その7 ミキトの望むもの
「しかしミキトはこっちに来てからずっと淡々としているわね。……元の世界に帰りたいとは思ってないの?」
リーフが突如振った疑問。それは当たり前の疑問だ。
俺はこの世界の住民ではない。つまり戻るべき世界を持っている。
しかし俺は「元の世界に戻る」という考えはまったくなかった。むしろ指摘されて今思い出したくらいだ。
だってさ。戻った所で仲のいい友達がいる訳でもないし、帰らなければいけない約束もないんだぜ?
俺にとってあの世界は孤独。……帰らなければいけないと思ったことはない。 唯一未練があるとすれば、ゴールデンウィークにやる筈だったエロゲーくらいだ。
両親とビッチの姉ちゃんに対して無責任かもしれないが、俺は何のしがらみもない今の状況――異世界と魔法というこの冒険を――を楽しむ方が、元の世界に帰るよりよっぽど重要だった。
「そういえばミキト様の世界に戦争はあるのですか?」
何も答えずにいた俺に、マリナが優しい口調で語り掛けてくる。
「……ん、ああ。過去に大きな戦争が二度あったよ。俺はその時代には生まれていないけどね」
「そうですか。やっぱりどこの世界も同じなのですね」
「まあでも、今は比較的平和だよ。少なくとも俺の国は戦争にはなってない」
とはいえ、世界規模で見れば小競り合いや内戦は至る所で起こっている。平和と言っても日本だけを見た場合の話だ。
「悲しいですね。同じ人間同士なのに、どうして争うのでしょうか」
「……そりゃもう哲学の領域だ、俺には分からん。取りあえず資源、つまり人が必要とするエネルギーに限りがあるってのが大きな原因だとは思うけど。仮に潤沢にあったとしても争いは起きるだろうな」
「エネルギー……そうですわね。私たちの世界でも触媒の産地を巡って多くの争いが生まれました」
「魔法を使うための触媒、か。確かに魔法が生活の地盤となっている以上、奪い合いになるのは避けられそうにないな」
俺は天井に灯った光を見る。勿論その明かりは電灯や蛍光灯によるものではない。大きなの宝石(多分これが触媒だろう)をエネルギーとして灯りの魔法を使っているのだ。
光だけではない。テーブルを照らす蝋燭や釜土に使う薪の火といった「物理的なエネルギー変換」は、勿論この世界にも存在しているがそれは全体から見れば微量で、魔法の力によってエネルギーを生み出している割合の方が圧倒的だ。
この異世界において経済の基盤たるエネルギーは魔法なのだ。俺はここ数日をアラントという異国で過ごして実感していた。
「私は……争いが生まれない世界を見てみたいですわ」
笑顔を曇らせた彼女が呟いた言葉は、以前どこかで聞いた事のあるような呟きだった気がするが、ちょうど近くを通ったウェイターの声にかき消され、ちゃんと聞き取ることはできなかった。
沈黙が暫くの間テーブルを支配した。リーフもお嬢様の方を見て黙ったままだ。
「あ、これぼくのね~」
新しい料理が運ばれてきたのを見て、ユキが陽気な声で沈黙を破る。
「お前食いすぎ。次の料理はパスするって約束しなかった?」
「してません~。あっ! それぼくのアイムール貝!」
俺が皿の上に乗っていた大き目の二枚貝を摘まむと、ユキが非難の声をあげた。気にせず口に運ぶ。
「しゅまん。もぐもぐ……手が滑った」
「明らかに意思を持って動いていたように見えましたけどぉ⁉」
「ユキも食べて見ろ。実に旨いぞ」
「ごしゅじん……それ一つしかないんですけど」
「ハマグリのような濃厚な味が口内に広がって、喉と通る時にピリッとしたスパイスがこれまた格別だぁ!」
「感想は聞いてないんですけどぉ⁉」
二人でぎゃーぎゃー喚いていると、リーフが少しほっとしたような表情をする。
「まったく。バカ二人がいると騒がしいわね」
「おっぱいは黙っていてください~。食べてもどうせそのデカい所がさらにデカくなるだけでしょ?」
「なななななななん、なんあ! なんゆうと⁉」
即座にユキにからかわれ、真っ赤になるリーフさん。
「い、言っておくが! べ、別に私が変な訳ではなくこれは普通であって」
「普通? 普通なの?」
「ん、あ、んまあ……ちょっぴり違うかもだけど……いや! そういう貴女も結構なサイズだと思うんですけど!」
「ぼくはぁ、別にスタイルに自信があるしぃ」
「く……た、確かに私よりも痩せ形。なんでそんなにいっぱい食べてるのに……」
この二人の言い合いが始まると、少し暗かった部屋が明るくなったようにも思えた。
「ふふ、お二人が仲良くなられて嬉しいですわ」
「お嬢様、それは訂正してください」「マリナ譲、目ぇ開けてるぅ?」
どこまでも平和な三人である。もし仲の良い友達がいたとしたら、こんな感じなのだろうか。
俺はグラスを手に取り口へ運ぶ。それは甘く、一口飲むだけでこれまでの疲れを癒してくれるように感じた。
その時、グラスをテーブルに戻そうとしてうっかり手を滑らせてしまった。テーブルに軽く当たり床へと落下すると、ガラスの割れる小さな音がした。
別に酒を飲んでいるから酔っている訳でもないのだが、うっかりしたな。
破片を拾おうと屈むとマリナも同様に屈む。
「あ、いいって。やるよ」
「大丈夫ですわ。わたくしの方が近いですし……あっ」
マリナが一瞬顔をしかめ、手を引っ込める。
少々おっちょこちょいの彼女だ。多分指を切ったんだろう。
「言わんこっちゃない」
「うう……ごめんなさい」
正直ここで指をパクっと咥え「これで大丈夫だよ」と言えばパーフェクトなんだろうが、それには「ただし※」という注釈が必要だ。
なのでフツ面の俺にできたのは、はテーブルに置いてあったナプキンで指を包んでやることくらいだった。
「あ、ありがとうございます」
「……いやグラスを落としたのは俺だしな」
マリナが紅潮した顔でお礼をいうものだから俺も照れてしまう。
これは……何かいい感じじゃないですか? もしかして春ですかぁ?
「ちょ、ちょっと! お嬢様に何してるのミキト!」
「ごしゅじん~? ご主人のナンパステータスは結構高めだったのですねぇ」
言い争っていた二人もここぞとばかりに参戦してくる。
うぜえ。いや俺とマリナが釣り合わないのは分かってるけどさ。
「まあいいよぅ! ほら新しいグラス! かんぱぁい!」
「く、あなたまだ飲む気なの……? こののんべえ精霊め……」
ユキが新しいグラスを手にすると、また穏やかな雰囲気に戻ったのだった。
その後、何度も解散するという声が上がったが、結局テーブルが解放されたのは、夜もいい加減更けた頃だった。
宛がわれた部屋に戻ってベッドに寝そべると、直ぐに睡魔がやってくると同時に、すーすーという寝息が聞こえてきた。ユキは浮いたままさっさと寝てしまったようだ。
仰向けになった天井を見る。大理石のような綺麗な石で、自分の部屋とは似てもつかない。ま、第一俺の部屋にすやすや眠る精霊なんていなかったし。
目が覚めたら、俺は異世界にいた。
だとしたら。
目が覚めたら「いつもの世界」に戻っていることも、あるだろうか。
いつの間にか、心がもやもやとした感覚に包まれていた。
安心か、それとも不安か。どちらともつかない何かを感じつつ、俺は目を閉じた。




