五十二話 決断
読んでいただきありがとうございます!
冷たい雨水に打たれ続けて、俺の体は完全に冷え切っていた。道行く者は皆急ぎ足。そんな中で、人々とは逆行するみたいな足取りで、俺は歩いていた。
誰からも見えていないのか心配してくれるような通行人なんて、ただの一人も居なかった。
たどり着いた先は酒屋。無意識の内に酒に逃げようとしていたのか、体が限界だったのか。おそらく後者だ。無いはずの片足、義足になったはずの足に痛みが走っていた。幻肢痛。それか、魔力の使い過ぎのどちらか。
途端に岩のように重く動かなくなった義足を引きずり酒屋に入る。大雨だと言うのに、店内はそれでも賑わっていた。帰るにも一苦労な豪雨にも関わらず、バカ騒ぎをしている連中を見ると怒りが湧いた。
今すぐにでも暴れ出したい。手あたり次第に殴りつけたい。それは人だろうが物だろうがなんだってよかった。とにかく今は、無性の憤りが爆発しそうだった。
耳を塞ぎたくともそれをする事すら億劫であった。結局、俺はここで行動を起こすには何もかもが足りていない事に気が付いた。
空いている席を見つけたら、金の許す限りに酒を飲もう。浴びるほどに飲もう。
人混みをかき分ける。伸ばした手を背中や肩に乗せて、無理にでも前へと進む。どんな顔をされようが関係無い。他人は他人だ。
そうして店の奥に進めば進むほどに鮮明に見えてくるのは、ある冒険者たちの背中だった。
ノブチカやヒナ。今は三人だったが。彼らと顔を合わせるべきでは無い。そもそも、合わせる顔なんてあろうはずも無い。
振り返ると突然、転げてしまった。義足だからでは無い。意地の悪い客の一人が、脚を引っ掛けた。
俺を見下ろすとゲラゲラ笑い、それを肴に酒を呷る呑兵衛共。上半身と下半身とを切り分けて、ちょうど半分にしてやってもよかったが、生憎魔力不足だ。
ツカツカと俺に近づく足音が聞こえる。差し出された腕。誰のものかは、大概予想がついた。
ここまできたら拒否する事はできない。ノブチカの差し出した腕を握り返す。
前のめりに引っ張られて勢いよく立ち上がる。
席に着いた俺はバツの悪い表情で黙り込んでいた。誰も、何かを話そうという気にはなれなかったようだ。
「何か飲むか?」
「いや、いい。雨で冷えてるんだ」
だからこそ、俺には酒が必要なのだ。内側を蝕み焼き尽くすような強烈な酒が、俺には必要なのだ。
それなのに、ノブチカの呼びかけにはノーで返した。
「俺たちは、気がついたらギルドの宿で眠っていた。傷は治療されていたし、みんな無事だった」
杯に口を当てながらノブチカは言った。応急処置だけはトリナが行った。それ以外に関しては、俺の知るところではない。
心当たりの無い事に対して語れる物など、そうそうない。黙り込んで俯くと、テーブルに刻まれた木目やシミが、瞳に飛び込んできた。
何という種類の木材を使っているのか。加工方法にその道具。長い間使い続けるための手入れ。あらゆる疑問が浮かんだ。
そうして現実逃避しているにも関わらず、ノブチカは言葉を続ける。
「お前がいなくなってからは、色々あった。端的に言えばうまくいかなかった。そのせいでアリスもあんなになっちまった」
杯の中の酒が底を付く。全て飲み干してしまったようだ。
「何があった。俺がいないだけで、なんでこうなる。アリスもノブチカも、ヒナもマイヤだって…………。皆いたのに、一緒だったのに。なんでこんな事になった」
困惑と絶望の入り混じった風な言葉が、口を出た。いつも最悪の方向に進んでしまう。やってはいけない間違いを犯しては、自分の道だと腹を括るしかないのが、俺だ。
「ユウキがいないからこうなったんだよ。何もできないからって言って卑下してさ。そうやって離れて、結局何になったの? 教えてよ」
ヒナは嘲笑するような笑みを浮かべて、俺に問うた。動悸が現れる。この先を聞きたくない。耳を塞げない。
「アリスだって、まとめようと頑張ってたんだよ? 私たちはついて行くのに必死で。でもみんな、自分に出来る事をやったんだ。その結果がこれだよ。
全員、どこを向いてるのかすら分からなくなったの。でさ、ユウキは? 楽しかったよね? 沢山冒険が出来てさ」
呼吸が乱れる。アグリカの生活を思い出した。トリナの声が、耳に響く気がした。いつか語った、ノブチカとの会話を思い出した。そうだ。ノブチカなら、俺を赦してくれるかもしれない。
隣をチラと覗く。だが彼は一向に、空になった杯から目を離そうとはしなかった。
「俺にどうにかできたなんてそんな事……。お前たちは、力を持ってただろ。チームをまとめるくらい……」
「出来なかったからアリスはここに居ないんだよ……!。ジャミアだって、本当は。本当は一緒にいるはずなんだよ。ここに座って、いっしょに楽しんでるはずだった! ユウキのせいだなんて言わないけど。けど、方法は……あったでしょ?」
ヒナの瞳には涙が浮かんでいた。その涙の示す所を、俺は察そうとはしない。
ああ気がついた。俺はとっくの昔に変わっていたんだ。俺は自分の気持ち以外、どうでもいいんだ。自分がどう思うかでしか、行動できないんだ。
そうか。なら……俺に出来ることはそう多くはないな。俺が俺の心しか考慮できないと言うのなら、その狭い心とやらに従う他あるまい。
「…………そうだな。方法は、あったんだろうな。でも俺が選んだのは”これ”だったって事だよな」
俯いていた頭を上げて、天井を見た。ほとんど独り言のように呟いて。
力なく立ち上がる。椅子を引いて。びしょ濡れの体はもう震えない。大丈夫だ。一人で歩ける。そうでなくちゃいけない。どうするかなんて、もう決めた。
「そうだ。ノブチカ、短刀はまだ持ってるか? よかったら貸してくれ。何をするか、ぼんやりと分かったから」
なにも言わず、ノブチカは自身の短刀を差し出す。使い慣れたとは言えないそれを受け取り、俺は三人に提案する。
「アリスを探すよ。それとあの胡散臭い男を殺す。誰かついてくるか?」
手を挙げる者はいない。マイヤとノブチカには他に、守る者があるらしい。ヒナは、俺を信用したくないのだろう。
最後に、土産でも買っておくか。
酒場を出ると、相変わらずの雨に嫌気が差してくる。だが幾分かマシになった。それは俺の心の快晴を意味してるのだろうか。ある意味ではそうだろう。
晴れ渡ったとは言えない。けれど曇りがかって見えなかった何かを、少しは掴めたらしい。
魔法使いの家に戻った。ドアをノックすると、命の恩人が姿を現す。多少驚いた様子で俺を見る。俺の表情から何かを感じ取ったのだろう。彼女は再度、トリナの墓へと案内してくれた。
目的地である。俺はここから、出発しなくてはならない。トリナとの別れを告げるのではない。ただ、少しだけ、遠くに居るだけだ。いつか俺も向かうその場所に向けて、声を出した。
「トリナ、お前に本当の事を話しておくべきだったよ、もっと早くな。助けてくれてありがとう。こうなってからじゃ遅いが、届いているか分からないが。それでもありがとうとしか、言えないんだ」
最後に涙を流すと、あまりに感動的すぎる。笑顔の方がいくらもマシで、俺はそれ以外をトリナに見せたくはない。
「元の世界に戻るのが俺の目的だったんだ。でもその前に、やらなきゃいけない事が出来た。仲間を連れ戻す。それと、トリナを殺したあいつを殺す。いい目的だろ?
復讐に意味がないなんて寂しい事、言わないでくれよ。
別に見守ってくれてなくていい。ゆっくり眠っていてくれ。お前に貰ったもんは、俺の中にある。だから、俺とお前であいつにやりかえそうぜ?
結局、こういう、簡単な動機が一番燃える燃料になるんだよ」
そう言って俺はトリナの墓に蜂蜜酒を注いだ。あの日、トリナが飲みきれなかった一杯の酒だ。死後の世界――あるのかどうだか、俺には分からない――で、たらふく飲んでいるだろうか。そうだったら、いいなと思う。
魔法使いはたぶん、黙っていただろう。何の声も聞こえない。俺は振り返り、感謝を述べた。
「君の相手は決まったかい?」
「ああ。優先事項はある。けど、それより感情だ。俺は俺の心の向かう方向に、脚を向ける」
「そう。それで、いいと思うよ。心は全ての在処だからね。名前は?」
「ユウキだ。まあ、転移者だよ。何か知ってるか?」
「ユウキ……ね。もしかして、金城?」
面食らった。だが答える。ただ「そうだな」と一言だけ。
「緑青姶良だよ、私。こっちでは『リョクショウ』って名乗ってるけど。困ったら、またここに来てよ。私が必要になったとか、手を貸してほしいとか、そんな感じで。今はただ、在るがままに目的を果たすんだ。
だから、いってらっしゃい」
「トリナの墓を頼む。また、手を合わせに来るから。いつになるか分からないけど、またここに来るよ。大切な知らせは、自分で伝えたいんだ」
俺は歩き出した。いつもと同じだ。
一方は俺の脚ではなかった。傍には、もう誰も居なかった。だが足取りは軽やかだった。
果てしない荒野だったとしても。目の間に広がるのは暗闇だったとしても、やっぱり歩き出す。
抽斗にしまった後悔は、トリナと一緒に持ち出してもらおう。いつになるか、その時になって味わえばいい。今はただ、歩こう。




