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その時、センターの奥。実は、続き部屋が存在する方向から 声が聞こえた。
「トーラ!」
僕は、ガタリと椅子が倒れそうになるのも気にせず、勢いよく立ち上がった。
続き部屋の扉が開いて、壁にもたれかかるようにトーラが立っていた。彼女は、ぷっくり頬を膨らませて不満気な顔だ。
「こら。今日は寝ているよう言ったはずだぞ。風邪を引いていて、昨日熱が引いたばかりなんだから」
「だって.....暇なんだもの。私も仕事がしたいわ」
「普段なら いくらでも、と言うところだが。今日はダメだ。体調を戻す方が先だ」
「.....むぅ」
むくれる彼女の頬をつついてから、ふわりと柔らかな指通りの髪をひと撫でする。彼女の不機嫌だった顔は、途端気持ちよさそうに変化して、もっとと強請るように首が伸びた。
それだけで、僕の顔には笑みが溢れる。数度、手をふわふわと往復させた。
「ほら、わかったら早くベッドに戻るんだ。どうしてもセンターに来たいと君が言うから、安静を約束に連れてきたはずだぞ」
「....はーい」
ドアから覗く部屋には簡易的だが、クッション性などはきちんと考慮したベッドが見える。
センターで仕事中、彼女の身体が辛くなった際に休息をとれるよう僕が設置したものだ。視線で指し示すと、やれやれ と言った空気でトーラが背を向けた。
「あ、あのー」
「ん?」
と、背後から声がかかり、二人で同時に振り返った。
「私は、仲介業者のネルゲンと申します。も、もしかして.....トーラ・クローズの、開発者であるトーラ様、ですか?」
恐る恐る。だが、目はキラキラと輝きを放ちながら、ネルゲンさんが問いかける。
「.....ええ、初めまして。いつもトーラ・クローズを大切に扱って頂き、ありがとうございます」
トーラは、ニコリと微笑んだ。
「やはり!とんでもございません!お礼を言うのはこちらの方なのです」
「...........?」
「私には妻がおりまして。.....妻も、あなたのトーラ・クローズに救われた者の一人なのです」
「そうだったのか」
そんな話は初耳で、僕は目を見開いて驚いた。
ネルゲンさんは、懐かしむ様子で穏やかに話し始めた。
「実は.....妻は五年前に不慮の事故で、足を失いました。
幸い 一命は取り留めたのですが、以来、脳の誤作動で引き起こされる幻肢痛に苦しむようになりました。
妻の症状はひどく、薬もあまり効果がなかった。毎日 痛みに疲弊し 生きることに余裕がなくなっていきました。
座っているのが辛いからと、好きだった絵を描くこともやめてしまって。まるで、抜け殻でした」
「...........」
「そんな時、あなたの開発してくれたトーラ・クローズに出会ったんです。
以来、着ている間は痛みなく過ごせるようになった妻は、事故以前の明るさを取り戻していきました。
また絵も描き始めて、妻は再び自分の人生を歩き始めたんです」
そこまで語ったあと、男性は深く頭を下げた。
「トーラ・クローズの仲介業を始めた時、いつか開発者様にお会いできたら、直接お礼を申し上げたいと思っていました。.....妻を助けて頂き、本当にありがとうございました」
トーラは嬉しそうに笑った。
「頭を上げて下さい。奥様が、元気になられて良かったです」
「ええ、元気すぎるくらいで。それにしても、感動です」
「え?」
「月に一度程度ですが、こちらには何度もお伺いしていて、トーラ様にお会いできたのは初めてでしたので」
「あー.....」
ぽり、と頬を掻いたトーラが 横に立つ僕を仰ぎ見た。
◇
僕の姿勢は、以前と変わってはいない。彼女の夢を応援し、叱咤激励しながら共に歩んできたつもりだ。
だがーー
晴れて恋人同士として結ばれ、彼女が大学を卒業して夫婦となってから、変化した面もあった。
ひとつは 僕が大学病院の診療棟から研究棟に異動し、『魔力消失症』について研究を始めたこと。
そして、トーラの主治医となったこと。
ーー僕には気になることがあった。
トーラが僕との関係性に悩み始めた頃。彼女は隠しているつもりだったのだろうが、明らかに上の空でぼーっとしている時間が長くなっていた。
センターに通わなくなった二ヶ月、彼女自身が僕との面会を拒否していたのは 察していた。
やっとトーラと再開し 彼女の中の葛藤が解けて、二人の関係性が安定した。
僕と結ばれてから初めての検査で、「結果が良くなっていた」とトーラが報告してくれた。
それらを経て、もしかしたらと『ある仮説』が僕の頭の中に生まれた。『患者の精神状態が魔力消失スピードに影響を与えている』という仮説。
僕は仮説を確実なものとするため、トーラの主治医となり、研究を進めた。
まず『仮説』をもとに、試験的にトーラの行動や精神面のコントロールを願い出た。つまり、トーラの精神状態が安定する過ごし方を提案した。
悩みがあれば 一人で考え込まず、必ずユーリや僕に相談すること。
対人関係において、気を張ってしまう相手との時間はなるべく短時間に抑えること。
勉強や仕事に集中して取り組むことに、僕は口出ししないこと。
トーラは訝しげにしながらも、約束を守ってくれた。結果、彼女の数値は良い方に劇的に変化した。
他にも同じ病気を抱える患者に聞き取りを行い、各患者に合った過ごし方を提案し、試験的に過ごしてもらった。
仮説は、まさにその通りだったのだ。
特に、『生きたい』と思うかどうかは最重要ポイントとなっているようだ。
『生きたい』と強く思う患者ほど、魔力消失スピードが緩やかになる傾向があった。
そして、悩みの有無。
悩みがある患者ほど、数値は落ちていく。
恐らく 悩みは、生きることや自分の存在意義に少なからず疑問を生む瞬間があるからかもしれない。
病気の謎は、徐々に明らかになりつつある。と言っても、僕が知る『魔力消失症』の患者は現在 トーラ含めて数名だけなので、圧倒的にデータが足りていないのは否めないが。
それでも、今までの研究者たちが集めたデータと僕が自ら集めたデータは少しずつ蕾を膨らませていた。
要するに 彼女が あまり姿を見せないのは、ユーリや友人達との関係は別として、トーラに負担の少ない形を二人で話し合った結果、来客対応などは僕が担うことになったからだ。
明確に仕事に集中する環境を整えてから、病気の進行は殊更弱まり、トーラにとってこの対応は間違いではなかったと感じている。勿論、今日のように風邪くらいは引くこともあるが。
トーラの動作で 何事かを察したのか、男性があたたかい眼差しを向けた。
「良い ご夫婦ですね。お互いを慈しみ、愛し合っておられるのが伝わってくる」
「まぁ。ふふ、そんなこと.....あるわね」
「あるな」
二人で視線を交わしたまま、微笑み合ったーー。




