第23話 それでも国は回さなければならない
公開監査が中断されたあとの王宮は、半ば戦時司令部のようだった。
灰晶壁の監視鏡に映るのは、白ではなく鈍い黒を混ぜた雪雲。結界値はゆっくり、だが確実に下がっている。北方からの追加報告では、壁周辺の魔力流が不安定化し、夜ごと黒雪が吹きつけ始めたという。
「輸送可能な黒晶石の在庫は?」
私はその場で借り受けた会議室へ入り、真っ先に聞いた。
財務部の書記が戸惑った顔をする。
「え、ええと……」
「在庫台帳はどこです」
「こちらに」
「なら今すぐ出してください。三十秒で」
人手が足りない、責任者が不在、手続きが――そんな言い訳を待っている暇はない。
会議室へ机を運び込み、北方行き輸送、王都残留監査、資材配分の三列に札を並べる。久しぶりの王宮式危機対応だが、以前と違うのは、最初から役割を分ける気でいることだった。
「セレナ嬢」
「は、はい」
「施療所と神殿に連絡を。北へ送れる治癒士の名簿と、こちらへ残る人員の振り分けを」
「わ、わたくしがですか」
「はい。あなたの顔で話が通る場所が王都にはあります」
「……わかりました」
彼女は一瞬怯んだが、すぐに走った。
昨日までの彼女なら、誰かの後ろに隠れていたかもしれない。北で見たものが、少しは芯になったのだろう。
ルシアン様は軍務系の連絡線を握り、私は財務・補給・書記を叩き起こす。
そこへ、決裁権停止中のエドガー殿下が現れた。昨日までなら最初に怒鳴っていたはずだが、今はさすがに状況が分かっている顔だ。
「私にできることは」
意外な台詞だった。
私は少し考え、あえて一番向いていない仕事を振る。
「未処理箱の分類を」
「何?」
「北方関連、慈善流用疑い、重複決裁。色札をつけて分けてください。殿下ご自身の執務印がどこで止まっていたか、把握する必要があります」
「それを私にやれと」
「ご自身の仕事ですから」
一瞬、空気が張りつめた。
だがエドガー殿下は何も言い返さず、箱の前へ座った。そこに積まれているのが、自分が見ないまま誰かへ押しつけてきた仕事の量だと理解したのだろう。
夜半まで、私たちは休みなく動いた。
輸送経路の選定。馬車では遅い場所に中継拠点を置くこと。護衛の人数を減らしすぎないこと。黒晶石は重いから、一度に全量を送らず複数便に分けること。施療所向けの乾燥薬草は別箱にすること。
前世の私なら、ここで「やっぱり私が全部見なきゃ」と思って潰れていたかもしれない。
でも今は違う。
「この欄はミアが作った様式です。読めますね?」
「は、はい」
「ならあなたが埋めてください」
「でも最終確認は」
「私がします。全部はしません」
会議室の隅で、ベルンハルトさんがそれを聞いて、ほんの僅かに笑った。
分担する。任せる。信じる。口で言うのは簡単でも、実際にやるのは難しい。けれど今の私は、それをしなければ本当に国が回らないと知っている。
明け方近く、第一便の輸送表が完成した。
私は肩を回し、少しだけ目を閉じる。
すると目の前に、温かいカップが差し出された。
「飲め」
ルシアン様だった。
「……ありがとうございます」
「お前は働いていると、呼吸が浅くなる」
「そんな観察まで」
「必要事項だ」
最近、この台詞が便利に使われすぎている気がする。
「第一便は昼前に発てます」
私が言うと、ルシアン様は頷いた。
「王都の残務は」
「私がここに残れば多少は早いですが、北へ戻ります。壁の契約修復は現地でしかできません」
「分かっている」
短い返事。
でもその奥に、同じ焦りがあるのが分かる。
「レティシア」
「はい」
「今度は一人で抱えるな」
「公爵様もです」
互いに同じことを言うのが少し可笑しくて、二人ともほんのわずかに息を漏らした。
その日の昼、第一便が北へ向けて出発した。
書類の山も、責任の山も、まだ全然片付いていない。
それでも前に進むしかないと分かっているとき、人は案外迷わないものだ。




