第7話 契約違反の商会を、法と魔法で静かに切る
北の街で一番大きな商会は、中央商会フェルグラード支部だった。
名前からしてわかりやすいが、王都の資本が入っている。小麦や炭、保存肉、布地、時には薬品まで扱うこの街の大口だ。だからこそ、昨日のような『ちょっとした遅延』がそのまま市民生活へ響く。
「支部長のブラントが、面会は午後ならと言ってきました」
「逃げる気満々ですね」
「正面から乗り込むか?」
ガレス騎士団長が楽しそうに拳を鳴らした。
「今日は法的に参りましょう。暴力は最後の最後です」
「俺としては最初の方でも構わんが」
「騎士団長らしいご意見ですね」
私は契約局で必要な資料を揃えた。
昨日の未提出承認書、過去三か月の納品台帳、共同購入に切り替えた分の見積もり、そして支部が勝手に差し込んだ追加条文の写し。加えて、ハンナさんたち市井の店がどれだけ不利益を被ったか、聞き取りも簡単にまとめる。
「王都系の商会は『慣例』を盾にすることが多いです」
「慣例で腹は膨れませんからね」
ミアが呆れたように言った。
彼女は領都育ちの書記見習いで、先日から私の補助についてくれている。字が綺麗で、耳が良く、街の事情に明るい。たいへん助かる存在だ。
午後、支部長室へ通されると、ブラントは愛想の良い笑みで私たちを迎えた。
恰幅のいい体を上質な毛織に包み、指には宝石の指輪がいくつも光っている。寒い土地ほど、室内の暖かさで身分が出るものだ。
「これはこれは、公爵領の皆さま。昨日はちょっとした行き違いがありましてね」
「その行き違いで、配給パンが止まりかけました」
「いやあ、商売には都合というものが」
「契約にも、都合の良し悪しとは別のものがあります」
私が書類を開くと、ブラントの笑みが少しだけ引きつった。
やましい自覚はあるらしい。
「こちらの前払い契約、納入停止の条件として『王都承認印がない場合』という追補がありますね」
「ええ、慣例的に」
「公爵領の署名がありません」
「ですが長年そうして――」
「慣例は契約当事者双方の黙示合意があって初めて成立します。公爵領側は追補の存在自体を知らされていません」
「そこまで言い切れますかな」
「言い切れます。なぜなら、追補の魔力印が一方通行だからです」
私は写しの上に銀のペン先を置いた。
すると黒ずんだ糸がふっと浮き上がる。局外の人間にも薄く見える程度の、露骨な歪みだ。
ブラントの顔色が変わった。
ガレス団長が感心したように口笛を吹く。
「ほう。紙が嫌がってるのが見えるな」
「嫌がっています。かなり」
私はさらに資料を並べた。
納品を止めた日付、関連部署の承認申請が王都側で滞留した日付、商会側が価格改定の通知を回した日付。それらは綺麗に一直線につながっていた。
「納品停止で在庫を焦らせ、値上げを受け入れさせるつもりでしたか」
「そんな! 誤解です!」
「では質問します。なぜ昨日、共同購入切り替えの知らせが出た直後に、製麺所へ圧力をかけたのですか」
「……」
「言えないならこちらから言いますよ。中央商会は、この領地の物価を一部独占したい。公爵領の契約局が透明化を進めると都合が悪い。違いますか」
ブラントの頬がひくりと痙攣した。
ここまで来ると愛想の皮は剥がれる。
「若いお嬢さんが、少し数字を弄れるからといって調子に乗られますな」
「調子ではなく条文です」
「王都の後ろ盾がなければ、この北の辺境など三日と保たない。それを理解せず、正義面して契約だの透明化だの」
「だからこそ、正面からやるんです」
私は立ち上がった。
胸の内は静かだった。怒鳴り返す必要も、怯む必要もない。
こういう相手は、相手の土俵で殴るより、紙の上で詰ませた方が早い。
「中央商会フェルグラード支部長ブラント。貴支部は、公爵領との基幹納入契約に無断追補を加え、正当な納入義務を停止し、価格誘導を図りました」
「証拠もないのに――」
「証拠ならあります」
私は原本の写しを机へ広げ、追補部分へペン先を当てる。
裂けて黒くなった糸に意識を集中させると、そこだけがじわりと赤黒く浮かび上がった。違法な追補は、『本来の約束』と噛み合っていない。だから切れる。
「その追補、無効です」
静かに言い切って、私は糸をひと撫でした。
ぱき、と乾いた音がした。実際に紙が裂けたわけではない。契約に寄生していた黒い節だけが、焦げるようにほどけ、霧のように消える。
部屋の空気が変わった。
ブラントが椅子から立ち上がる。
「な……っ」
「今この瞬間より、追補は失効しました。前払い契約は原文どおり有効です。未納分は本日中に再開してください。違約分の調整は後日。応じない場合、公爵領は支部との独占契約を破棄し、公開入札へ移行します」
そこで、背後の扉が開いた。
ルシアン様が入ってくる。いつから聞いていたのか分からないが、彼はブラントに冷えた目を向けた。
「今の通告は、私の名でも有効だ。支部長」
「こ、公爵様……!」
「返答は」
「……本日中に、手配いたします」
苦虫を噛み潰したような声だった。
ルシアン様は頷きもしない。
「結構だ。ガレス」
「おう」
「本日から三日、支部の出荷記録を監査しろ。必要なら封印も使え」
「了解」
面談はそれで終わった。
支部を出ると、外では小雪が舞っている。通りの向こうで、様子を窺っていた店主たちがほっとした顔をした。ハンナさんまでいる。
「どうだったんだい?」
「明日の粉は届きます」
私がそう言うと、彼女は大きく息を吐いた。
「よかった……ほんとによかった」
安堵は、寒い街ほどまっすぐに伝わる。
誰かが拍手し、それが二人、三人と増える。大げさだと思うけれど、嫌ではなかった。
その帰り道、ルシアン様が私に並んだ。
「見事だった」
「ありがとうございます」
「『静かに切る』と言った割に、随分派手だったな」
「相手が大きいと、静かでも目立つんです」
彼はほんの少しだけ肩を揺らした。
笑ったのだと分かって、私は内心で目を丸くする。
「王都にも伝わるだろう」
「でしょうね」
「面倒が増える」
「でしょうね」
そう返すと、ルシアン様は私を見た。
「それでも、お前を雇った価値はあった」
「……それは、かなり効く褒め言葉ですね」
「そうか」
「はい。もう少し頻度を増やしていただけると、局の士気も上がります」
「検討する」
検討、と答えながら、彼の声は少しだけ柔らかかった。
ただ、その直後に城門の方から早馬の鈴が鳴る。
王都からの伝令だと、すぐにわかった。
雪を蹴って走り込んできた騎兵の手には、王家の紋章付き封書があった。




