八話 特訓 後編
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扉を押して中に入る。ロッジの中は、まるで酒場だった。長テーブルの席が並び、小さなカウンター。こじんまりとした棚には、瓶が並んでいた。飲み口がすぼまっているのをみるに、きっと酒だろう。
きちっと並んでギチギチに詰められている長テーブルは、まるで兵舎食堂の一角である。
狩人どころか、俺とノブチカ以外に人影が見当たらない。
「おかしいな。この時間なら酒を飲んで酔っているやつもいる筈なのに」
隣で顎をつまむノブチカ。身長が俺より高く、見上げる必要があるのは、現世もこっちも変わらない。
そしてよくよく見てみると、整った顔立ちである。パーツと顔の大きさが合わさり、絶妙なバランスを保っている。
ノブチカの性格を知っているからか、なんだか仏頂面に見える。それでも男前な顔立ちだと、認めざるを得ない。
この調子で俺も美男だったら文句ないが、高望みして絶望するのは良い気分ではない。
あまり期待しないでおく。
「奥の部屋には居ないのか? 二階も……ありそうな雰囲気だけども」
「二階は物置き兼仮眠室だ。でも、そうだな奥の部屋になら居るやもしれない。
行ってみよう」
テーブルの間を抜けて歩いていく。物音ひとつしないのを聞くに、誰かが潜んでいる可能性は少ないように思える。そして案の定、誰も居ない。
「ここはキッチンか。包丁とか釜あるし、そうだろ?」
「当たりだ。ここで売り物にならない獣や魔物を調理して狩人皆で食べてるらしい。新鮮な肉を食えるのも狩人の特権だな」
二階に行くか。とノブチカが言って、キッチンには然程興味を抱かず後にする。
だが俺は、なんだか血の匂いがしていることに気が付いた。
でもまあ、ここはキッチンらしいじゃないか。それに狩人が秘密で仕事終わりを楽しむ場所である。
生肉を調理していても不思議ではない。
窓から風が吹き抜けて俺に当たるが、涼しい風だった。
少ない段数を上り切ると、なんだかすえた臭いが鼻を突き刺した。酸味のあるような尖った臭いだ。
思わず鼻を摘んでしまった。そのまま声を出した物だから、いつもより高い音が喉を出た。
「臭っせぇ……洗濯とかしないのかよ、コイツら」
「まあ男連中だから気にしないんだろう。それに日常的に血も浴びているからな。獣臭にも慣れて、鼻が麻痺してるんだろうな」
「なんでそんなに平気そうな顔してられんだよ」
「慣れた。と言うより、なんでか慣れてる。
『怪我の功名』と言うやつだ」
ことわざの使い方が間違っているが、今は訂正する気にもなれない。
衣類や靴が散乱した部屋の中に入る勇気が出ない。だが見つけてしまった。部屋の奥に立て掛けてある、一本の剣を。
見つけた以上、見なかった事には出来ない。だが、この臭いの海を割いて通る力を、俺は持っていなかった。
苦渋の決断だった。どちらにせよ、だ。
進もうと進ままいと、直剣を握ろうと握らまいと。その先には一つの後悔と一つの満足が待っている。
一歩踏み出せず目を伏せていると、ノブチカは部屋の中に入る。何の躊躇いもなく歩いて、迷いなく進む。足元に転がる衣類は見えていないのか、お構いなしに踏んづける。
希望を携え進むような、そんな姿に図らずとも感動してしまった。
戻ってきたノブチカの手には古ぼけた直剣が握られていた。もちろん鞘付きだ。
「あ、ありがとう。それにしても、よくこの中通って行けるな。俺には無理だよ」
「言っただろう、慣れてるって」
「ヒナもそうだが、ノブチカもこの世界の……なんて言うのかな。記憶、みたいなのってあるのか?」
「記憶と呼んでいいのか分からないが体が覚えている事はあるな。この弓の扱いも狩りの仕方も知っているからな」
やはりそうか。仮説はあるが、今言っても混乱を招くだろう。それに、断定するには他にも検証する必要がある。
アリスやマイヤにも話を聞くべきだ。
仮説が正しければこれは、俺たちが授かった『加護』にも関係するものだから。
ひとまず思考に布を掛ける。手に持った鞘の重みを感じながら引き抜くと、両刃の刀身が姿を現した。
所々に錆はあっても関係ない。俺はこの刃を、斬るためには使わない。どちらかと言うと叩き潰す使い方を想定している。
俺が力を込めても刃滑りを起こすだろう。それよりなら、鈍器として使った方が、幾分も武器として優秀に思える。
尤も『俺の場合』は、だが。
その輝きの見えない刃を目に写した俺は、急激に焦燥に駆られた。が、その正体が罪悪感から来ていると気が付くのに時間は要らなかった。
「これって盗みになるよな? や、ヤバくない?」
「安心しろ。ちょっと借りるだけだからな。そもそもそれは狩人の共有武器の一つだ。
持ち出しても何ら不思議はない。俺が借りてお前に持たせている。それだけだ」
「何かいちゃもん付けられるのなら返すしか無いけど、今は誰も居ないもんな。
じゃあ、大丈夫。なのか?」
最後まで不安は拭えないが、今は良しとしよう。そうだ、三日後に返せばいい。それだけだ。ノブチカの進言があれば、狩人達も納得してくれよう。
あとは俺が、この重さにいち早く慣れて振り回せるようになる事。これが重要だ。
俺とノブチカは階段を下り、狩人のロッジを出ようとドアに向かう。がそこで風が吹いた。髪を撫でるような柔らかな手つきの風に、得も言われぬ臭いが混じっていた。
これを無視しちゃいけないと、俺は直感的に理解した。バッと振り返り、得体の知れない臭いの正体へと向けて、歩を進める。
窓のない室内。風が吹き抜けるとしたら、あそこだけだ。
キッチン、あそこに向かった。ノブチカはそんな俺をどんな目で見ていたのだろうか。だが付いて来てくれただけもありがたい。
鞘を腰に巻きつけ刃を抜き身とする。空いた片手で、魔法を作れるように準備した。
恐る恐ると言った足取りだ。俺はキッチンを覗く。体を壁に這わせ、半分だけで中を見るようにした。
そこにいたのは獣。荒い鼻息を鳴らし、床で何かを貪る。その姿はまさに魔物。体長も合わさり、俺の目にはモンスターにしか映らない。
四本足をしっかと付けて体を支える。指先から覗かせる爪は、簡単に人体を引き裂けるだろう。
あまりにも恐ろしい姿。
けど奴を夢中にさせる何かがあるようで、俺の存在に気が付いていない。
「サベージウルフだ。あれが俺の言ってた奴だ。一匹だけだが油断はできん。
一瞬で仕留めるぞ」
俺の隣で、同じように壁に体を預けたノブチカが言った。それに対して俺は首を振る。手のひらを揃えてノブチカの前に見せ、腹を括る。
「俺が、1人でやる。一対一でも勝てないなら、正真正銘の足手纏いだ」
「一匹だからと魔物を舐めるな。死ぬぞ。素人が手を出していいもんじゃないんだ」
低く滲むような声。ノブチカは本気だ。だが、それは俺とて同じ事。これぐらい1人でやらなければ近いうちに俺は、絶対の後悔を味わう。
数秒、瞳を交わした。察してくれたのか、ノブチカは腰の短刀から手を離して言った。
「危ないと思ったらすぐに加勢する。やってこい」
「ありがとう。それじゃあ、全力で戦う!」
俺はキッチンの入り口に姿を見せる。それと同時、サベージウルフが耳をピンと立てる。
魔物の五感は尋常ならざる。それを肌で理解した瞬間だ。
サベージウルフが前に飛び退く。すると体を俺の方に向けた。奥歯を見せて唸るその姿は、距離を見計らっているのだろう。
鼻先と口に付いた赤い血液で、食事を邪魔したのだと分かる。
瞬間、サベージウルフは俺を目掛けて突進した。一瞬、時間が止まったかのように、体が動かなくなった。
それでもサベージウルフは俺に近づく。
目と鼻の先。俺は恐ろしい魔物の爪を、さっきの直剣で受け止めた。予想からくる一手では無い。勘と防衛本能からくる行動だった。
だが、全体重を乗せられた渾身のタックルは、二足で立つ俺に強烈な衝撃を与えた。
姿勢がぐらつき、後ろに倒れ込む。
ヤバいと思った。このまま倒れれば死ぬ。咄嗟に口を出たのは魔法の詠唱。
朝にヒナと特訓し会得した、魔法の現象方法。
「『風:とっぷう』! っんが!」
何も握っていない方の手に、大気が集まる。収束し吸収し、それは強烈な勢いとなって吹き荒れた。
反射口である手のひら前にいたサベージウルフは、その体を吹き飛ばされる。反動で、俺も床に尻餅を付いた。
キッチンにある腰辺りまでしか無い作業テーブル。それに、魔物は体を打ち付けると「キャンッ」と鳴いて倒れた。
だがすぐに立ち直るだろう。数秒の猶予時間。俺の足腰は震えて頼りない。だが、恐怖という本能を、生存という本能で上書きする。
そうすれば情けない足腰の震えも、一瞬にして消えてくれる。床に座った体勢から、足裏を付けて前方に駆け出した。ほぼ四足歩行だ。だが今は、魔物の真似事でいい。
起き上がるだろうと思った。
痙攣しながら足を立たせるサベージウルフにもう一度、魔法をぶつける。
風魔法で再度叩きつけると、今度は反撃の暇を与えない。
直剣を逆手に持ち、首に突き下ろす。
一度目は浅い。血管は切れただろうが、これだけではダメだ。時間が掛かりすぎる。
二度目。一度目とズレたところに突き刺さったが、これはいい感じだったと思う。ピクリと体を震えさせ、抵抗が止んだ。
三度目、これが最後だ。雄叫びと共に、首へと深々突き立てる直剣。十字架に見える鍔と持ち手を握りしめ、皮膚を超えて肉を突き刺す。
血がどくどくと流れて動かなくなり、俺は魔物に勝利した。だが、実感は無かった。そんな事よりも、目の前の死体を見て固まる。
生命に死を与えた。それは初めての行為だった。戦いに、命の張り合いに勝った。そんな達成感だけでは覆い隠せない、理性の咎め。
「やったな。ここは他の狩人に任せて宿屋に戻るぞ」
肩を叩かれて我を取り戻す。そうだ。俺はこれから、これを何度も繰り返す。
何度も何度も何度も。刃を振り魔法を使い、頭蓋を砕いて臓腑を切り開く。大袈裟だが、俺はそれに慣れる必要がある。
これは、この咎めと嫌悪はきっと、通過儀礼なのだ。
「あ、ああ。でも、ちょっと待って。少し休みたい」
刃に付着した血脂を拭い取り鞘に戻す。
深呼吸して、他人の物だということも忘れてカウンターの酒を飲む。よし、気分が落ち着いてきた。足腰の震えも治りつつある。
握り拳を作って太腿を殴り、歩けるように調整。これで、ようやく帰れる。
外に通じる扉の前で待っていたノブチカに一言、感謝を伝える。
それから俺たちは宿屋に戻って他の皆を待つ事にした。




