第12話 領民の冬支度、私は利益より先に回るものを知っている
視察団が来ようと、雪は待ってくれない。
北の冬支度は、一日遅れればそのぶん人が困る。
書庫の件はルシアン様へ報告し、見張りを増やすことになった。
けれど、それだけに張りついていれば街は回らない。私は予定どおり、共同備蓄庫と配達経路の見直しに着手した。
「まず、優先順位を決めます」
契約局の会議室で、私は地図を机いっぱいに広げた。
「高齢者の多い区域、乳幼児のいる世帯、病人を抱える家。暖房用炭と保存食の配達はこの順番。商会の売上順ではなく、生存性順です」
「利益はどうする?」
ベルンハルトさんが問う。
「後で回収します。先に凍えたら回収先が減るだけです」
「……そうだな」
前世の営業会議なら眉をひそめられたかもしれない。
でもここは数字のゲーム盤ではなく、人が冬を越す街だ。まず回るべきものを回し、それから帳尻を合わせる。そういう順番もある。
ミアと一緒に備蓄庫を回り、トーマに配達経路の写しを渡し、ハンナさんには配給用の硬めのパンの数量を相談する。鍛冶場には長持ちする火鉢用の金具を多めに、施療所には温石の追加。やることは多いが、全部が一本の線でつながっていると分かると不思議と疲れにくい。
午後、視察中のセレナ嬢が、案外本気で付いてきた。
最初は毛皮に埋もれてふらついていたけれど、帳面の持ち方だけは真面目だ。
「レティシア様、これは何の印ですか?」
「配達済みの印。こちらは支払い猶予あり、こっちは施療所経由」
「覚えることが多すぎます……」
「最初は誰でもそうです」
「レティシア様も?」
「ええ。前世でも最初の会社で、承認印の種類が二十七個あって泣きそうになりました」
「ぜんせ……?」
「少し長い話です」
誤魔化すと、セレナ嬢は素直に引いた。
その素直さは嫌いではない。
共同備蓄庫の前では、トーマの母親が私を見つけて深く頭を下げた。
「うちの子、ちゃんと給金袋を持って帰ってきました。『手伝い』じゃなく『仕事』だって……」
「当然のことをしただけです」
「でも、その当然をしてくれる人が今までいなかったんです」
言われて、言葉に詰まる。
前世でも似たようなことがあった。『本来払うべき残業代を払っただけ』で感謝されたときの、あのやりきれなさ。
感謝は嬉しい。でも、そんなことで頭を下げさせる仕組みが間違っている。
「これからは、袋の中身も印も、ちゃんと見てください」
「はい」
「分からないことがあれば契約局へ」
「はい、レティシア様」
帰り道、セレナ嬢がぽつりと言った。
「王都では……こういう声、届きません」
「届いていても、見ない人は見ません」
「殿下は見ないのでしょうか」
「見える形にしても見ないときは、たぶん見たくないんです」
「厳しいですね」
「現実はもっと厳しいですよ」
セレナ嬢はしゅんとしたが、反論はしなかった。
代わりに少し考えてから、ぎこちなく言う。
「わたくし、レティシア様のことを、もっと怖い方だと思っていました」
「よく言われます」
「でも、怒るところが……変わってます」
「変わってますか?」
「普通の令嬢なら、ドレスとか評判とかで怒りそうなのに」
「そちらも大事ですが、人が無給で働かされている方が腹が立ちます」
「やっぱり変わってますね」
最後に彼女が少し笑って、私もつられて笑った。
夕暮れ、全ての報告をまとめて契約局へ戻ると、ルシアン様が待っていた。
「共同備蓄の進捗は」
「第一段階は完了です。明朝から配達順を切り替えます」
「早いな」
「冬は待ってくれませんから」
「……お前の中では、何が一番先に回る」
唐突な問いだった。
「利益より先に」
「ええ」
「人です」
即答すると、ルシアン様は少しだけ目を伏せた。
「昔、同じことを言った人がいた」
「誰ですか」
「母だ」
その一言で、彼の横顔に差す陰りの理由が少しだけ分かった気がした。
先代公爵夫人。契約の歪みに気づき、たぶん何とかしようとした人。
私はそっと言う。
「だったら、間違っていません」
「そう思うか」
「はい」
書類を抱えて執務室へ戻る途中、ミアが新しい紙束を持って駆け込んできた。
「レティシア様! これ、王都から!」
「何です?」
「最近、王宮式の新しい報告書様式が出回ってるって……」
受け取って見た瞬間、私は眉を上げた。
欄の切り方、優先印の記載位置、確認待ちの分け方。形は少し変えてあるけれど、どう見ても私が契約局へ導入した仕組みを真似ている。
「……あら」
「盗まれました?」
「参考にされました、の方が上品でしょうか」
「上品に言ってる場合ですか」
「複雑ですね。でも」
私は紙束を机に置いた。
誰が作ったことにされているのかは、だいたい想像がつく。きっと王都では『財務卿肝入りの効率化策』とでも呼ばれているのだろう。
それでも、不思議と悔しさだけではなかった。
役に立つなら広がればいい、という気持ちも確かにある。
ただし、出どころをごまかし、現場の苦しさを無視したままなら話は別だ。
「返してもらう必要はありません」
私は静かに言った。
「でも、どちらが何のために作ったのかは、いずれはっきりさせます」
その夜、窓の外ではまた雪が強くなった。
王都も動き、北も止まらない。
ならばこちらも、止まらずに証拠を積むだけだ。




