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「トーラ」
ガヤガヤと騒がしい教室。前の授業で使っていたテキストやノートを鞄に仕舞っていると、女性ものの靴が視界に入った。
「ユーリ」
「……彼、また来てたわ」
「…………」
ユーリは、その視線で窓の外を示す。
3階の窓からまっすぐ見下ろした先に、緑色に塗られた鉄門があった。
『彼』が誰なのか、聞かなくてもわかる。
「あなたの言う通り、トーラは居ないって追い返したけれど……」
ユーリの眉尻が下がっていく。
「ありがとう。面倒なこと頼んでごめんなさい」
「それは、気にしないで。ただ、本当にいいの?」
私は胸の内を悟られまいと、なんでもない風に微笑んだ。
「あの人はやめときなさいって、ユーリだって言っていたじゃない」
二ヶ月前のあの夜から、私はマルネスとは会っていない。
センターを飛び出して全力で走った私は、彼が追いかけてくる気配を感じ取り、転移魔法を使った。病気で安定しない魔力を奮い立たせて、なんとか家まで辿り着いた。
付属大学は病院と隣り合ってはいても、建物自体は完全にわかれている。遠回りになるが、これから通学路も別ルートにすれば病院の敷地内を通ることもなくなる。
私が気をつけてさえいれば、もう二度と彼に会うことはないだろう。
そう思って、センターは辞めさせてほしい旨を手紙に認め、明朝こっそりと 誰もいないセンターのドアの隙間に挟んでおいた。
そう。確かに、彼は手紙を読んだはずだ。
けれどーー
彼はその日から毎日、大学まで私を訪ねてやってくるようになった。幸い、例え大学の卒業生でも、文化祭などの行事以外は簡単に大学内へ入ることは許されていない。
門番から伝言が入るたびに、私はユーリに代わりに門まで行ってもらえないか頼んだ。そして、「トーラは不在だ」と門で待つ彼に伝えてもらっていた。
「そ、そうだけど……でも!」
「いいの」
「トーラ……」
「いいのよ、ユーリ。だって、私はあの人に相応しくないのだから」
「…………」
さすがに、これだけ不在が続けば彼も察してくれる。そのうち、きっと会いに来なくなるし、私たちの関係はプッツリと終わる。……彼の人生から、私は居なくなる。これで、彼は『幸せ』になれるのだ。
「さ、今日はもう授業は終わりね。帰りましょう」
ユーリが黙ったタイミングで、話題を切り上げるため席から立ち上がった。この場に残っている生徒は、私とユーリだけになっていた。ドアに向かおうと一歩踏み出した途端、ユーリに手首をきゅっと掴まれた。
「待って」
振り返ると そこには、唇を引き結んで俯くユーリの顔があった。
「ユーリ?」
覗き込んで、訊ねる。
彼女は、ぽつりぽつりと話し始めた。まるで、懺悔の言葉を口にするみたいに。
「……私ね。あなたは、病気だから守ってあげなきゃ。助けてあげなきゃ。私よりも、弱いのだからって。そう思っていたの」
今、自分はどんな表情をしているのだろうか。
彼女の考えていることはわかっていたが、改めて言葉にされると、胸がツキリとした。でも……
「その通りでしょう?」
私は、病気なのだから。これから弱っていくしか、未来はないのだから。
実際、頻回になった検査で、数値は落ち続けていた。
「違うわ!あなたは弱くなんてない!むしろ……弱いのは、私だったの」
「え……?」
自嘲の笑みを浮かべかけた時、ユーリが必死になってこぼした本音に、私は目を丸くした。
「私、あなたが病気だって知ってすごく怖くなったの。私にとって、トーラは大切な友人で……かけがえのない存在。もし、あなたがいなくなってしまったらきっと私は……耐えられない」
消えないで。死なないで。元気で居て。
……お願いだから、身体を大切にして。
「できるだけ長く、あなたにそばに居てほしかった。できれば、歳をとってお互いしわしわのおばあちゃんになるまで、ずっと。
だから、あなたは病気なのだから、弱いのだから、と何かと自分に言い訳をして……私の考えを押し付けた。
必要以上に気遣って、先回りしてお節介をやいた。
センターでの仕事も。
本当は友人の夢を応援しなければならないのに、無理をしてあなたに何かあったら、私は……。
それで、色々と口出ししてしまったの。結局は、自分都合の行動。……最低よね。
誰よりもわかっていたのに。
あなたは弱くなんてない。
守ってあげなきゃいけない存在でもない。
トーラは、トーラ。
きっと私の行動はあなたを傷つけていたでしょう……?
本当に、ごめんなさい」
「ユーリ……」
「醜い庇護欲に取り憑かれていた私は、なんて馬鹿だったのかしら。あの頃のトーラは、トーラらしく輝いていた。病気に負けるもんかって、必死で抗っていた。
……今思えば、とても眩しかったわ」
ユーリはまっすぐ私を見据えながら、不思議と私ではないなにかを見つめるように視線がすり抜けていく。
「ねぇ、トーラ。センターに通わなくなった日から、あなたは無理をしなくなった。病気に合わせて。ううん、病気に『諦めて』」
「……っ」
「今のあなたは、すべてを諦めた顔に見えるの。ちっとも、楽しそうじゃないし、輝いていない」
ユーリの顔がくしゃりと歪んだ。
「ユー、リ……」
それは当たっていた。
二ヶ月前、マルネスの前から消えると決めた瞬間は、『夢を諦めたくない』という気持ちだけは守っていくと心に誓ったはずだった。
なのに、結局あの日から私は服作りを辞めてしまった。どうしても、鋏も針も握れなくなっていた。彼の顔が脳裏を過ぎって、手が止まった。
大学の授業にも身が入らず、検査結果を聞きに行く時も、心のどこかで「どうせまた悪くなっている」と諦めていた。
生きる気力が湧いてこなくなったのだ。
せっかくユーリが「あなたは弱くない」と言ってくれたのに。私はすっかり弱虫になっていた。
ーー皮肉ね。
「何が、トーラをそんな顔にするのか、わからない。あなたは、私には何も教えてくれないから。自分勝手な気持ちを押し付けて、あなたを傷つけていたのだから当然かもしれないけれど……。もし、私の今までの行動が、あなたから生きる気力を奪ってしまったのなら……」
「それは違うわ、ユーリ」
彼女が苦しそうに言わんとしていることが、理解できた。言い終わる前に、私は首を振って否定する。
それ以上、なんて説明すればいいのか迷っていると、汲み取ってくれたらしいユーリが、もう一度慎重に口を開いた。
「……トーラ。今更なのはわかっているけれど……私は、トーラらしく、あなたの思うように生きてほしい。夢に向かって突き進む、いきいきしたあなたが、大好きなのよ」
泣き笑いに近い顔で、顔を綻ばせるユーリは、とても綺麗だった。彼女につられて、喉の奥が引き攣れて、ぐすりと鼻を小さく鳴らした時だ。
「だから、ほら。私からの、お詫び。それから」
ーー激励……受け取ってくれる?
「お詫びと……激励?」
突如言われた意味が掴めずに居ると、間を置かずにふわりと後ろから温かな体温に包み込まれた。
「会いたかったよ、トーラ」




