第六章 力の向こう側
街の名前はガルドナといった。
ヴァルタから三日歩いた先にある中規模の街だ。領主の管轄地の中でも比較的大きな商業都市で、市場が賑わっていて宿も多い。
賑やかだった。しかし何かが引っかかった。人々の顔だ。笑っているが目が疲れている。怯えている人間の目だ。
騒ぎが起きたのは夕方だった。
路地の奥に人だかりができていた。中心にいたのは領主の兵士四人。そして兵士たちに囲まれているのは一軒の家だった。
家の前に女が立っていた。四十代くらいだろうか。必死な顔をしている。その後ろに子供が二人隠れていた。
「出てこい。お前の夫は領主様の倉から麦を盗んだ。連帯責任だ」
「夫は死にました。三ヶ月前に病で。子供たちには何も関係ない」
「夫が盗んだ麦の弁償ができなければ子供を働かせる。それが決まりだ」
子供たちが泣いていた。
私は状況を見た。間に入ろうと足を踏み出した時だった。
隣でヴィサラの息が変わった。
振り返った。ヴィサラの顔が変わっていた。笑顔が消えていた。
目が揺れていた。しかし揺れているのは恐怖ではなかった。怒りだった。それも並の怒りではなかった。
兵士の一人が女の腕を掴んだ。女が悲鳴を上げた。子供たちが泣き声を上げた。
その瞬間だった。ヴィサラが前に出た。
「やめなさい」
「引っ込んでいろ」と兵士が凄んだ。「引っ込まない」とヴィサラは言った。「その子たちを放しなさい」
ヴィサラの手のひらが光った。青い光だった。
私は走った。「ヴィサラ、待って!」
止めるのには間に合わなかった。
ヴィサラの魔法が放たれた。兵士に向かって放たれたはずだった。
私が間に入った瞬間に軌道がずれた。
光が路地の壁を砕いた。轟音がした。砂埃が舞った。
砂埃が収まった時、路地に倒れている人がいた。
女の子だった。二人の子供のうちの小さな女の子が、崩れた壁の破片に当たって倒れていた。動かなかった。
時間が止まったように思えた。
リオンが駆け寄って女の子を抱き上げた。「生きてる。ただ頭を打っている。早く医者を」
私はその場に立っていた。動けなかった。
私が間に入ったから。私がヴィサラを止めようとしたから。魔法の軌道がずれた。女の子が倒れた。
頭の中でそれだけが繰り返された。
女の子は医者に運ばれた。命に別状はないと言われた。
宿に戻って部屋に入った。誰も何も言わなかった。
しばらく沈黙が続いた。
「私のせいだ」とヴィサラが言った。
「私が間に入らなければ」と私は言った。
「違う」とヴィサラは言った。「あなたは止めようとしただけ。正しいことをしようとした。それが悪いわけがない。ただ」
「ただ?」
「正しいことが、必ずしも正しい結果を生むわけじゃない。それだけのことよ。それだけのことが、どれだけ残酷か」
「話してもいいかしら」とヴィサラは言った。「本当のことを」
ヴィサラが語り始めた。
「先に言っておく。山道で話した、母が三年前に死んだというのは嘘。組織が用意した作り話だった」とヴィサラは言った。「本当はもっとずっと前。私がまだ子供の頃の話」
「私の家族はある村に住んでいた。魔法使いの家系で、村人の治療をしながら生きていた」
「その村に老人が来た。武具職人だと名乗っていた。目が澄んでいて、静かな人だった」
私の体が固まった。
「その老人は村に三日泊まった。母と話していた。子供だった私にも話しかけてくれた。一緒に星を見たり、畑の野菜を褒めたりしていた」
じいさんだ。
「その老人が村を去って一ヶ月後に、村が燃えた」
ヴィサラの声が変わらなかった。変えないようにしているのだと分かった。
「領主の軍が来た。老人と村に繋がりがあるという理由で。母が死んだ。祖母が死んだ。父も死んだ。私だけが生き残った」
「その老人の名前を後で調べた。ケイ・サヴァという名前だった」
私は息ができなかった。
「私はずっと憎んでいた。ケイ・サヴァを。だから黒幕の組織に誘われた時、迷わなかった。ケイ・サヴァに繋がるものを追跡するという仕事だったから」
「じいさんが村を燃やしたんですか」
「違う」とヴィサラは言った。「あの老人はそういう人じゃなかった。星を見ながら笑っていた人が、村を燃やす理由がない」
「黒幕が利用したんだと最近になって分かった。ケイ・サヴァが村に来たという事実を使って、軍を動かした。ケイ・サヴァの魔法が原因だという嘘をついて、村を燃やした」
「ケイ・サヴァは利用されていた。そして私も利用されていた」
「あなたは」と私は言った。「私に近づいたのは組織の指示だったんですね」
「最初は」とヴィサラは言った。「ケイ・サヴァの後継者を監視しろという指示だった。でもあなたと旅をして、いろんなものを見て、分からなくなった」
翌朝、セイヴァンが宿に来た。
「セイラ嬢」と彼は言った。「私も話さなければならないことがある」
セイヴァンが話し始めた。
「ケイ・サヴァ様のことを。私は若い頃に命を救われた。旅の途中で賊に襲われた時に、偶然通りかかったケイ・サヴァ様が助けてくださった」
「封印のことも伝えたんですね。黒幕に」
セイヴァンの顔が歪んだ。一瞬だけ。すぐに戻った。
「ええ。領主に仕えるようになって、ケイ・サヴァ様の情報を求められた。断れなかった。封印のことを話した。それが罠に使われた」
「じいさんが死んだのは」
「私のせいです」とセイヴァンは言った。
部屋が静かになった。
「ずっとそれを抱えていた。あの方は命の恩人だった。なのに私は」
声が途切れた。セイヴァンは目を伏せた。
「じいさんはあなたを憎んでいたと思いますか」と私は聞いた。
「憎んではおられなかったと思います」とセイヴァンは静かに言った。「それが一番苦しい。最後にお目にかかった時も、あの方は私を責める言葉一つ口にされなかった」
「ええ」と私は言った。「そういう人じゃなかった」
「セイラ嬢」とセイヴァンは言った。「これからあなたの旅に同行させてほしい。領主への忠誠は終わりにする。遅すぎたが」
「分かりました」と私は言った。「ただし一つだけ。次は私に先に言ってください。黙っていることが一番困る」
セイヴァンが小さく頷いた。ヴィサラが小さく笑った。本物の笑いだった。
その日の昼過ぎに女の子が目を覚ましたという知らせが来た。
「昨日、光がきれいだった」と女の子が言った。小さな声だった。「ドーンってなる前に、青い光がきれいだなって思った」
「そうか。きれいだったか」
「うん。でも怖かった」
「そうだね。きれいなものが怖い時がある」
女の子の頭の包帯を見た。
力は手段だ。しかし方向を誤れば、きれいなものが人を傷つける。
じいさんはそれを知っていた。だから封じた。
まだ分からなかった。ただ一つだけ分かったことがある。
簡単に力を使ってはいけない。それだけは体の奥に刻み込まれた。
── 第六章 終 ──




