第22話 財務卿は青ざめ、王太子はようやく自分の足元を見た
最初に口を開いたのは、国王陛下だった。
「オズヴァルト」
低く、老いてなお重い声が広間へ落ちる。
「そなたは、この補遺が真正だと断言するのだな」
「もちろんにございます」
「ならば、なぜ王家保管庫の出納記録に、その補遺の閲覧履歴が残っておらぬ」
ざわめきが一段大きくなる。
オズヴァルトの表情が、初めて崩れた。
陛下の横に控えていた老侍従が、別の帳簿を差し出す。
「昨夜のうちに確認いたしました。該当箱は“封鎖中”として処理され、正規の閲覧印がありません」
「そ、それは保管庫側の手落ちかと」
「三十年、ずっとか?」
逃げ道が塞がっていく。
私は黙って立っていた。ここから先は、陛下と重臣たちの領域だ。ただ、必要ならいつでも記録を出せるようにしておく。
エドガー殿下が、ようやく言葉を探すように口を開いた。
「オズヴァルト。私への説明では、北方の立替は古来の名誉義務だと」
「殿下、国家運営には知らずに良いこともございます」
「私に無断で、私の執務印を通した遅延があったこともか」
「それは……円滑な政務のため」
「円滑?」
その一言は、これまでの彼らしからぬ低さを帯びていた。
私は少しだけ驚く。やっと、自分が何を見ずにいたかの輪郭が見え始めたのかもしれない。
「王太子執務室で何が起きていたかは、先ほど示しました」
私は静かに補足する。
「見なくて済むように誰かへ寄せてきた結果です。北方も同じでした」
「君は……」
エドガー殿下が私を見る。
「私に、なぜもっと強く言わなかった」
「言いました」
私は即答した。
「書面で、何度も」
「……」
彼は言葉を失う。
書類を読まずに署名してきた人間へ、それ以上何を言えただろう。
オズヴァルトはなおも足掻いた。
「たとえ一部の手続きに瑕疵があったとしても、北方維持そのものは一刻の猶予もない! ここで公爵家の負担を軽々に外せば、灰晶壁の維持が止まり、国防が崩れる!」
「だから問題なのです」
ルシアン様が初めて明確に声を発した。
「止まってはならぬものを、一家の体力と財力だけで継続させてきたことが」
凍るような声音だった。
広間の誰もが、その言葉の重さを測ったはずだ。
「私は壁を捨てると言っているのではない」
ルシアン様は続ける。
「王家と国が負うべき責任を、正しい位置へ戻せと言っている」
その通りだった。
ざまぁでは終わらない。ここで必要なのは、責任の所在を戻すことだ。
やがて陛下は立ち上がり、宣言した。
「財務卿オズヴァルトは、その職権を一時停止する。保管庫、財務部、王太子執務室の出納を全て再監査せよ」
側近たちが一斉に動き出す。
「王太子エドガーは、この件の調査が終わるまで新規決裁権を停止。セレナ・コルテスの証言は記録し、関係書類を保全せよ」
エドガー殿下が息を呑む。
セレナ嬢は青い顔で、それでもまっすぐ立っていた。
そのときだった。
王宮の奥から、鋭い警鐘が鳴り響く。
場が一斉に凍る。
伝令が駆け込み、膝をついた。
「申し上げます! 北方監視鏡にて灰晶壁の結界値が急落! 黒雪の兆候あり!」
「何だと」
ルシアン様が立ち上がる。
同時に、私の背筋を冷たいものが走った。
黒雪。
契約の歪みが限界に達し、壁そのものが負担を取り立て始めたときに起きる現象だ。ここで王都側の責任を止めた反動ではない。むしろ、ずっと溜まっていた請求が一気に噴き出したのだろう。
「陛下」
私は咄嗟に進み出た。
「今すぐ、補給と結界資材の緊急手配が必要です。責任追及は続けるとしても、壁は待ちません」
「レティシア」
陛下が私を見る。
「できるのか」
「やります」
オズヴァルトが蒼白な顔で何か言いかけたが、もう誰も彼を見ていなかった。
ここから先は、罪を数えるだけでは足りない。
国を回しながら、壊れた約束を直さなければならない。
私は証拠箱の蓋を閉め、代わりに輸送台帳の箱を開いた。
仕事は終わっていない。
むしろ、ここからが本当の始まりだった。




