第九章 もう一人のケイ
タルム村に着いたのは二日後の夕方だった。走り続けた。セイヴァンと二人で、ほとんど休まずに走り続けた。
村の入り口にリオンが立っていた。
「カルセは」と私は言った。
「父と母は無事だ。ウォルド家も無事だ。ヴィサラも来ている」
私は息を吐いた。間に合った。
村の集会所に全員が集まっていた。リオン、ヴィサラ、セイヴァン、ガラン、ウォルド家の母親、コウ、そしてリオンの父親と母親も、荷馬車でカルセから来ていた。
「状況を整理します」と私は言った。全員が静かになった。
私は話した。西の森のこと。紋様のこと。番人の老人のこと。黒幕が紋様に触れようとして弾き返されたこと。
そして、ここまで集めた手がかりを一つずつ並べていった。
「まず、黒幕の正体から。順番に話します」
全員の視線が集まった。
「一つ。黒幕は最初から、私のことも、宝石のことも、じいさんの封印のことも知っていた。ヴィサラに私を監視させたのも、宝石を狙ったのも、全部こちらの手の内を読んだ動きだった。じいさんの封印を知る人間はごくわずかです。ほとんど身内しか知らない」
「二つ。各地で起きたことは、どれもじいさんゆかりの糸を正確にたどっていた。ヴィサラの家族が住んでいたのは、じいさんが三日泊まった村。宝石は、じいさんと同じ職人筋が作った石。偶然じゃない。じいさんの記憶を持っている者にしか、ここまで正確には突けない」
「三つ。番人はこう言った。あの紋様はケイ・サヴァの血を引く者しか触れられない、それ以外は弾き返す、と。黒幕は触れようとして弾かれた。つまり黒幕は、ケイ本人でも、ケイの孫でもない。けれどケイの記憶と力をそっくり持っている」
「ケイの記憶を持ち、ケイの力を持ち、それでいてケイ本人ではない者」と私は言った。「答えは一つしかありません。じいさんから分かれた、もう一人のじいさんです」
誰も言葉を発しなかった。
「次に、その器が誰か」と私は続けた。
「今日の兵は魔法を使った。あれは領主の軍です。でも領主は表に出てこない。背後から領主を動かせるのは、領主の遠縁で、各地に『英雄』として顔の利く人間――港町カルセで会った、ガルド・ヴェインです」
リオンの顔が変わった。「父を陥れた、あの監督が」
「ええ。番人も言っていた。黒幕の顔は、お前自身の知っている顔だと。私たちが知っていて、領主を裏から動かせる人物――ガルド・ヴェインしかいない」
「ただし、ガルド自身が黒幕なのではない。各地でじいさんの糸を正確にたどる芸当は、あの俗物の監督一人にできることじゃない。さっき青い光を使ったのも見たでしょう。人の心に触れる、封印級の魔法を。あれはガルドの力じゃない。ガルドの体に、別の意志が入っている。乗っ取られているんです」
「その意志が」とガランが言った。
「もう一人のケイ・サヴァです」と私は言った。
私は番人の老人から聞いたこと、宝石から受け取った映像、自分なりに繋ぎ合わせたことを話した。
ケイ・サヴァが国を平定した時に力を使いすぎた。その過程で失った命への罪悪感と後悔が、もう一人の人格を生み出した。ケイ・サヴァはその人格を最後に封印した。
しかし封印した側も分身だから同じ力を持っている。ケイ・サヴァの封印が少しずつ解けていくにつれて、もう一人のケイ・サヴァの封印も同時に解けていった。
二人は同じ記憶を共有している。だから黒幕は私のことも宝石のことも全て知っていた。一つ目の手がかりが、これで腑に落ちる。
「ケイ・サヴァ様が」とセイヴァンは静かに言った。「そのようなことを」
「じいさんも苦しんでいたんだと思います」と私は言った。「自分の中に生まれてしまったもう一人の自分を封じながら、ずっと」
ヴィサラが静かに言った。「私の家族を巻き込んだのも」
「もう一人のケイ・サヴァが動いた可能性があります。じいさん自身ではなく。同じ記憶を持っているから、じいさんの人間関係を利用することができた」
その夜遅くだった。外から声が聞こえた。「東の街道から人が来ます。一人です。老人です」
私は立ち上がった。「見てきます」
村の入り口に出た。月明かりの中に人影があった。
老人だった。杖をついて歩いている。近づくにつれて顔が見えてきた。
私は息を飲んだ。ガルド・ヴェインだった。しかし違った。体はガルドだった。しかし目が違った。
澄んでいた。何もかも知っているような目をしていた。じいさんの目と同じ色をしていた。
「来たか」と老人は言った。じいさんの声だった。しかしじいさんではなかった。
「もう一人のケイ・サヴァ」と私は言った。
老人は微かに笑った。「正確だ。さすがケイの孫だ」
集会所から全員が出てきた。
「話しに来た」と老人は言った。「取引だ。宝石を渡せ。そうすれば私は消える。宝石には元の肉体を再生する力が眠っている。全ての宝石が揃えば私は自分の体を得られる。そうすればガルド・ヴェインも、その他の人間も傷つけない」
「信じられません」と私は言った。
「ただ考えてみろ。私はケイ・サヴァの分身だ。同じ記憶を持っている。ケイ・サヴァがお前をどれだけ大切にしていたか知っている。お前を傷つけるつもりはない」
「ではなぜ各地で人を傷つけた。リオンのお父さんを。ヴィサラの家族を」
「必要なことだった。私が生き延びるために」と彼は言った。迷いがなかった。
「一つだけ聞かせてください。じいさんはあなたを憎んでいましたか」
老人が止まった。初めて表情が揺れた。
「憎んでいなかった」と老人は静かに言った。「それが一番苦しかった。封印される瞬間まで、あの男は私を憎まなかった」
「じいさんらしい」と私は言った。
老人はしばらく私を見ていた。その目に何かが過ぎった。郷愁のような。後悔のような。
「お前はケイに似ている。顔ではなく、目が。あの男も若い頃はそんな目をしていた。何も諦めていない目だ」
「取引には応じられない」とセイヴァンが前に出た。「宝石を渡すことはできない」
「ならば力ずくだ」と老人は言った。手のひらが光った。青い光だった。
リオンが前に出た。「セイラ、下がれ」
「待って」と私は言った。「戦わなくていい。まだ」
「じいさんが答えを残してくれている。西の森の紋様が。戦いはその後で」
「選択します」と私は言った。「じいさんが言っていた。選択する時のために残してくれたと。その時が来たんだと思います」
「では教えてください」と私は言った。「じいさんが本当に望んでいたことを。あなたには分かるはずです」
長い沈黙があった。月が雲に隠れた。村が暗くなった。
やがて老人が静かに言った。「あの男が望んでいたのは。力のない世界ではなかった。力に頼らなくても生きられる世界だった」
「それがお前には作れると思っているのか。たった一人の小娘に」
「一人じゃない」と私は言った。
振り返った。リオンがいた。セイヴァンがいた。ヴィサラがいた。ガランがいた。ウォルド家の母親がいた。コウがいた。リオンの父親がいた。全員がそこにいた。
「じいさんが守ろうとしていた人たちが全員ここにいます。これがじいさんの力です。封印された力が人に渡っていく、そういうものです」
老人は長い間黙っていた。月が雲から出た。老人の顔が月明かりに照らされた。その目が、少しだけ変わった気がした。
「西の森へ行け」と老人は静かに言った。「私も行く。決着をつけよう」
── 第九章 終 ──




