第11話 聖女候補の視察と、笑顔の値段
セレナ・コルテス男爵令嬢の北方視察は、驚くほど大がかりだった。
白い毛皮をふんだんに使った馬車が三台。侍女に護衛、王都付きの書記官、神殿関係者、さらには『視察の様子を記録する』という名目の絵師までいる。戦地の慰問でもなければ、観光にしては寒すぎる。つまりこれは、政治だ。
「歓迎式典は最小限で」
正門前で私が言うと、担当官は露骨に嫌な顔をした。
「聖女候補様ですよ?」
「だからこそ、現場の動線を塞がないことが重要です」
「ですが見栄えが」
「見栄えより防寒です。ここは北ですから」
最終的に、ルシアン様が『契約局の判断に従え』と一言言ってくれたおかげで、余計な飾りつけは却下された。ありがたい。
昼過ぎ、馬車列が到着する。
先頭車から降りたセレナ嬢は、王都で見たときよりずっと厚着で、そしてずっと顔色が悪かった。そりゃそうだ。北は寒い。
「レティシア様……」
「ようこそフェルグラードへ」
「ご、ご機嫌よう。お元気そうで……」
「ええ。そちらはお疲れのようですが」
「馬車酔いに、少し……」
王都ではふわふわした笑顔が武器の人だと思っていたが、こうして間近で見ると、意外なくらい若い。可愛らしいというより、まだ甘やかされ慣れている年頃という感じだ。
彼女の後ろから、細身の男が一歩出た。
「王都財務卿補佐官、マルクスと申します」
丁寧な礼。しかし目だけは冷たかった。
「視察期間中、各種資料の閲覧に便宜を」
「必要な範囲で対応いたします」
「必要かどうかは我々が判断します」
「領内文書ですので、こちらも判断します」
私が言い返すと、マルクスの笑みがわずかに固くなる。
面倒な相手だが、こういう人間は多いほど尻尾を出しやすい。
その日の視察先は、神殿付属の施療所と配給所、そして北壁の手前までの安全区域だった。
私は同行しながら、彼らの言動を観察した。絵師はひたすらセレナ嬢の横顔を美しく描こうとし、マルクスは各施設の帳簿や保管棚ばかり気にしている。セレナ嬢本人は、最初こそ「皆さんのために」と笑顔を保っていたが、寒さと現実の重さに徐々に押されているようだった。
配給所で、幼い子が咳き込んだときのことだ。
セレナ嬢は反射的にしゃがみ込み、手袋も外さずにその子の額へ触れた。淡い光が滲み、咳が少し落ち着く。
「大丈夫?」
彼女の声は、その瞬間だけ綺麗に作られたものではなかった。
ただ心配する年若い娘の声音だった。
私は少しだけ、見方を修正する。
少なくとも、この人は全部が嘘ではない。
配給所を出たあと、彼女が小声で私に話しかけてきた。
「あの……こちらでは、いつもあのような人数に配っていらっしゃるのですか」
「冬は増えます」
「王都では『北は落ち着いている』と聞いていました」
「落ち着いているの定義によりますね。飢えて暴動が起きていない、という意味なら」
「そんな……」
彼女は目を伏せた。
そこで横からマルクスが口を挟む。
「聖女候補様、現場の細部に気を取られすぎてはいけません。重要なのは、王家が気にかけていると示すことです」
「ですが」
「ご心配はもっともです。だからこそ、適切な報告書をこちらで整えますので」
「……はい」
私は内心でため息をついた。
なるほど、こうやって『優しい顔』の後ろで都合のいい文章を作ってきたのか。
夕方、視察団は公爵邸へ戻り、簡単な晩餐が開かれた。
形式だけの食事会だが、そこでマルクスはしきりに契約局や制限書庫の話題を振ってくる。
「北壁維持に関わる古文書は、ぜひ王都側でも精査したく」
「既に王都保管分があるのでは?」
私が返すと、彼は笑って肩をすくめた。
「写し同士の照合作業は重要でしょう」
「でしたら、正式な照会文を」
「そんな堅いことを言わず」
「契約局ですので」
向かいの席で、ルシアン様がグラスを置いた。
「マルクス補佐官。閲覧の可否は明日、文書で返答する」
「閣下がそうおっしゃるなら」
にこやかな返事。しかし目は笑っていない。
晩餐の終わり際、セレナ嬢が意外なことを言った。
「レティシア様。もしご迷惑でなければ、後日……北方の事務について少し教えていただけませんか」
「私が、あなたに?」
「はい。わたくし、王都で書類を見るとすぐ眠くなってしまって……でも、今日ここへ来て、知らないでは済まないことが多いのだと分かりました」
「眠くなるのはよく分かります」
「分かってくださるんですね!?」
妙に食いつかれてしまった。
少し可笑しくなる。王太子のそばにいるからといって、誰もが最初から権力に長けているわけではないのだ。
「時間が合えば」
「ありがとうございます……!」
その笑顔は、昼の配給所で見たものに近かった。
だが、良いことばかりでは終わらない。
晩餐後、制限書庫へ戻った私は、すぐに異変に気づいた。
棚の一番下。建国契約の周辺資料を入れていた箱の位置が、ほんの少しずれている。
そして、封紐に結ばれていたはずの封印糸が、微妙に擦れていた。
「誰か入った……?」
灯りを近づける。
中身を確認すると、一冊だけ、挟んでおいた補給写本が順番を変えられていた。
盗まれてはいない。けれど、見られた。
しかも、私たちが何を調べているかを知るために、丁寧に。
私はすぐに箱を閉じ、冷えた指先を握りしめた。
王都は、焦っている。
その証拠だけは、はっきりしていた。




