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第10話 返却不可。私はもうあなたの道具ではありません

 エドガー殿下への返書は、私なりにかなり丁寧に書いた。


『殿下

 ご書簡拝受いたしました。

 私は現在、ノルドヴァルト公爵領との一年契約のもと勤務しております。よって、適法な解除手続きおよび公爵領側の同意なく復帰することはできません。

 また、王都における事務停滞につきましては、従前、複数名で分担すべき実務を私一人へ偏らせていた体制上の問題が原因と考えます。人員配置の見直しを推奨いたします。

 なお、私は殿下の所有物ではありませんので、『戻れ』の一言では応じかねます。

 以上、よろしくお願いいたします。

 レティシア・ファルケン』


 読み返して、余計な情緒が一切ないことを確認する。

 完璧だ。


「ほんとにこのまま出すんですか」

 ミアが遠い目をした。

「むしろどこを削れと」

「『所有物ではありません』のあたりがですね」

「そこが一番大事です」

「ですよねえ……」


 そのまま封をして、クラウスへ渡した。

 彼はさすがに一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに営業用の笑みへ戻る。


「……確かにお届けします」

「お願いします」

「後悔なさらないと良いですね」

「事実を書いただけですので」


 クラウスはその日のうちに王都へ戻っていった。

 残されたのは静けさと、たぶん数日後に届く厄介事だ。


 けれど私は、返書を出したことで驚くほど心が軽くなっていた。

 言うべきことを、ちゃんと文書にした。たったそれだけで、自分の輪郭が少しはっきりする。


 その夜、私はベルンハルトさんと一緒に、壁関連の旧帳簿を洗っていた。

 ルシアン様の負担がどの契約から来ているのか、手繰るためだ。


「十年前より前の補給台帳はこの箱だ」

「ありがとうございます。……ずいぶん焼け焦げていますね」

「大雪で倉庫がやられた年があった。残っただけまだましだ」


 古い紙は触るだけで崩れそうだった。

 でも、古い契約ほど本音が出る。制度が歪む前の形が見えるからだ。


 ページをめくっていた私は、ある年の供給一覧で指を止めた。

 黒晶石。結界維持に使う主要資材。その納入欄に、奇妙な空白がある。


「……これ」

「どうした」

「王都側の納入数が、三年分まとめて欠けています」

「そんな馬鹿な」

「代わりに『公爵家立替』の注記が後から入っている」


 しかもその注記には、見覚えのある癖があった。

 筆跡ではない。魔力のねじれ方だ。財務関係の文書を大量に扱う人間特有の、乾いた癖。


 私は別の帳簿も引き寄せた。炭、穀物、軍靴、結界布。どれも同じ年から『一時立替』『臨時補填未済』が増え始める。

 偶然の範囲を超えていた。


「ベルンハルトさん。この年、王都で何が」

「……財務卿が替わった」

「今のオズヴァルト卿ですか」

「いや、父親の代だ。だが家系は同じだな」


 嫌な符号が揃っていく。

 しかも、その年に限って補給契約の綴じ目に黒い節が多い。まるで誰かが制度の穴を見つけ、少しずつ広げたみたいだ。


「ルシアン様に報告を」


 私たちは急いで執務室へ向かった。

 遅い時間だったが、灯りはまだついている。案の定、ルシアン様は起きていた。


「夜更けだぞ」

「だからこそです」


 私は帳簿を広げ、空白の箇所を示した。

 ルシアン様の目が険しくなる。


「黒晶石の納入欠損……」

「それだけではありません。以後、壁維持に必要な基幹資材の一部が、恒常的に『公爵家立替』へ寄せられています」

「記録漏れではないのか」

「違います」


 私はページの余白へペン先を滑らせた。

 すると消えかけた黒い糸が、うっすらと浮かぶ。後から書き加えられた痕だ。


「誰かが、納入責任の所在を書き換えています」

「誰だ」

「まだ断定はできません。でも、少なくとも単発ではない。年単位で繰り返されています」


 ルシアン様は帳簿を見つめ、やがて低く呟いた。


「父が体を壊したのは、その頃からだ」

「……」

「冬になるたび壁へ立ち、領の財を削り、王都へ頭を下げていた。私は子どもだったから、それが公爵家の責務だと思っていた」


 責務。

 その言葉の重さに、胸が痛んだ。

 本来は国全体で支えるべき防衛を、一家の責務に矮小化してきた結果がこれなのだろう。


「原本が見たいです」

 私は言った。

「写本では足りません。建国契約と、その後の補給関連の原本か、せめて王家の保管写しが必要です」

「王都は出してこない」

「なら出させましょう」


 言い切ると、ルシアン様がこちらを見る。

「簡単に言う」

「簡単ではありません。でも、もう手加減している場合でもないでしょう」


 彼は少しの間黙っていたが、やがて頷いた。


「……そうだな」

「まずは周辺証拠を固めます。王都に『知らぬ存ぜぬ』と言わせないだけの数を」

「お前は怒ると静かになるな」

「怒っていますので」


 ルシアン様の口元が、かすかに緩んだ。


 そのとき、机の上の伝令筒が青く光った。

 王都からの緊急通信だ。ルシアン様が封印を解くと、浮かび上がった短い文を見て眉をひそめる。


『聖女候補セレナ・コルテス、北方視察へ』


 私は目を閉じた。

 ああ、面倒が大きくなってきた。

 でも同時に、王都が焦り始めたのだとも分かる。


 書類の山は人を裏切らない。

 集めれば、いつか必ず繋がる。

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