嵐の前の静けさ
あれから、ドロア商会で匿って貰い五日と経った。
ギルドの時と同じくシスさんやウィルさん、それに加えヘイノクトさんが代わる代わる様子を見に来てくれたお蔭で然程退屈はしていない。
もちろん、クロが一日中傍に居るので癒しは得ている。未だに首輪は謎のままだけれど。
言葉の意味を十分理解している素振りを見せる賢い猫だが、当然人間の言葉は話さない。
一瞬『いい加減、喋れば良いのに。』などと、ファンタジーな思考に嵌りそうになっては慌てて頭を振る事を繰り返す毎日だ。
昼食を終えた後、クロを撫でながら窓際の木漏れ日の中でうつらうつらとしていた。
何か考えなければいけないのだけれど、何も思い浮かばない。
こんな風に無益に過ごす時は大抵、何を、とか何が、と頭に登っては消えていくだけだった。
「失礼するぜ。よぉ、嬢ちゃんとちんまいの、元気だったか?」
この部屋に訪れる人は皆、物音を立てずに現れる。
驚くことに変わりはないのだけれど、今日は初めてギノスさんが訪れた。
何だか解らない書類の束を持って。
「ギノス、さん?! はっ、私とクロは元気です! この通り!」
「なら良かった。あー、だが、そのちんまいのは飼い主探してたんじゃなかったか? 連れて来て良かったのかよ」
言われてみると、確かにそうだった。ヘイノクトさんが連れて来た時に疑問に思わなかったのが不思議だ。
クロの飼い主探しもそこそこに、今は傍に居ることが当たり前に感じている。
シスさんも何も言わないから、探しているフリをして体裁だけで誤魔化していた節があった事は否めない。
だが、私が何もしなかった訳ではない。シスさんに怒られては居たが、ギルドの受付所付近を覗いていたのも――大部分が好奇心混じりだったが――クロの飼い主探しの一環だった。
ギノスさんには事情を話していたので、シスさんに見つかった時度々庇ってくれていたのだ。
途中から、庇ってくれる立派な上腕三頭筋を目の保養にしていた事は、謝らなければいけないが。
「嬢ちゃんが良いなら何も言わねぇけどな。周りが勝手にやってくれるさ」
でもも何もなく、利用価値が余り見いだせない私では肯定も否定も出来ない。
肯定したら我儘な人間になり、否定しても結果は同じ事だ。
答えを聞きたくて言った訳じゃないのだろう。ギノスさんはソファにどかりと座ってテキパキと書類を仕分け、転移させた羽ペンで記入していく。
「あ、紅茶……えっと、ユフ茶、飲みますか? 淹れますよ」
「ん? ああ、そうだな、お願いできるか? ちょうど喉渇いてんだ。頼んだ」
「はい」
仕事を横から邪魔するのも憚られて、寝ているクロからそっと離れ、ユフ茶を淹れる事で気を紛らわす。
幸いお願いもされたので、どちらかといえば心は浮ついている。
今から淹れようとしているユフ茶とは、奇跡的に色も風味も紅茶――ダージリンに似たこの世界の飲み物だ。
淹れ方は、綺麗なメイドのお姉さんにまた無理を言って困らせてしまったが一から教わった。
魔石で瞬間的に沸騰させたお湯でティーポットを温めて、カップの方にお湯を移してこちらも温めておく。ティーポットに茶葉を中盛り二杯分入れ、熱湯を注いだ。
蒸らすのは二分。ぱらぱらと紙を捲る音を聞きながら、砂時計と落ちていく砂を眺めた。
漸く落ち切った砂を見て、漉し器を当てながら空にした白いカップに入れていく。
お茶請けにヘイノクトさんがくれたクッキーに近いお菓子を添えて、邪魔にならない様にとテーブルの端にそっと置いた。
そのままテーブルの角を挟んで隣に腰を落ち着ける。
「お、もう出来たのか。手際がいいな」
「教わったばかりなので味はどうか分かりませんけど、どうぞ」
何度か練習して、お姉さんにも及第点を頂いていたので自信はある。
けれど、根っからの日本人なのか気持ちとは裏腹に謙遜してしまった。
「じゃ、有難く頂く」
ひょいとカップを口元に運ぶ姿を固唾を飲んで見守る。
お姉さんにしか試飲して貰わなかったので、これを出すのは初めてなのだ。
だが、「へぇ」と言った切りで、ユフ茶とお菓子を同時に平らげるまでギノスさんは無言。
もしかしたら、魔石が上手く機能してなかったのかも、と慌てて腰を上げかけた所で感想が聴こえた。
「……すっげぇなシズク、美味しかったぜ。ありがとな」
ぼふんと身体を沈ませた私に、ギノスさんは豪快に笑った。私がオロオロしていたのを分かっていてやっていたらしい。
だが、心の中では全力のガッツポーズだ。嬉しくて仕方がない。
にやにやを抑えようと両手で顔を覆うと頬が熱く、自分が紅潮しているのが分かって余計に俯いた。
「おーい、何やってんだ」
額を緩く小突かれて、反射的に顔を上げる。
にんまりしたギノスさんに頭をガシガシと撫でられ視界が揺れた。毛根が根刮ぎ擦り切れそうだ。
本当に心配になって来た所で、クロが膝の上に乗ってきた事で手を止めてくれた。
表情をそのままにギノスさんは目を細める。
「お、ちんまいの。ヤキモチか?」
明らかなギノスさんの挑発に、フーッと毛を逆立てたクロに驚いた。
触れて良いのか考えあぐね、そっと小さな頭に触れる。
それも恐る恐るだったが、間もなくぴたりと黒い毛は落ち着いて私に向き合う形に戻った。
「こりゃ、嬢ちゃん以外は敵みてぇだな」
仕方がないといった風にギノスさんは座り直し、残りの作業を再開した。
甘えん坊の黒猫は、すりすりと身体全身で『撫でろ』と言わんばかりだ。猫が喜ぶ首周りを重点的に撫で回し、機嫌をとる。
目を瞑りだらけだしたクロに小さく笑い、ギノスさんに意識を戻して難しい顔をして見つめる先の書類を眺めた。
言葉が分かるが文字は読めないので、動くペンの後を追う。
冷め切らない内にユフ茶を飲み味を確かめ、暫し逡巡した後に口を開いた。
「ギノスさん、それは何の報告書ですか?」
「んー、これか? これは報告書じゃなくて、魔獣の被害を受けた領地からの嘆願書だ。内容は派遣する人数の要望だな。私兵だけじゃ手に負えねぇ時は、大体は俺達が動く事になる。……ま、嬢ちゃんには関係ねぇ話だ」
手を止めずに返答したギノスさんの反応からすると、特別重要なものではなさそうだ。
ギノスさんの手が止まるまで、お菓子で小腹を満たした。
「あ゛ー、長時間拘束されて身体動かさねぇとか、やっぱし俺にゃ無理だ」
「お疲れ様です」
素晴らしい筋肉を持ちながら、勿体無いなと思っていた私は全面同意だ。
じっくり鑑賞するだけでも良いのだが、鍛え上げられた筋肉の動きがないほど惜しいものはない、と常々思っている。
私個人の意見だけれど。
「さっきの茶の礼だ。ずっと引き篭ってて嬢ちゃんも退屈だろ。シスには黙っててやるから、どっか行きたい所あるか? 今なら時間も余ってるし、嬢ちゃんだけなら連れてってやるぞ」
有難い申し出に、一も二もなく飛び付いた。暇で暇で、今日まで何日が経ったかメモしていないと忘れてしまいそうになっていたのだ。
クロも一緒に連れて行きたかったが、私限定のお誘いなのでこの機会を逃すのも拙い。
帰ってきたら存分に甘やかす事をクロと――理解しているかは怪しいが――約束し、ギノスさんに行き先を告げた。
* * *
"フィフーリオ=リス塩湖"は地上に空を切り取って映したように幻想的なパノラマが広がる、リシュバン王国屈指の名所だ。
ゲーム内でもドロア商会に立ち寄った際に、アッカードさんが主人公と二人で話し合い――口説く、とも言う――をしに連れて来た場所だったりする。
『初めて訪れた人は必ず息をするのを忘れる』と、形容される程に美しい。
だが、私はその景観を見る前に、ギノスさんが"神力"を使っている事に息を呑む。神力は魔術と違い行使する方法が異なり、人では聞き取れない詠唱のみで発動させるのだ。
幾許かの遅延があるが、強力なモノに違いはない。無詠唱で即時に効果を発揮するディスさんは改めて規格外と言えるけれど。
私は『記憶喪失(設定)』だから繕わなくて良いと思ったのかは知らないが、これは大分不味い事は分かった。
ギノスさんの耳がエルフのように長く尖っている訳ではないし、小柄な妖精と疑うのも可笑しい話で。
ならば、と考えて思い付くとすれば──濃紺の次に珍しい、白銀の髪。アイスブルーの瞳の対になる、炎の如く紅い瞳の色。
(そんな、まさか、有り得ない。)
思い至った所でギノスさんから目を逸らし、移り変わる景色に意識を持っていく。
お姫様抱っこをされているのに気付いたのは、夢幻的な夕暮れがギノスさんの白銀をオレンジ色に染めた頃だった。




