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セイラ・サバーの事件簿  作者: あび


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第二章 港町の英雄と父の罪

 タルム村を出たのは祭りの三日後だった。

 朝靄の中でウォルド家の母親が手を振っていた。コウも来ていた。照れくさそうに頭を下げるコウの隣でガラン爺さんが腕を組んでいた。

「早く帰ってこい」とガランは言った。「お前がいないと村が静かすぎる」

「静かな方がいいでしょう」と私は言った。

「お前がいない静かさは寂しいんだ。それとは違う」

 私は笑って背を向けた。

 リオンはすでに村の外れで待っていた。大きな荷物を背負って、いつもと変わらない無表情で立っていた。

「待たせた?」

「いや」

「嘘だ。一時間は待ったでしょう」

 リオンは何も言わなかった。それが肯定だと私は知っている。

 こういう人間なのだ。この青年は。損な性格だと思う。しかし嫌いではない。


 カルセまでの道は三日かかるとリオンは言った。

 山を越えて、森を抜けて、海沿いの街道を行く。リオンは道を熟知していた。五年前に一人で歩いた道だからと言った。

 歩きながらリオンが父親のことを話した。ぽつりぽつりと、長い間を置きながら。

「父は昔から不器用な人だった」とリオンは言った。「漁師としては腕がよかった。ただそれだけの人だった」

「それだけって言い方はひどいね」

「褒めているつもりだ。余計なことを考えずに一つのことを真剣にやれる人間は少ない」

「工事の事故は本当に事故だったの?」と私は聞いた。

 リオンの足が一瞬止まった。

「…分からない」と彼は言った。「ただ、あの工事には最初からおかしなところがあった。足場の材料が粗悪だったと。それを訴えた人間が何人かいたが誰も取り合わなかったと」

「誰に訴えた?」

「現場の監督に。監督は領主の家臣だ」

 私は黙って歩いた。頭の中で何かがゆっくりと動いた。

 領主。セイヴァン。

 あの男が村を去る前に見せた一瞬の表情を思い出した。笑顔の下で何かが揺れた、あの顔を。

 言葉にならない引っかかりが胸の奥にある。まだ形にならない。ただそこにある。


 二日目の夜、野営の焚き火の前でリオンが珍しく先に口を開いた。

「なぜついてきた」

「暇だったから」

「嘘だ」

 私は火を見つめた。

「リオンのお父さんに会いたかった」と私は言った。「ウォルドさんの親友だった人に」

「それだけじゃないけど」と私は続けた。「うまく言えない。なんとなく、動いた方がいい気がした」

「なんとなく、か」

「あなたに言われたくない。あなただって五年間なんとなくタルムにいたでしょう」

 リオンは少し間を置いて言った。「そうだな」

 焚き火が爆ぜた。星が多い夜だった。

 ケイ・サヴァじいさんはこういう夜が好きだった。縁側に座って黙って星を見ていた。何を考えているか聞いたことがある。じいさんは少し間を置いてから言った。遠い昔のことを、と。

 その時は意味が分からなかった。今も分からない。ただ前よりは少しだけ近いところに答えがある気がする。


 三日目の昼過ぎにカルセが見えてきた。

 坂道を下った先に広がる港町だった。潮の香りが風に乗って届いた。船の帆が白く光っていた。

「大きな町だね」と私は言った。

「昔はもっと活気があった」とリオンは言った。「工事が終わってから変わった」

 坂を下りながら私は町を見渡した。確かに活気が薄い。市場に人はいるが笑い声が少ない。

 そして。港の入り口に大きな石碑があった。


  「港湾拡張工事完成記念 総監督 ガルド・ヴェイン この町の発展に多大なる貢献を果たした英雄に感謝を捧ぐ」


「ガルド・ヴェイン」と私は呟いた。「知ってる?」

「知っている」とリオンは静かに言った。「工事の現場監督だ。今は町の英雄として称えられている」

 英雄。その言葉が胸の中で静かに沈んでいった。


 リオンの実家は港から少し離れた路地の奥にあった。小さな家だった。壁の漆喰が所々剥がれている。

 奥の部屋にリオンの父親がいた。布団の上に横になっていた。日焼けした顔に深い皺が刻まれている。かつては屈強な漁師だったのだろうと分かる骨格をしている。しかし右足に巻かれた厚い布と、天井を見つめる虚ろな目が今の状況を語っていた。

「最初から嫌な予感はあった」と父親は言った。「足場の木材が安物だった。節だらけで乾燥も足りない。現場監督のガルドに言った。三人で直訴した。そうしたらガルドは笑ったんだ」

「笑った?」

「ああ。問題ないと言った。予算の都合だと言った」

「一週間後に足場が崩れた。俺を含めて四人が落ちた。ガルドは事故だと言った。治療費は自己負担だと言った」

「直訴した記録は残っていますか」

「写しなら残っている」と父親は言った。「ただ…写しだけでは足りない。原本はガルドがどこかに隠したはずだ」


 翌朝、私は一人で、英雄館と呼ばれるガルドの屋敷に向かった。

「旅の者です。この港町の工事について書き物をしていまして、英雄様のお話を直接伺いたくて」

 ガルドは滔々と語った。工事がいかに困難だったか。いかに自分が陣頭指揮を執ったか。

 私は話を聞きながら部屋を観察した。書き物机。棚。引き出しが三つある木製の箱。あそこだ、と思った。

「一つだけ聞かせてください。工事中に怪我をされた方への補償は」

 ガルドの顔から笑みが消えた。一瞬だけ。すぐに戻った。

「そのような事実はありません」

「そうですか」と私は言った。立ち上がった。

「あ、一つだけ。この部屋の木箱、素敵ですね。どこで」

「ああ、これは領主様から」とガルドは言った。「いただいた…」

 そこで止まった。私は微笑んだ。「領主様から。そうですか。では失礼します」


 ガルドは動く。今日中に原本を移すか処分しようとするはずだ。

 その夜リオンの幼馴染である自警団の男ベオの力を借りて、古い倉庫で証拠を押さえた。

 五年前の日付。三人の署名。足場の木材の問題を訴える文書。そしてガルドの受領印。

 受け取った事実を証明する原本がここにあった。


 翌朝、リオンの父親の部屋で原本と写しを並べて置いた。

 父親はしばらく二枚の紙を見ていた。やがてその目が潤んだ。

「五年だ」と彼は静かに言った。「五年間ずっとこれを…」

「リオンが探しに来ました」と私は言った。「五年かかりましたが」

 父親はリオンを見た。リオンは相変わらず無表情だった。しかし耳が赤かった。

「馬鹿息子め」と父親は言った。

「そうだな」とリオンは言った。

 二人はそれだけ言って黙った。私は窓の外を見た。港に朝の光が差していた。


 町を出る前にベオが教えてくれた。ガルドは領主の遠縁にあたる。工事の予算を水増しして二人で懐に入れていたという噂もあると。

 領主。またその名前が出てきた。

 タルム村の冤罪も。カルセの工事も。根っこは同じところに繋がっている。

 そしてセイヴァンは。あの男はどこまで知っているのだろう。

「セイラ」とリオンが言った。「行くぞ」

 振り返らずに歩き出した。潮風が髪を揺らした。

 じいさん、と私は心の中で言った。

 少しずつ見えてきた気がします。あなたが守ろうとしていたものの輪郭が。


── 第二章 終 ──


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