疑惑
「ア、アルフォンス様!」
ポーリーヌの証言を聞き、ジェルマンが驚いてアルフォンスを見る。アルフォンスは鷹揚に頷いた。
「ランヴェイ公爵夫人。貴重なお話をありがとうございました」
「いいえ。わたくしは当然のことをしたまででございます。むしろ真実をお伝えするのが遅くなって、申し訳ない気持ちでいっぱいですわ」
そう言ってポーリーヌは薄紅の瞳に浮かんだ涙をそっとぬぐい、静かにうつむいた。柳眉は悩ましげに下げられている。懺悔するかのように胸の前で組んでいた両手がほどかれ、彼女の白魚のような指が向かいに座るアルフォンスへと伸びた。テーブルの上に載せられたアルフォンスの手に触れようと動くその指先をやんわりと拒み、アルフォンスは立ち上がる。
「ご協力ありがとうございました。後日またお話を伺うことがあるかもしれませんが、その時はまたよろしくお願いします」
「ええ。わたくしにできることなら、なんだってお話しいたしますわ」
ポーリーヌは真面目な顔で頷く。まるでアルフォンスとのやり取りなどなかったかのようだ。そのままポーリーヌは立ち上がり、一礼して応接室を出ていった。齢十八だというのに成熟した色香を漂わせる背中を見送りながら、アルフォンスは深々とため息をついた。
「時間の無駄だったな」
「どうしてですか? 王子妃殿下が犯人だって証言してもらえたじゃないですか」
「公爵夫人の証言ではマリアンヌの死体が消失した理由を説明できない。そもそも、マリアンヌの死因は刺殺だ。毒殺ではないぞ」
「あ……!」
「彼女は嘘をついている。それも王子妃を陥れようとするような、極めて悪質な嘘を。公爵夫人の言葉は信じるに値しないな」
ロジーヌが黒魔術に関与していたというのもどこまでが本当なんだか。そう呟き、アルフォンスは執務机に置かれた黒魔術師の顧客名簿を思い浮かべた――――側近が主人の名を騙って商品を買い付けていた可能性がある。もはやあの名簿は何の意味もなさない。あれに頼っても捜査を無駄に攪乱させるだけだ。
「表向き、凶器は不明ということになっている。それに、呪殺なんて噂がまことしやかにながれていたからな。“呪殺”という言葉に真実味……現実性を持たせるために、魔女から買った堕胎剤の話を持ち出したんだろう」
前日に王子妃ロジーヌが危険な堕胎剤を手に入れていた。堕胎剤は寵姫マリアンヌに使われるものだった。現場に大量の血痕が残されていたのは、堕胎剤を飲んで堕胎したから。御子は流れ、母体も命を失った。すべてロジーヌの仕組んだことだ――――それがポーリーヌの言いたかったことだろう。
だが、それだと凶器がナイフだという証言に矛盾するし、なにより毒殺では死体消失のトリックが一切説明できない。現場に犯人やその協力者がいない限り、死体の消失は不可能だ。
「色仕掛けまでして私を手玉に取ろうとするのは結構なことだが、少し詰めが甘かったな。凶器の目星がついていなかったということは公爵夫人も犯人ではないんだろうが、またここに呼ぶことになりそうだ。次は容疑者として、な」
偽証は罪だ。勘違いや思い違いならともかく、証言者として司法院に呼び出された以上は真実を告げなければならないし、明確な悪意を持って無実の人間を陥れるなどもってのほかだ。もしロジーヌが無実なら、ポーリーヌを罪に問う必要があるだろう。
「で、でも、証言をすべて無視してもいいんですか? ロジーヌ妃殿下が黒魔術にかかわっている可能性はまだ残っていますよ?」
「凶器とされる『大罪の呪刃』は、儀式と同時進行で対象を殺すんだろう? なら、ロジーヌに犯行は不可能だ。現場不在証明ができるロジーヌでは、“マリアンヌを呪い殺した”と見せかけることができないからな。そんなロジーヌが『大罪の呪刃』を……『大罪の呪刃』に模したナイフを凶器にするのは意味がない」
マリアンヌが殺されたとき、ロジーヌは自分の離宮でお茶会をしていた。『大罪の呪刃』は、依代にナイフを刺すと同時に対象にも同じナイフが刺さるという呪術だ。もしもマリアンヌの死を呪殺だということにしたいなら、儀式を実行できないロジーヌは容疑者から外れる。ロジーヌを告発したポーリーヌなら、ロジーヌの現場不在証明を崩そうとするはずだ。それなのにポーリーヌは『大罪の呪刃』のことなど口にしなかった。それどころか彼女は、毒殺なのだから犯人がその場にいなくても問題ない、と言っていたのだ。だが、それは刃物を見たという四人の目撃者の証言と矛盾する。
わざわざ『大罪の呪刃』なんてものを持ち出したのだから、犯人はマリアンヌの死を黒魔術と関連付けたかったはずだ。実際にはプティ・サフィール宮殿に忍び込んでマリアンヌを刺し殺しただけだとしても、『大罪の呪刃』という呪いの儀式によってマリアンヌは命を落としたということに見せかけたいのだ。だからこそ、ロジーヌは犯人にはなりえない。
もしもそこまで読ませるのが狙いでわざと『大罪の呪刃』を凶器としたのなら、それこそロジーヌは無実だ。その時間帯、ロジーヌはお茶会をしていたのだから。
ロジーヌが急遽催したというお茶会は、確かに彼女の無実を証明する大きな手掛かりになっていた。もしも『大罪の呪刃』を持ち出した理由が、黒魔術に傾倒していたロジーヌに罪を着せることだったのなら、真犯人の目論見はロジーヌの気まぐれによってみごとに打ち砕かれた形になるだろう。
「だから、ロジーヌが黒魔術に傾倒していようがしていなかろうが今回の事件には一切関係ないんだ。……まあ、ラ・ヴァードレッドについては別件で取り調べる必要があるだろうがな。黒魔術の真偽はさておいて、魔女の名で邪悪な儀式を行っているなら取り締まらなければならないだろう」
とはいえ、そういった案件はアルフォンスの担当するものではない。別の検察官へ連絡しておこう。その過程でこちらの事件にかかわるような事実が出たら教えてもらえばいい。そう思いながら、アルフォンスは冷めた紅茶を啜った。
*
数日後、魔女ラ・ヴァードレッドを捕まえたという話がアルフォンスの耳にも届いた。捕らえられたラ・ヴァードレッドはあっさりと己の罪と顧客の罪を自白したそうだ。
彼女の取り調べでわかったのは、ポーリーヌ・ヴァーレンが大嘘つきであったことと、ロジーヌは黒魔術に一切かかわっていないということだった。むしろ黒魔術に傾倒していたのはポーリーヌのほうだったようだ。ロジーヌの名を騙ったポーリーヌは、自分の侍女を使ってラ・ヴァードレッドから怪しげな品々を買い付けていたらしい。ロジーヌの名で堕胎剤を買われたのは事実のようだが、実際に買っていたのはポーリーヌのほうなのだろう。
ポーリーヌはすぐに任意での取り調べを受け、事実関係を調べるためロジーヌも呼び出された。ロジーヌは黒魔術にかかわるすべてを否定し、そしてラ・ヴァードレッドもロジーヌのことなど知らないと言ったらしい。「確かに王子妃の名前での客はあったけど、普段はお使いの侍女しか来なかったよ。呪術を使う本人が来るように言った黒ミサでも、来たのはポーリーヌとかいう女だけさ。あの女は王子妃の名前を名乗っていてねぇ。ま、あたしも王子妃の顔なんて知らないから信じちまったんだけど」……ラ・ヴァードレッドのそんな証言が決め手となって、ポーリーヌは捕らえられた。
ロジーヌが黒魔術に傾倒しているという噂は、ポーリーヌがロジーヌの名を勝手に使っているせいで流れたものらしい。ちょうどマリアンヌは呪い殺されたという噂が流れていたこともあり、ポーリーヌはそれを利用してロジーヌを陥れようとしたのだ。
ロジーヌがかつて行っていたというフェリックスの婚約者候補への嫌がらせやマリアンヌへの敵愾心は事実だったため、黒魔術の噂もさも真実のように語られてしまったようだ。ロジーヌはひどく憤慨していたが、この話をアルフォンスに教えてくれた同僚の検察官は自業自得だと鼻で笑っていた。
かつて自分をいじめ、あまつさえそんなことなどなかったかのように振る舞うロジーヌのことをポーリーヌは許してなどいなかった。少しでもロジーヌが不幸になればいい。そう思って、黒魔術に手を出したのだと。
ラ・ヴァードレッドから買った堕胎剤は、もともとロジーヌに使うためのものだったようだ。結局使う機会は見つからなかったのか、使用された形跡はなかったが。
どうせ王子の子でないのなら殺してもいいじゃない。王子の子を孕まない王子妃なんて、いる意味がないでしょう?――――そう語った彼女の目はとても恐ろしかったと、同僚は引きつった笑みを浮かべていた。
冤罪で捕まって、フェリックスの怒りを買って処刑されればいい。それがアルフォンスに嘘の告発をした理由だったようだ。自分を含めた多くの令嬢の心を傷つけておきながらのうのうと王子妃の身分を手に入れたロジーヌへの復讐。それができるならなんでもしたと、ポーリーヌは言ったそうだ。
ロジーヌを陥れることができるなら、人の死だって利用する。そんなポーリーヌには、さすがのアルフォンスも眉をひそめざるを得なかった。
ポーリーヌの投獄で、ロジーヌにかけられていたマリアンヌ殺しの疑いは晴れた。だが、素行の悪さが明るみになった王子妃に向けられる民衆の眼差しは冷たく、どこから話が漏れたのか王子妃のお腹の子が私生児だということまで広く知れ渡ってしまっていた。それまでは一部の有力貴族があくまでも可能性の一つとして話していたそれが、明確な事実として平民にまで信じ込まれたのだ。
かつて異国から来た王族を嘲った民は、聖女の生まれ変わりの登場によりあっさりと手のひらを返した。そして今度は、その妃を白い目で見るようになったのだ。いまやフェリックスは「最愛の聖女を喪ったうえ、悪女に騙されていた哀れな青年」だった。
それと同時に世間の興味は変わっていく。確かに王子妃は寵姫を殺していなかったかもしれない。だが、探せば余罪が出てくるのではないか。自分が王子妃になるために、影で手を回して殺した令嬢がいたのではないか。ポーリーヌも被害者だ、そしてロジーヌがいる限り第二第三のポーリーヌが現れるに決まっている――――もはや人々の目は聖女の死の真相より黒い王子妃の疑惑に向けられていて、宮廷も市井もその話題でもちきりだ。世論がそうなっていることに、アルフォンスはなんともいえない嫌な予感を感じていた。




