↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻想の淑女マリアンヌ  作者: ほねのあるくらげ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/18

新たな情報

「――フェリックス・ド・ハーヴェルとロジーヌ・カルティエの婚姻は、無効である」


 教会裁判所における裁判官を務める司祭が木槌を鳴らす。下された判決を、傍聴席の人々はさも当然のように受け取っていた。わななくロジーヌ、自嘲気味に笑うフェリックス。法廷に立つ王子と王子妃はもはや夫婦ではなく、今この瞬間から彼らは他人だ。だが、フェリックスがロジーヌを一瞥することなく裁判を進めていたのは、そればかりが理由ではないだろう。

 マリアンヌが死んで、今日でちょうど一ヵ月だ。今までマリアンヌの喪に服していたフェリックスは、数日前にこの離婚裁判を起こした。ロジーヌにとっても突然のことのようで、開廷を迎えた今日になるまで準備ができていたかはわからない。もっとも、仮にロジーヌが開廷に備えて準備をしていたところで離婚を防ぐのは難しいだろうが。

 フェリックス側の証言や証拠は夫婦の破綻を如実に示していた。衆人環視の中で行われる私生活の暴露にロジーヌは青くなったり赤くなったり忙しいようだったが、一方のフェリックスは淡々とすべてを進めていた。早くこの茶番を終わらせてロジーヌと縁を切りたいという彼の考えがひしひしと伝わってきて、傍聴席で事の次第を見守っていたアルフォンスやジェルマンもどちらに同情すればいいのかわからないぐらいだ。

 ロジーヌが今まで言っていた、フェリックスを侮辱する発言の数々。冷めきった仲。ロジーヌの寝所に招かれた愛人の数。結婚以来一度もなかった営み。そしてお腹の子の父親。すべてを白日の下に晒したフェリックスは、離婚の成立という彼の求めるものを掴んだ。残されたロジーヌには不名誉しか与えられていないが。

 黒い疑惑のある王子妃は離婚され、侯爵家の娘に戻った。人々はそれを当然の報いだと嘲笑う。傍聴席からロジーヌに向けた野次が飛んだ。すでに閉廷した以上、裁判官はそれを静められない。困惑する裁判官をよそにロジーヌを悪女と罵る声は大きくなり、一方でロジーヌと別れたフェリックスを賢い王子だと讃える声も上がり始める。そんな喧騒を止めたのは、他でもないフェリックスだった。


「この場にいる者達に、言わねばならんことがある」


 決して大きな声ではない。それでも裁判所は静まり返った。傍聴席に座る人々に向け、フェリックスは寂しげに微笑んだ。


「私はもう王子ではない。……私はこの国の王位の継承権を放棄しよう」


 野次とは別種のざわめきが生まれた。戸惑う人々を見渡しながらフェリックスは語り続ける。


「ここはフランカシアだ。戴く王は、フランカシアの民でなくては。そうだろう? 我が父シモン一世の次に即位する王は、元老院の議員から投票で選ぶことになった。案ずるな、選ばれるのはきっと()き王だ」


 何故王子が継承権を放棄するのか。王子でなくなったフェリックスはこれからどうするつもりなのか。王の座はどうなるのか。人々の間から湧き出る疑問には一切答えず、フェリックスは退廷した。


「腹の子に罪はない。せいぜいその子供の父親と仲良く暮らすがいいさ。……だが、たとえ裁かれなかったとしてもそなたの罪が消えることなどないと知れ。忘れるなよ。そなたが奪った、命の重さをな」

「……ッ!」


 ロジーヌの側を通り過ぎる瞬間に彼が囁いたその言葉を拾った者は、ロジーヌ以外にはいなかった。


*


「本当にそうなさるおつもりだったんですね」


 裁判所内に用意されたフェリックスの控室に入るなり、アルフォンスはそう言った。二人の近衛騎士とともにアルフォンスの来訪を待っていたフェリックスは不遜に笑う。


「嘘だとでも思ったか? 私はもう、この国の王位に意味を見出せん。そもそも私はハーヴェル選帝侯の嫡男だ。その私が治めるべきは、ここフランカシアではなく帝国の空の下にあるハーヴェルの地であろう」


 フランカシアの貴族である二人の近衛騎士は、そんなフェリックスの言葉に複雑そうな表情をしていた。彼らの様子を見ながら、ジェルマンは何気なく顔見知りの騎士に尋ねる。フェリックスとアルフォンスの会話の邪魔にならないように、小さな声でだ。


「フランシス様と行動を共にするのは、エルヴェ様ではありませんでしたか? 失礼ですが、そちらの方は……」


 フェリックスが連れていた騎士のうち、一人はフランシスだった。エルヴェと組んでいると聞かされていた騎士だ。かつて聞き込み調査を行った際、ジェルマンはフランシスからも話を聞いている。そのおかげで彼の顔を知っていた。だが、もう一人の騎士は見知らぬ青年だ。エルヴェはどうしたのだろう。


「ああ、エルヴェはひどく体調を崩していてな。ここ数ヵ月ほど、長い(いとま)をもらっているんだ。辞職という(てい)ではあるが、事実上は休職だな。彼が出仕したのはマリアンヌ様が殺された日と、君が宮殿に来た日だけだった。だからエルヴェがいない間は、ここにいるジョルジュが私と組んでいるんだよ」

「そうだったんですか!?」


 同じく声量を抑えたフランシスの答えを聞き、ジェルマンは驚いて目を見開く。

 証言を聞いていた時も宮殿で会った時もそんなそぶりは見られなかったが、確かにエルヴェは身体が弱いという話も騎士達から聞かされていた。あの日はたまたま体調がよくても、普段はひどいのかもしれない。


「心配ですね。早くよくなるといいんですが」

「そうでもないさ。あいつは毎月、一週間近くは臥せっているからね。なんでもその時期になると体調が優れないそうで、決まった時期に休むんだ。さすがに辞職届まで出したのは今回が初めてだが、きっとすぐに復帰するだろう」

「……毎月、一週間? 決まった時期に?」

「ははっ、不思議な病だろう? 発作のようなものだと私は思っているんだが……定期的に発作が起きるなんて、まるで体内に時計でもあるようだ。だが、これは真実なのだよ。休みたいがために妙な嘘をついているんじゃないかと騎士仲間に突っかかられたことがあったんだが、その月のあいつはいつも休む時期にも青い顔で出仕した。いつも以上に機嫌が悪かったが、あれは体調が悪かったからだろうな。連日ひどくだるそうで、見かねた私が休むように言ったんだ」

「……」

「発作がない月もあるようだがね。げんに、辞職届を出す前の月は発作が起きた様子はなかった。……いや、だからといって体調が改善されたわけではないようだが。不定期に休むようになったし、吐き気を催すこともあった。だからこそ、彼は辞職届を出したんだろうな」


 近衛騎士。その役割は王族の装飾品だ。だからこそ華のある者が選ばれる。剣の腕は期待されず、護衛というのも名ばかりでしかない。身に迫る危険などないと思われているからだ。爵位を継ぐことのできない貴族の次男三男、けれど自分より身分が高い少女達に気に入られそうな見目麗しい青年。近衛騎士を目指すのはそんな者達だった。

 エルヴェはヴァレー伯爵の次男で、はっとするほど美しい。ヴァレー伯爵の領地がどこにあるかジェルマンは知らないが、確かに兄の補佐で一生を終わらせるにはもったいないだろう。あれほど整った顔なら、高位貴族の令嬢に見初められることもあるに違いない。たとえ病弱であろうと、近衛騎士に肉体労働は一切期待されていないのだから、彼が近衛騎士を目指したのも当然だろう――――だが、ひっかかることがある。

 

「……吐き気、ですか。あの、他にエルヴェ様に変わった様子はありましたか? いつからそんなご様子だったのか、とか、なんでもいいんですけど」

「私もエルヴェのすべてを把握しているわけではないから、あまり詳しくは覚えていないが……確かエルヴェが勤務中に何度も吐き気を催したことをきっかけに、殿下は私達を外の公務にお連れしてくださらなくなったはずだ。給金はそのままに、勤務時間を短縮してウェルシアル宮殿の内部でのみの勤務になったから、文句などはないがね」


 エルヴェの体調を考慮して楽な勤務に変更したのだろうとフランシスは笑う。エルヴェは殿下の昔からの友人、その体調を気遣うのも当然だ、と。

 そしてフェリックスによる采配があった二週間ほど後に、エルヴェは辞職届を出したそうだ。とはいえ、騎士団長は彼の辞職届を預かっただけで、実際に辞めさせたわけではないという。あくまでも休職という扱いだそうだ。体調がよくなればいつでも復帰してくれという言葉とともに、騎士団長や騎士達はエルヴェを送り出したらしい。

 近衛騎士の中には何度か見舞いに行った者もいるらしく、フランシスもその一人だそうだ。その時のエルヴェはそれなりに元気そうだったという。げんに二度出仕しているし、フランシスの口ぶりからして彼はエルヴェが元気になって戻ってくるのを信じ切っているようだ。


「……ああ、だが、二ヵ月前に見舞いに行ったときは、少し様子がおかしかったな。二度ほど行ったんだが、一度目は体調がひどく悪いからと断られてしまった。二度目に行ったときは、なんだか……そうだな、人形のようだった。こう言ってはなんだが、生気を失ったようでな。エルヴェはずっとぼんやりとしていて、私の言葉にもあまり反応してくれなかった」


 そんな様子を見せたのは、その時が初めてだったそうだ。それまでの見舞いでは、安静にしていながらも快活に笑っていたという。その日のことを思い出したのか、フランシスは少し表情を暗くさせた。


「それきり、マリアンヌ様が殺されてしまったあの日まで私はエルヴェとは会わなかった。あの日の彼は普段通りのエルヴェで、少し安心したよ」

「何の話をしているんだ?」


 アルフォンスとの会話を終えたフェリックスが尋ねてくる。フランシスが答えるより早く、ジェルマンはなんでもありませんと言ってフランシスに小さく礼をした。フランシスはきょとんとしていたが、フェリックスに答えるまでもない内容だと思ったのだろう。「なんでもありません」より深い説明をすることはなかった。



 司法院へ戻る道すがら、馬車の中でジェルマンはアルフォンスに尋ねた。


「アルフォンス様、フェリックス殿下と何をお話しされていたんですか?」

「彼の今後と、元老院を説得した方法についてだな。やはり彼は帝国に戻るそうだ。元老院を言いくるめた方法については教えてくれなかったが、ボリスがうまく手を回したんだろう。……ところで、そっちは何を話していたんだ? 私達が話している間、ずっと話し込んでいたようだが」

「……先入観って、恐ろしいですね」

「ジェルマン? 急にどうしたんだ?」


 ジェルマンはアルフォンスにこれまでの経緯とフランシスに聞いた話を話す。身体が弱く病気がちなエルヴェ。彼は月に何度も休んでいて、今も病床に臥せっているという。それのどこがおかしいんだと尋ねるアルフォンスを見上げ、ジェルマンはきっぱりと言い切った。


「エルヴェ様は病弱なんじゃありません――あの人、女性です」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。