マリアンヌ・ド・ラファイエットという女
「レーアン侯爵夫人のご実家についての調査結果が出ましたよ!」
ジェルマンが報告を持ってきたのは、マリアンヌの死から三週間が経ったときのことだった。
ロジーヌにまつわる疑惑のほうに民衆の興味が移ったせいで、もはや世論は「マリアンヌは王子と敵対する貴族に呪い殺され、聖女であるがゆえに肉体を遺さず天に還った」という結論で落ち着いている。聖女の生まれ変わりを認めず、王族に仇なし聖女を殺めた非道の輩は粛清せよなどという過激な意見も方々から出ているが、その“敵対貴族”の特定ができていないので何かが起きるわけでもないまま事態は収束に向かっていた――――だが、それでいいわけがない。
事件は解決していないのだ。アルフォンスは諦めていなかった。たとえそれを望む者がいなくなっていたとしても、必ず真相を突き止めてみせる。その固い意志のもと、アルフォンスは捜査を続けていた。
「ラファイエット家はもともと聖職者を多く輩出する一族で、教会内での影響力から男爵位を叙位された家でしたが、二つ前の代から教会内での派閥争いに敗れて肩身の狭い思いをしていたようです。そのせいで貴族としての暮らし向きも危ぶまれていて、侯爵夫人がお亡くなりになってから間もなくして没落しています。これはレーアン侯爵がラファイエット家への援助を打ち切ったことが原因のようですね。……そもそもラファイエット家が困窮を極めていたのは、侯爵夫人を手に入れるために侯爵が裏から手を回したからだなんて噂もありましたが」
「……その後、男爵家の人間はどうなった?」
「調べた範囲ですと、侯爵夫人のご両親は心労が祟ってか一度は体調を崩したものの、お二人とも大往生したようです。夫人にはご兄弟がいましたが、どちらも平民として生活していて、新しい家庭を築いて幸せに暮らしているようです」
「それならまだ救いはあった、か」
レーアン侯爵夫人マリアンヌ・カルティエがレーアン侯爵に嫁いだのは、その実家の資金繰りが苦しかったからだという。何代も前から続く貧困、立て直せる見込みのない暮らし。当主が何をしても家は傾くばかりで、そんな折りにレーアン侯爵がマリアンヌの嫁入りと引き換えにラファイエット男爵家への支援を提案した。男爵がそれを受け入れるのは当然のことだっただろう。たとえ娘を欲した男に黒い疑惑があったとしても、しょせん噂は噂だ。
男爵令嬢、それも貧しい家の娘に過ぎないマリアンヌが侯爵夫人になるのは異例のことだった。周囲は激しく反対したことだろう。だが、レーアン侯爵はそれを振り切ってマリアンヌを妻に迎えた。恐らくシャルル三世がマリアンヌを公妾にできなかったのは、そんな経緯があってのことだろう。
殺されたマリアンヌ・ド・ラファイエットが寵姫になれたのは、シモン一世とフェリックスを正統な王族だと貴族達に認めさせたからだ。そういった例外的な理由のない、なんの後ろ盾もないばかりかレーアン侯爵に大きな借りのあるマリアンヌ・カルティエを公妾にしてしまえば、レーアン侯爵に対して王家も借りを作ってしまうことになる。
もちろん、貴族夫人が王の公妾となる例はさほど珍しいものではない。だが、レーアン侯爵は夫人を偏執的なまでに愛していた。もしシャルル三世が王の権力を振りかざしてレーアン侯爵から夫人を奪えば、それはレーアン侯爵が王家に弓引く理由になってしまうかもしれない。そういった政治的な判断から、シャルル三世はマリアンヌを公妾にできなかったのだ。
たとえ侯爵夫人がレーアン侯爵に会うより早く、そしてシャルル三世が王妃を娶るより早く、シャルル三世と侯爵夫人が会っていたとしても、運命は変わらなかった。貧しい男爵令嬢が王妃になれるはずがないのだ。公妾ぐらいには、なれたかもしれないが。
そこまで考えて、ダミアンが最後に言った言葉がアルフォンスの脳裏をよぎる――――マリアンヌ・ド・ラファイエットは、王妃になれなかったマリアンヌ・カルティエの亡霊だ。
二人目のマリアンヌ・ド・ラファイエットは、今度こそ正式な寵姫になれた。なるほど、確かにその通りかもしれない。だが、皮肉なものだ。マリアンヌ・ド・ラファイエットを寵姫としているのはあくまでも王子で、王子妃ロジーヌがいる限り王子妃にすらなることはない。
そして、死んだのは寵姫のほうだ。もしお互いがお互いを邪魔に思っていたとしても、その座を失ったのはマリアンヌ・ド・ラファイエット。たとえマリアンヌ・カルティエの亡霊が宮廷に舞い戻っていたとしても、結局彼女は王妃になどはなれはしない。もし彼女が望んでいたのが公妾の、寵姫の地位ならば、彼女の望みは叶えられたと言えるのだろうが。
「ラファイエット一族に、寵姫マリアンヌと同じような年齢の娘はいたか? 聞くところによると、マリアンヌは十代後半から二十代前半らしいが」
「いいえ。女の子は何人かいますが、年齢が合わないかレーアン侯爵夫人に似ていないかでマリアンヌ姫になれるような子はいません。それに、マリアンヌ姫が現れる前から殺された後まで変わった様子の女の子はいませんでした」
「そうか。……傍系でないなら、やはり直系か?」
マリアンヌ・カルティエの亡霊。その言葉で真っ先に考えられるのは、ラファイエット家の娘だった。マリアンヌ・カルティエの無念を晴らしたかったのか、彼女によく似た自分にも王族の寵愛を受ける機会があると考えたのか、あるいはまた何か別の思惑があったのか。理由はわからないが、マリアンヌ・カルティエの親戚筋にあたる少女がマリアンヌ・ド・ラファイエットとして宮廷に来た。それがアルフォンスの導き出した仮説だった。
だが、それはあくまでもマリアンヌ・ド・ラファイエットがマリアンヌ・カルティエの傍系だった場合の話だ。もし彼女が本当にマリアンヌ・カルティエの娘であり、マリアンヌ二世と呼ぶべき少女だったのなら、彼女が王子の寵姫に選ばれたのには相応の理由がある。
「そのことですが、レーアン侯爵夫人は合計三度の出産経験がありました。二度目の出産は十七年前のことのようなので、ダミアン様とロジーヌ妃殿下の間にごきょうだいがいたことになりますね。ただ、その真ん中の子……長女は死産だったらしく、あまり表沙汰にはなっていないそうですが。そのせいか、ロジーヌ妃殿下がカルティエ家の長女として扱われているようです。……参考までにお伝えしますが、長女を出産した時期は、レーアン侯爵に前王陛下との関係が見つかる直前だったみたいですよ」
「考えられる可能性としてはそこだな。それに、もしもマリアンヌが本当にレーアン侯爵夫人とシャルル三世の子なら、その子供こそがマリアンヌに違いない」
前王の血を引く、新たな王子の子供を宿した娘。その命はあまりにも重い。マリアンヌ二世は非嫡子ゆえに王女と呼ばれない身だが、彼女に流れるバロイズ朝の王家の血は本物だ。
バロイズ朝の最後の王の娘と、新たな王朝ハーヴェル朝の王子。この二つの血が交われば、ハーヴェル朝の正当性はゆるぎないものになれる。少し形式は異なるとはいえ、唯一の王女が他国から婿を迎えてその婿が国王になるという形なのだから、それについて異論を唱える者もいないはずだ。
フェリックスとマリアンヌの子供も、民衆には“聖女との子供”として、そして真実に気づくほどの地位と力を持つ貴族達には“バロイズ王家の血を引く子供”として広く受け入れられるだろう。
問題は王子妃だが、彼女を追い出す算段はたやすい。誰もが彼女の不貞を噂しているし、そもそもフェリックスはロジーヌに対して離婚裁判を仕掛ける気だったという話も出ている。離婚が成立した後に改めてマリアンヌを王子妃に迎えればいいだけだ。
マリアンヌがシャルル三世の娘であったからこそ、フェリックスが彼女を寵姫とすることでハーヴェル朝は受け入れられた。最初から王妃としてシモン一世の妻にならなかったのは、シモン一世は親子ほど年が離れているし、当事者達のほうでもなんらかの言い分があったのかもしれない。まあ、それは些細な問題だろう。何も知らない者達は遺書と印章で騙せるし、最終的にマリアンヌとフェリックスの子を王位につかせられれば、真実に辿り着いた有力貴族を黙らせることもできるのだから。
レーアン侯爵が病に臥せり、自領に引きこもっているというのも大きいだろう。もはや中央に口を出せなくなった病床の侯爵は、突如として現れた聖女の生まれ変わりが自分の妻の娘だったと気づいたところで何もできない。
だが、ことはそううまくいかなかった。いや、フェリックスとマリアンヌは最初からそれを狙っていたのだろうか。アルフォンスの考えが正しいのなら、二人にとってこのフランカシア王国の王位などなんの意味ももたないものだ。
何故マリアンヌがわざわざ名乗り出たのかは不明だが、結局彼女はフェリックスとともに国を去ることにした。だが、真実を知る者達……マリアンヌの正体に気づいた者達はそうやすやすと彼女の帝国行きを認めはしないだろう。
フェリックスだけならまだしも、マリアンヌはシャルル三世の娘だ。マリアンヌがバロイズ家の血を継ぐ子供を産める唯一の存在だというのも事実。マリアンヌの懐妊をどれだけの人間が知っていたかはわからないが、たとえ知らなくても彼女をみすみす他国に行かせるはずがない。だからこそ、マリアンヌは殺されたのだ。他ならない自分自身の手によって。
「……ボリス・メルヴィル。宰相と言うだけあって、なかなか食えない男だったな」
マリアンヌがシャルル三世の娘である可能性が濃厚になった今、アルフォンスは宰相ボリス・メルヴィルもマリアンヌとフェリックスの協力者だったとにらんでいた。
ボリスは言っていた。自分の忠義はシャルル三世に向けられるものだと。そんな彼が主君の娘であるマリアンヌに跪くのは決して不思議なことではないし、そもそも彼自身「マリアンヌが認めたからハーヴェル朝を認めた」と言っている。シャルル三世亡き後のボリスの忠誠心がマリアンヌ一人に向けられていたのなら、ボリスはきっとマリアンヌの手助けをするはずだ。たとえそれが、国家の不利益になる行動だとしても。
マリアンヌの死は狂言だった。その線が一気に濃厚になる。
フェリックスとボリスは最後まで部屋に残っていたが、残る目撃者であるエルヴェとナタリーはすぐに部屋を出ている。一度死体として姿を現したマリアンヌが隠し部屋にいく光景を、この二人に見られる心配をする必要はない。
エルヴェとナタリーが部屋を出てすぐにマリアンヌは起き上がり、フェリックスとボリスとともに隠ぺい工作をして隠し部屋に姿を隠した。
死体の消失、散った花びら、黄金の蝶。聖女伝説とでも言うべきそれらは真相を煙に巻くための工作だ。死体が消えるという大きな謎を作ることで犯人の謎から目をそらさせ、そして「あの方は聖女の生まれ変わりなのだから、人智の及ばない力が働いたのだ」という言葉で事件を風化させる。凶器が黒魔術の儀式に使うナイフだったのも、その“人智の及ばない力”の一つなのだろう。
謎多き聖女の謎多き死。それは伝説となって人々の心に残るかもしれないが、すべての謎は思考放棄という名のもやに隠されやがて忘れ去られる。そこに真実はなく、あるのは幻想だけだ。聖女の名を持つ寵姫、幻想の淑女マリアンヌ。マリアンヌ・ド・ラファイエットとしてすべてを欺いた彼女は、自分をみごとに殺してみせた。マリアンヌでなくなった彼女は、ただの一人の女性として新たな人生を歩むのだろう。
(……いいだろう。私がお前の嘘をすべて暴いてやる。それこそが、お前の殺した“マリアンヌ”へのはなむけだ)
死人はおらず、濡れ衣を着せられて投獄された者もいない。幻想に飲み込まれて捜査官達のやる気も低下している。人々は王子妃にまつわる黒い噂に夢中になり、聖女の死の謎に対する答えを知ることをやめてしまった。だが、それでもアルフォンスは真実を求める。すべての幻想を打ち砕く、唯一絶対の真実を。




