない。
近衛騎士など男装してまでなるような職ではないだろう。女性で身を立てたいなら、ほかにもっとやりようがある。わざわざ男装して騎士になどならなくても、侍女として出仕すれば上位貴族の子息の目に留まる機会もあるのだから。
そもそも近衛騎士は、貴族の娘で言う行儀見習いの侍女とほとんど同じなのだ。箔をつけ、良家の令嬢と知り合う機会を増やすためのもの。武勇を求め、女性でありながら剣の道に生きたいのなら、近衛騎士ではなく衛兵になるべきだ。
男装していては、適齢期を過ぎるまでにまともな嫁ぎ先を見つけることもままならない。女性が男装して近衛騎士になる意味はまったくないのだ。エルヴェの男装は、家の都合でも自分の出世のためでもない。
それなら何故エルヴェは己の性別を偽り、周囲にひた隠しにし、近衛騎士になったのか。次男として知られている以上、恐らく生まれた時からエルヴェは男として育てられていたはずだ。何か理由があるに違いない。思いつかないのなら、逆に考えてみたらどうだろう。そうでなければいけなかったとしたら。男装するしか、男として生きるしかなかったとしたら。
そこまで考え、アルフォンスははっとした。もしも彼が彼女なら。それならば男装の理由がある。男性として生きる必要に迫られている。そして彼女は妊娠している。だが、まさか、そんなはずは。
「ジェルマン、エルヴェは何歳だ?」
「私と同い年……今年で十七歳だったはずですが、どうかしましたか?」
「では、マリアンヌ・カルティエが長女を産んだのは何年前だった?」
「……十七年前、だったはずです」
アルフォンスの導き出した答えにジェルマンも辿り着いたのだろう。アルフォンスの問いかけに、ジェルマンはためらいながらも答える。
「もしも妻の忘れ形見が娘だったとして。そしてその娘が自分の実子ではなかったとして。さらにその娘が、妻に生き写しだったとして。……妻への愛に狂っていた男は、どうすると思う?」
「それは……ちょっと答えたくないです」
心底嫌そうにジェルマンは顔をしかめる。アルフォンスもまったく同じ気持ちだ。その男が抱くかもしれない劣情を、歪んだ愛を、たとえ可能性の話であれ一瞬でも思い浮かべてしまったことをアルフォンスは悔いた。
けれどきっと“誰か”は恐れた。成長した娘が、マリアンヌ・カルティエの生き写しになることを。マリアンヌ・カルティエに偏愛を抱いていたレーアン侯爵が、血のつながらない娘をマリアンヌ・カルティエのように愛することを。
そうはならないかもしれない。マリアンヌ・カルティエの子とはいえ、シャルル三世の子でもある。レーアン侯爵は娘を殺そうとするかもしれない。あるいは、それでもこの子は愛した妻の血を引く子なのだからとまっとうな愛を注ぐのかもしれない。げんにマリアンヌ・カルティエが命を犠牲にして生んだロジーヌは、そんな歪んだ欲望に晒されているようには見えなかった。それはロジーヌが父親似で、実子だったからかもしれないが。
少なくとも、長女が生まれた時点でまだ“誰か”はレーアン侯爵がどうするか読めなかったはずだ。当然のことながら、ロジーヌはまだ生まれてもいない。判断材料は、“誰か”が知るレーアン侯爵だけだ。
考えられるいくつもの可能性の中で、“誰か”は一番最悪の可能性を警戒したのだろう。その結果がエルヴェだ。エルヴェ・ファリエールという少年だ。
たとえレーアン侯爵がエルヴェを手籠めにしようとしても、近親相姦には当たらない。二人は血のつながった父娘ではないのだから。けれど幼い娘に亡き妻を重ね合わせ、亡き妻への歪んだ想いをその娘にぶつけることに、アルフォンスはおぞましさを感じた。きっと、“誰か”も同じようにおぞましく思ったのだろう。
(……いや、憶測で人を悪く言うものではないな)
なんとも言えない醜悪な想像を振り払うようにかぶりを振り、アルフォンスは窓の外を見つめた。こんなおぞましい事情以外にも、エルヴェが男装し続ける理由ならいくらでも考えられる。
娘を産んだ直後に不貞が明るみになり、娘の命を守るために娘を“息子”として第三者に預けた。娘があまりにも自分の幼いころに生き写しなうえに本当の父親の特徴も受け継いでしまったため、夫の目を欺くために“息子”にして養子に出さなければならなかった。そう、よく知らないレーアン侯爵の人間性を貶めなくても、エルヴェが何者かであるかの推測は立てられるのだ――――マリアンヌ・カルティエとシャルル三世の隠された娘、マリアンヌ・ド・ラファイエット。それが彼の、いや、彼女の本当の名であるかはわからない。けれどもエルヴェは、その名を名乗ったことがあるはずだ。王子の寵姫として、生きていたはずだ。
「ジェルマン。マリアンヌ・カルティエとナタリー・ファリエールの関係を調べてくれ。もし本当にエルヴェが女性で、マリアンヌ・ド・ラファイエットなら……今回の事件は、すべて嘘でできているということになる」
「わ、わかりました!」
エルヴェがマリアンヌ・カルティエの娘なら、ナタリーが知らないはずがない。知らなければ、エルヴェを男性として育てる理由がないのだから。
四人の目撃者。彼らの証言はすべて虚言で。あの部屋には死体以前に、女主人がいなかったのだ。
ドレスを着たマリアンヌは、侍女達が控室に行ったと同時にそれを脱いだ。替えの騎士服は隠し部屋にあったのだろう。血のりも花びらも、あそこにあったに違いない。血のりなどそれこそ黒魔術の店に行けばすぐ手に入るし、なんなら鶏でも殺しておけばいい。用意するのは難しいことではないはずだ。
騎士服に袖を通し、エルヴェに戻ったマリアンヌはそのまま隠し通路を通ってウェルシアル宮殿に向かった。そして何事もなかったかのように午前担当の騎士と交代し、フェリックスの護衛という名目でプティ・サフィール宮殿に戻った。
ナタリーが王子の来訪を告げるために女主人の部屋に行っても、返事の一つすら返ってこなかったのは当然だ。女主人は、王子と一緒に客間にいるのだから。
“マリアンヌのいる部屋”という幻想に包まれた予定調和の茶番劇は進んでいく。ナタリーがフェリックス達を呼び、フェリックス達はマリアンヌの部屋まで行って鍵を開けさせて、ありもしない死体を見て騒ぎ立てる。いや、本当は騒いでなどいなかったのだろう。もしもフェリックスが取り乱したのなら、隣の控室にいたジジ達が様子を見に来てもいいはずだ。
あらかじめ用意していた血のりを床に撒き、ドレスにそれらしい染みをつけ。使う機会はほとんどないとはいえ、近衛騎士は帯剣している。ドレスに刺し痕を作ることも容易だろう。凶器の刃物は現場から発見されないのだから、刃と刺し痕の大きさを比べることなどできない。穴さえあけられればなんでもいいはずだ。血のついたドレスを抱き寄せればフェリックスの服にも血がつく。これで偽装工作は完璧だ。
最初から騙されていた。最初の目撃者達は口裏を合わせて嘘をついていた。マリアンヌを愛したフェリックス、マリアンヌその人だったエルヴェ、エルヴェを男性として育てたナタリー、そしてシャルル三世に忠誠を誓うボリス。この四人には、共謀するだけの理由がある。
ナタリーがマリアンヌの侍女に選ばれたのは、彼女がマリアンヌの母だから。マリアンヌの秘密を知る彼女しか、その役目は務まらなかった。
マリアンヌが人前にめったに姿を現さないのは、彼女にはすでにエルヴェとしての顔があったから。近衛騎士と王子の寵姫という二重生活を両立させるため、マリアンヌとしての露出は最小限に抑えなければならなかった。
マリアンヌは姿を見せないのではない。見せられないのだ。普段はエルヴェとして生活しているのだからいつでもマリアンヌに戻ることはできないし、露出を増やすことでエルヴェとマリアンヌが似ていることに気づかれるかもしれない。だからマリアンヌは、図らずも幻想となった。姿をめったに見せないからこそ、名前だけが有名になった。分をわきまえた寵姫、まるで幻想のような淑女。エルヴェとしての姿があったからこそ、マリアンヌはそう呼ばれたのだ。
髪型や化粧で雰囲気は変えられるし、詰め物をすれば体格をごまかせる。いつも騎士服の詰襟をきっちり立てているのは喉仏がないことを隠すためだろう。女性にしては低い声だったが、野太いわけではない。生まれつき低い声の女性もいるし、意識すれば女性でもあの程度の低さは出せるはずだ。ジェルマンとエルヴェではエルヴェのほうが背は高いが、ジェルマンの身長は同世代の少女としては平均的な高さだった。それより少し高い少女がいても不思議はないし、なにより厚底靴でも履けば身長などいくらでも高くできる。
それに、マリアンヌ・ド・ラファイエットの顔をよく知る者はほとんどいない。彼女が公の場に顔を出したのはシャルル三世の遺書と印章を披露したときだけで、それ以降はずっとプティ・サフィール宮殿にこもりきりだ。
マリアンヌ・カルティエは、レーアン侯爵により表舞台から遠ざけられていた。そのうえ十五年も昔に死んだ女性なのだから、よほど彼女と親しかったか記憶力にすぐれた人物でない限りエルヴェがマリアンヌ・カルティエに似ているとは思わないだろう。そもそもエルヴェは男装している。男性だという先入観がある以上、人の目を欺くのは不可能ではない。だからこそ、ダミアンも気づかなかったのだ。
おそらくエルヴェがマリアンヌとしてプティ・サフィール宮殿に滞在するのは、月のものが来た時かフェリックスが来訪する時だけなのだろう。月のものには周期があるし、フェリックスの来訪はあらかじめ教えられている。そう難しいことではないはずだ。エルヴェの勤務日、あるいは勤務時間をずらしてフェリックスはプティ・サフィール宮殿に行っていたのだろう。
エルヴェとフェリックスは幼馴染みだ。彼もまたエルヴェが女性であることを最初から知っていたに違いない。そして女性の格好をしたエルヴェが、マリアンヌ・ド・ラファイエットと名乗っていたことも。
もちろんこれはまだ推測の域を出ない話だ。もしエルヴェが女性だとしても、マリアンヌ・カルティエの娘だとは限らない。まったく別の理由で男装をしているだけかもしれない。エルヴェがマリアンヌだという明確な根拠はない。だが、アルフォンスには何故かこの仮説が正しいという奇妙な確信があった。
*
「レーアン侯爵夫人とヴァレー伯爵夫人は、お互いが結婚する前からの親友でした」
後日、ジェルマンはそう報告した。マリアンヌ・カルティエとナタリーが旧知の仲であることは、アルフォンスが立てた仮説の大前提だ。これでアルフォンスの仮説は十分成立することがはっきりした。
「ヴァレー伯爵夫人は十七年前、レーアン侯爵夫人が長女を産む数ヵ月前に次男を出産しています。彼がエルヴェ様だとされていますが、何故か彼が生まれてから侯爵夫人が長女を出産するまで、エルヴェ様の存在が公になったことはありません。近しい親戚筋すら無事生まれたことを知らされていなかったらしくて、彼らがエルヴェ様の誕生祝いをしたのは数ヵ月経ってからだったそうです」
「単純に生まれたばかりだったからかもしれないが、疑いの余地があるな。その期間に赤子の取り換えが行われていたかもしれないぞ」
「はい。ヴァレー伯爵夫人が妊娠していたのは確実なので、もしもレーアン侯爵夫人の娘をヴァレー伯爵夫人が自分の息子として養育していたのなら、死産だったのは伯爵夫人のほうだったのだと思います」
本物のエルヴェ・ファリエールは、生まれた時から死んでいた。そしてマリアンヌ・カルティエの娘が代わりにエルヴェ・ファリエールとなり、出自を隠されて育てられた。だが、証拠がない。過去に起きた赤子の取り換えを、エルヴェ・ファリエールとして生きている何者かの正体を、明らかにできるだけの根拠がないのだ。
この仮説が間違っているとは思わない。しかし第三者に納得させるには動かぬ証拠が必要だ。当事者達に追及するにしても、彼らを自白させるための材料が必要だろう。
「くそ、はっきりしないな。あともう少しで真実に辿り着けそうなのに……」
推測を真実に昇華させるには、証拠がなければいけないのだ。いくらアルフォンスがこの推測こそ真実だと信じても、第三者に認められなければ意味がない。
フェリックスは、来週にはフランカシアを去るという。彼は故郷である帝国に戻り、もう二度とフランカシアの土を踏む気はないそうだ。フェリックスと話をするなら今週中でなければいけない。しかし証拠がないまま話をつけにいっても、はぐらかされるだけで終わるだろう。
直接エルヴェのもとに行くにしても、病に臥せっていることを理由にされて会うことすら叶わない気がする。十七年間秘密を隠してエルヴェを育てたナタリーが簡単に口を割るようには思えないし、ボリスに至っては言わずもがなだ。もはや打つ手はないように思えた。
だが、一つだけ突破口がある。まだアルフォンスもジェルマンも調べていないものが。
「……こうなれば、いちかばちかだ。カルティエ家を調べるぞ。マリアンヌ・カルティエの遺品に、何か手掛かりがあるかもしれない」




