五十一話 目覚める
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体の自由が効かない。全身に布を巻かれているみたいに、俺は動けない。強固な布が指の一本一本に絡みついている。そんな感覚だった。
それでも引き続き、指先を動かそうとする。動けと何度も念じる。するとその甲斐あって、だんだん指先に力が籠る。
そこで重要な事に気が付いた。まだ瞳を開けていない。真っ暗闇の中格闘していた俺は、遂に瞼を開く。目の前にあったのは見慣れた仲間の姿ではなく、虫のような羽根を持った小さな生物。妖精と呼んでいいのだろうか。
俺の顔を、まるで湖のほとりから覗き込むみたいにして見ていた。瞳が見開かれたのに気が付いたその妖精は、飛び上がると何処かへ消えていった。
それから数分後、あるいは数秒後。ある一人の人間がやって来た。何かを話しているのだろうが、ぼんやりとしか聞き取れない。
言葉と文字が、形を成さない。散文的で無意味な羅列としか捉えられない。
上半身を起こして頭を叩く。全身が痛いが耳は頭に付いている。情報の処理も頭蓋骨の中で行われる。実際、頭部を叩いていたら耳の聞こえが良くなった。思い込みかもしれないが。
「君は王朝に住んでいるのかい? この村でなにがあったか、分かるか?」
俺に話しかけていたのは、先ほどの小さな妖精ではなかった。丸眼鏡のようなものを目に掛けていた。頭頂部がペタンとしている所を見るに、帽子でも被っていたのだろうか。全体の膨らみを見るに、灰色掛かった白いローブの下にも着込んでいるようだ。
「分からない。…………俺と一緒にいた子供がいただろ。あいつは何処にいるんだ」
「死んだみたいだ。私たちが着いた頃にはすでに息絶えていた」
予想できたとはいえ、突きつけられた現実を受け入れたいと思えなかった。
けれど涙が流れてくる事は無かった。そんな無意味な流れよりももっと苛烈に渦巻いた感情。それを言葉にすることはできない。憎しみとでも言うのか。
「他に、誰かいなかったか」
「誰も。君とあの、少女だけだ」
その答えを黙って聞いた。パタパタと、妖精の羽根が瞬く音が響いていた。それは誰も言葉を発さない苦しい時間の証明でもあった。
「落ち着いて聞いてね。あのね、君の中には彼女の……女の子の名前はなんて言うの?」
「トリナだ。あの子の名前は、トリナだ」
「そう……。トリナはね、君に魔力を継承させたんだ。彼女の魔力の源泉は、君の中にあるんだよ。たぶん、助けたかったんだと思う」
「なら俺のせいで死んだってのか。俺を助けるために、トリナは自死を選んだってのか」
今の俺にはそうとしか聞こえなかった。魔力の継承なんて聞いた事がない。だが、妖精いわく、トリナは自身の力を俺に与えてくれた。それは彼女の命を縮めてしまったのだ。
「魔力の継承で、命を削り切った可能性はある」
ローブを着た魔法使いはそう言い切った。瞬間、妖精は魔法使いを非難する。「そんな事を言う必要はない!」と。
だが魔法使いはお構いなしだ。俺も、慰めは必要ない。
「私は、魔力はその人の生命と同義に思ってる。体調が優れないときは魔力を上手く扱えないし、眠っている時なんて穏やかだ」
「トリナは俺を生かしてくれたのか」
「そうだと思う。彼女は自分の命より君を選んだ。君のために自分を犠牲にして、君のために残せるものを譲った。そのお陰で、君は今も息をしている。
彼女の分も、生きるべきだと思うよ。彼女を想っているのなら」
トリナは俺を守ってくれた。自分が死んでしまうと理解していたのか、それとも共倒れを嫌ったのか。
事実はこうだ。トリナは命を賭して俺を救った。小さな糸に縋るような希望だったが、目の前の魔法使いが掴んだ。なら、俺もこの命に縋りついてしまってもいいではないか。
立ち上がろうとベッドから足をずらすが、片足がくっついている。肌色で自分の物ではなく、義足だったが。
「これはなんだ?」
「義足だよ。脚がぶっ飛んでたからね、代わりの物を付けておいた。リハビリが必要になるけど、思い通りに動かせるようになったら今まで通りに元通りさ」
リハビリか。久しぶりに聞いた単語だ。それより義足が付いてくれた事で、今後も冒険が出来るようだ。
「その義足は魔力制御で動くんだ。普通に訓練するだけじゃ歩く事すら出来ないけど、魔力を流せば動かしやすくなるよ。といっても、常に魔力を流してたらいけないよ。普段通りに生活するときは、魔力の供給を切っておくのをお勧めする」
そうかと言って立ち上がるが、やっぱり違和感がある。歩き出す事も出来ずにその場で立ち止まち続ける。どうやら妖精は理解できないようで、小首を傾げていた。
手を貸してくれたのは魔法使い。彼女の肩に腕を回して何とか歩き出す。どこに行くかなんて決めていないが、とりあえず外に出たい。
扉を開くと外の外気の冷たさに驚いた。雨粒が地面で弾けて土に染み込んでいく。
「一応、トリナちゃんのお墓を立てておいたよ。向かってみる?」
悩んだ挙句、俺はトリナの墓に赴いた。石を積み立てて塔のようにしている。墓石のような上等な物なんてない。
「この土の中に、トリナは眠っているんだな」
「ああ。悪いけど、彼女の体は骨だけにした。私の国では、そうやって埋葬するんだ。それに、この森は魔力濃度が濃いし魔物も多い。そのまま埋めるのは、危険だ」
「”私の国”…………故郷か」
俺の目的はなんだったか。初めに誓ったのはなんだったか。思い出そう。故郷に帰る事。家族と再開する事。友人と生きて出会う事。
様々な目的があっただろう。だが今は、何も考えたくはなかった。
「…………君はどこから来たんだ? 王朝に住む人間ではないだろ」
「ここじゃない何処か遠い場所だ。言葉も文化も何もかも違う。ははっ、この世界じゃないドコかなのかもな」
トリナの墓を直視できなかった。したくなかった。嫌だった。現実なんて、眺めたくはない。その場を離れたかった。それなのに、魔法使いの女は動かない。俺は介助が無ければ歩く事すら難しいと言うのに。
「君は転生者なのか?」
「違う。今は、どうでもいい」
「そうか……。お腹は空いてないのか。胃に何か入れた方がいい」
「大丈夫だ。とりあえず、今はリハビリに専念する。助かった。命を救ってくれて」
「それは……いや、なんでもない。王朝まで行くといい。君にも、会うべき”人間”がいるだろう?」
「ヒトと呼ばないんだな」
「人間は人間だ。そこに違いはないはずだ。彼女もそう言っていた」
聞きたいことも知りたいことも無い。今はただ、雨に打たれながら王朝に向かいたい。そんな気分だった。
この雨が俺の心の内を洗い流してくれる事などあろうはずもないのに。俺は、雨に縋った。




